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COLUMN

ゲイコミュニティを称賛〜『ハートをつなごう』HIV特集第4弾

11月28日〜30日、『ハートをつなごう』HIV特集第4弾が放送されました。「HIV/エイズの30年」というテーマで、かつてのエイズ=死だった悲劇の時代について振り返る内容でした。そして後半は、ゲイコミュニティのHIVへの取組みを称賛し、成功例として紹介するものでした。

ゲイコミュニティを称賛〜『ハートをつなごう』HIV特集第4弾

 11月28日(月)から30日(水)まで、3夜にわたってEテレ(NHK教育)で『ハートをつなごう』HIV特集第4弾が放送されました。「HIV/エイズの30年」というテーマで、忘れられつつある悲劇の時代/闘いの時代について振り返るものでした。が、後半はゲイコミュニティでのHIVへの取組みを成功例として紹介する内容で(ゲイコミュニティの活動に学ぼう、という感じで)、二丁目の方たちがたくさん登場する、感動的なものでした。

 『ハートをつなごう』はこれまでにも何度となく、同性愛者の抱える悩みや未来のことを取り上げ、特集してきました(特にこちらが素晴らしかったです)。それだけでなく、「虹色」という特設サイトを作るなど、本当に熱心に支援してくれました。そうした番組をプロデュースしてきたのが、今回も登場した宮田興さんです(「セクシュアルマイノリティを正しく理解する週間」などにも出演。とても真摯で優しい方です)。宮田さん自身、(おそらく自省の念も込めて)語ってくださいましたが、かつて世間でエイズのことが話題になったときにも、たとえば外国の問題(アフリカの子どもたちとか)、国内での男女間の感染については特集されましたが、(ゲイ・バイ男性の感染が半数を超えていたにも関わらず)日本のゲイの実情についてはほとんど触れられませんでした。が、今回の放送では「今こそゲイに光を」という勢いで、これでもかというくらいゲイコミュニティがフィーチャーされ、これまでHIVのことについて取組んできた方たち(エイズへの忌避感が強かった時代は、本当に苦労されていました)が称賛されていました。HIVがテーマではありますが、ある意味、公(世間)にゲイが認められ、祝福されていた…そんな空気に満ちていました。そのことで涙し、癒された方も多かったのではないかと思います。

■1日目
 この回は、30年を振り返ることに焦点が当てられていて、初期の頃からエイズ患者の治療にあたってきたねぎし内科診療所(元都立駒込病院)の根岸昌功さんや、薬害エイズ原告団の一人である大平勝美さんがフィーチャーされていました。エイズ=死であった時代の悲劇的なエピソードがいろいろ語られていましたので、詳しくご紹介したいと思います。

 根岸先生は本当にたくさんの患者たちを診てきた(救ってきた)方で、二丁目の「akta」でお話をされたことも度々あって、本当にお世話になっています。 
 こういうお話をされていました。まだ治療法も確立していない時代、ある患者の方が、亡くなる前、最後に一度でいいから、家族の団らんのひとときを過ごしたいということを希望していたそうです。しかし、実家は商売を営んでいて、息子がエイズ患者ということがわかれば店がつぶれてしまうと思い、結局彼は一度も家に帰ることができなかったそうです。

 80年代、主にエイズは同性愛者や外国人の病気と思われていましたが、神戸で女性の患者第一号のことがニュースになると、世間はパニックになり(神戸市役所には問合せが殺到したそうです。「彼女は本当は被害者なのに、感染がわかったために加害者にさせられた」)、高知でも妊婦の患者がいることがわかると、市内の産婦人科は「うちにはエイズ患者はいません」と貼り紙を出したそうです。

 1989年、国は患者の氏名や居住地などを通報することを合法化するというひどく差別的なエイズ予防法を可決(「99人のためなら1人の人権は無視されてもいい」)

 血友病でHIV感染し、現在はHIV予防啓発活動をしている武田飛呂城さん(ストレートの方)は、おじにあたる方も同じように血友病で感染したそうですが、周囲のひどい差別に遭い、その心労が病状を悪化させ、やがて亡くなったと語っていました。「差別が人を殺すんだな」と感じていたそうです。

 そんななか、薬害エイズの患者たちが、裁判に立ち上がります。支援の輪(デモなど)も全国に広がり、ついに、1996年、菅直人厚労大臣が謝罪し、和解が成立。東京にセンターを、全国に拠点病院を作ること、障害者認定が約束されました。
 根岸先生はその闘いを「本当にありがたかった」と語りました。
 原告団の一人である大平勝美さんは、「このまま殺されてなるものか、という気持ちだった」「裁判の途中にも大勢の人が亡くなっていった」「病院では、血友病の患者も同性愛者の患者も同じ。互いに気遣い、励ましあっていた」「支援の運動には実は同性愛の方も参加していた。とてもありがたかった」と語りました。
 大平さんは、原告団の一人である方が亡くなった息子さんに宛てて書いた手紙を朗読してくれました(涙を誘うものでした)

■2日目

 この回は、これまでHIVの特集でもほとんどふれられることがなかったゲイにスポットが当てられ、ゲイシーンでもおなじみの方たちが登場し、この30年でゲイたちはどのようにHIV/エイズに影響を受けてきたのか、というお話をしてくれました。
 
 まず、20年も前から周りにHIV陽性であることをカミングアウトしてきた長谷川博史さんが登場しました。
 それから、ぷれいす東京の生島さん。生島さんは1992年から陽性者支援の活動に携わるなかで、たくさんの患者さんが亡くなるのを見てきました。ある方は、病室に親が来たとき、彼氏のことを「友達」としか言えなかったそうです(彼氏さんはそのままずっと、亡くなるまで友達以上の接し方ができず…)。「それでいいの?」とカウンセラーに聞かれましたが、「親の要望に応えるのが自分の罰だ」と語ったそうです。とてもせつないお話でした。

 1994年、横浜で初めて国際エイズ会議が開催され、96年、薬害エイズ訴訟が和解をみて(国が謝罪し)、世間でもにわかにエイズへの関心が高まりました。が、それは、海外でのエイズの現状であったり、国内でも異性愛のことが中心で、日本のゲイの実情にスポットが当てられることはありませんでした。
 それではダメだと、長谷川さんは、情報をコミュニティに届けようと、『バディ』誌で陽性者の日常についてのコラムを書き始めました(その後、『G-men』誌でのあの充実した記事につながることは言うまでもありません)。1999年、長谷川さんはぷれいす東京が制作した映像に出演し、陽性者として語り、パートナーやお兄さんの語りもまじえ、当時としては画期的なものになりました。
 そして2002年、ゲイ雑誌の編集から退いて陽性者ネットワーク「JaNP+(ジャンププラス)」を立ち上げ、陽性者どうしのネットワーク作り、講演会活動やアドボカシー(権利擁護活動)をスタートさせました。(番組に出演していた高久陽介さんもJaNP+で活動しています)
 しかし、2005年、長谷川さんは、友人のパートナーがエイズで亡くなるという出来事に直面し、「自分がやってきたことが身近な人に伝わっていなかった」と大きなショックを受けました(友人の菊池修さんに、葬儀に出かけるときの写真を撮ってもらいました。それが写真集『MONSTER』に収められています)

 市川誠一先生(二丁目や堂山や名古屋などの活動の予算は市川さんのおかげ。ゲイ向けHIV活動支援の「父」のような方です)によると、2008年のアンケート調査で、男性の4.3%が「男性との性体験がある」と回答したそうです。「女性も合わせると日本に300~400万の同性愛者がいることになります。これはもはやマイノリティじゃないですよね」

■3日目

 この回は、HIVのことが根づいた二丁目のゲイコミュニティを紹介し、その戦略に学ぼうという内容でした。アクタの方たち(デリヘルボーイ)はもちろん、タックさん、BaseのToshiさん、ArcHの方なども登場しました。

 長谷川さんがバー「タックスノット」のマスター・大塚隆史さんと「なぜ二丁目でHIVの活動が根づいたのか」というお話をしていました。1つは、毎週お店にコンドームを配るようなボランティア活動の継続、2つ目は、コミュニティセンター「akta」の存在、そして3つ目は、ゲイバーを中心としたコミュニティのおかげ、というお話でした。
 スタジオでは、これをもとに、お話がふくらんでいきました。

 映像を見て、ソニンさんは「いい街ですね!」と言ってくれました。市川さんは「二丁目での活動は、ヘテロの人たちにも有効なプログラム」と語りました。
 近年、ゲイ・バイ男性の間での新規エイズ患者数の増加がゆるやかになっているということが活動の成果として紹介されました。

 市川さんが「akta」で配られてきたコンドームのファイルを取り出し、「セックスを肯定し、前向きなイメージを提供。女性も持って帰ったりしています」と紹介すると、石田衣良さんが「素晴らしいですね」と、ソニンさんが「去年のミュージカル『レント』の時にオリジナルのコンドームを作ったんです」とコメント。武田さんは「正しさだけでは伝わりにくい。こういうふうにキレイだったりかわいかったり、手に取ってもらえることが大事ですね」とコメントしました。

 二丁目の「ArcH」で行われているLiving Together Loungeの映像。バーのマスターや、いろんな人たちが、陽性者の手記をリーディングしている様子が映し出されます。それから、「akta」の映像。ジャンジさんが「お友達が感染がわかったり、何かあったときに『あ、aktaがあるじゃん』と思ってもらえたらいいなと思います」といつもの笑顔で語ります。

 HIV検査について、全国の男性の受検率の平均が10%であるのに対し、ゲイ・バイセクシャル男性の受検率は59%という高い数字であることが示されました。

 最後に、スタジオの方たちのコメントをご紹介します。
生島さん「HIVが縁でつながることもある。バーのマスターから紹介されて、ぷれいす東京を訪ねて来る人もいる。セーフティネットが広がっているのはうれしい」
市川さん「地方は予算が少なく、コミュニティセンターを維持することが厳しい。NGOと連携し、自治体がバックアップしていくことが必要」。
高久さん「ムードを変えるのは大変。いっしょに考えてほしい」
長谷川さん「HIVの活動を通じて、自分自身が変われたと思う。薬害の人が、自分が引いてた線を消してくれた。外国人の人たちが、心のボーダーを消してくれた。男と女という境界も溶けていった。いろんな自分の思い込みを解いてくれた。それは、人間にとって社会にとって重要なことでした」
ソニン「世界エイズデーは毎年あるけど、30年ということで、自分もまた考える機会をもらえた」
石田「偏見や差別は人を殺す。やっぱり、HIVをただの感染症にしたい」

 
 今回ご紹介した内容は、ダイジェストなので、これがすべてではありません。今週ご覧になっていない方はぜひ、12月5日(月)〜7日(水)12:00〜の再放送を録画して観ていただきたいと思います(ぜひ、彼氏さんやお友達やご家族といっしょに)

 それともちろん、二丁目だけでなく、大阪や名古屋、福岡、仙台、横浜、沖縄などにもコミュニティセンターがあり、センターこそありませんが、愛媛や浜松などにもゲイ向けに活動する団体があり、それぞれの地域でがんばっている方たちがたくさんいます。
 今回はたまたま登場しなかったけど、「素晴らしい」と絶賛されたゲイコミュニティでの取組みに携わってきた本当にたくさんの方たち(その中には、すでに亡くなった方もいらっしゃいます)、そのひとりひとりに「おつかれさまでした」「ありがとう」「よかったね」と言いたい気持ちです。

(後藤純一)

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