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COLUMN

杉田議員問題(3)この1ヶ月余の動きを振り返って

7月下旬、杉田議員の論考「『LGBT』支援の度が過ぎる」が問題になってから、1ヶ月余が経ちました。ロバート・キャンベルさんの会心のカミングアウトを中心に、この間の動きを振り返り、今後を展望します。 assets/images/column/Sugita/0805shibuya.jpg

 7月19日、衆議院議員の杉田水脈氏が『新潮45』2018年8月号に「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論文を寄稿してから、1ヶ月が経ちました。
 国内だけでなく海外からも非難の声が上がり、約5000名が路上に集まって声を上げた抗議集会のことが報じられた後も、相変わらず杉田議員は撤回も謝罪もしていませんし、杉田議員を擁する政党(仮にも政権与党です)もお咎めなし、です。「学校や職場、社会生活等において、当事者の方が直面する様々な困難に向き合い、課題の解決に向けて積極的に取り組むことが求められる」とする党の方針と真っ向からぶつかる言説であるにもかかわらず、です。
(なお、wezzy編集部が「性的指向・性自認に関する特命委員会」全役員に質問状を送付したそうですが、「(杉田議員の)個人的な見解」であるとして、問題視しない立場を明らかにしています)
 この問題は、ウヤムヤにされ、杉田議員は無傷で衆議院議員を続けることになるのか、今後、政権与党がLGBTへの理解を求める法案を通すとして、果たしてそれはLGBTにとって望ましいものになるのだろうか…モヤモヤが消えることなくくすぶるなか、ロバート・キャンベルさんが、カムアウトしながら声を上げてくださいました。
 ロバート・キャンベルさんへのメディアの取材が相次いだこともそうですし、この問題が炎上しはじめてから、ほとんどのメディアや有識者の方々は杉田議員を批判し、LGBTを擁護する立場で発言していて、結果的に「LGBTは差別されちゃいけない、守られなくちゃいけない」という世論(空気)の醸成につながったように感じます。かつて石原都知事が差別発言を繰り返していた頃には、そういうことはありませんでした。時代が、社会が変わったのだと、心強く思えます。

 今回のコラムでは、あの事件以降の1ヶ月余りを振り返り、ロバート・キャンベルさんのことを中心に、当事者ならびに世間の方たちの反応、メディアの反応を整理してお伝えします。

 


メディアでの報道


杉田議員問題について』でも少し紹介しましたが、『新潮45』の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論稿が世に知られると、いろんなメディアが一斉に報道を始めました。話はLGBTのことだけでなく、障害者であったり、高齢者であったり、この社会で「生産性」がないと見られがちな人々のことにも及びました。

 日刊ゲンダイ連載「ここがおかしい 小林節が斬る!」では、「「人権」論の本質が分かっていない」「人間は皆、先天的に「それぞれ」に個性的な存在であるが、それをお互いに許容し合う温かい心こそが人権論の土台」「自分とは異質な者を内心では見下しておきながら、それを単なる「区別」だと言い張り、その上で「優先順位が低い」という見下し発言をして恥じない者が権力側にいては、いけないのである」とバッサリ、断罪されました。

 BLOGOSの記事「自民党杉田水脈衆議院議員の『新潮45』への寄稿は不適切発言の特盛である」では、「私は声を大にして警鐘を乱打したい。これは野党支持者だけではなく、むしろ自民党支持者が怒るべき案件ではないか」「党派性を超え、生きやすい世の中を勝ち取ろう」と述べられました。

 沖縄タイムスは社説で「当事者の心を深く傷つけ、誤解と偏見に満ちたおぞましい主張だ」と、「党として処分を科さないというのなら、暴論に同調したと受け止めるだけだ」とキッパリ、述べました(社説[LGBT差別寄稿]許しがたい排除の論理

 琉球新報も同様です。「自民党は2016年に「性的指向、性自認の多様な在り方を受け止め合う社会を目指す」との基本方針を公表したが、形骸化していると言わざるを得ない。少数者の人権を尊重し、異なる価値観の人々を受け入れる多様性ある社会を目指すのが国会の役割だ。一議員の問題で済まされない」(<社説>LGBTへの差別 自民党は容認するのか

 ハーバービジネスオンライン「ろくな少子化対策も論じずに「生産性」という言葉でLGBTの人権を毀損する杉田水脈議員は今すぐ辞職すべきだ」では、「世界中でLGBTを理解し、「同性愛が不幸ではない世界」を目指す取り組みが実行されている中で、「同性愛者は不幸」だと言い切り、税金を投入するのは「生産性がないからダメ」と言ってのけるのが、まさかの国会議員」「BBCで世界デビューを果たすレベルの「恥さらし国会議員」には今すぐ辞めていただきたい」「杉田水脈さんが言うところの「生産性」をなくしているのは、LGBTの権利を認める認めないの話ではなく、政治家の皆さんの無能っぷりです」という、清々しいまでの正論が展開されています。

 モーニングショー(テレビ朝日)では、解説委員の玉川徹さんが、「子どもを作らない人を生産性がない、そういう人に税金を使う必要がないと言っているわけです。私には子どもがいませんし、高木さんにもいませんから、生産性がない人間だということになります。これはLGBTだけの問題ではないんですよ。夫婦で子どもができない人は1割くらいいる。日本人の1割は生産性がないのかということになる」と批判。二階幹事長が今年6月、「この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないかと勝手なことを考える人がいる」と発言し、物議を醸していたことも踏まえ、「生産する、子どもを作って国家に貢献するのが正しいことなんだ、と。子どもを作らない、国家に貢献しない人は、国家は面倒を見るべきでないという考え方が自民党の中に根強くある」と指摘しました。

 ドイツ人と日本人のハーフであるサンドラ・へフェリンさんによる記事「杉田水脈氏の「LGBTは生産性がない」発言をドイツ的視点から考える」では、「ナチス時代には「これだけお金がかかるのだから、優生思想の基準を満たさない人の存在意義は無い」という考え方がまかり通っていたため、戦後70年以上経ったドイツでは今でも、「一歩、選択を間違えると、人間は『不寛容』に慣れてしまい、ナチス時代の過ちが繰り返されるかもしれない」と考えられています」「少なくともドイツを含む欧州では「議論の余地のない、完全にアウト」な発言であることは間違いありません」「日本の「色んな考え方がある」と見なす雰囲気や、欧米のようにすぐに白黒つけずに「曖昧な部分を残しておく」ことで平和を保てる場面もあるかとは思いますが、今回ばかりはその次元の話でないことは確かです。「差別は悪」だというコンセンサスがないまま「色んな人がいるから」「色んな考え方があるから」という雰囲気に流され言論の自由を履き違えてしまっては、社会が危険な方向へと向かってしまうのではないでしょうか」と語られています。

 それから、杉田議員が2016年、産経新聞に連載していた「杉田水脈のなでしこリポート」の中で、ちょっとにわかには信じ難い、トンデモ発言を繰り広げていたことも明らかになりました。
「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援などの考えを広め、日本の一番コアな部分である『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました」
 コミンテルンというのは1919年から1943年まで存在した共産主義政党による国際組織のことですが、このような世にも奇妙で妄想じみた陰謀論が大手新聞に掲載されていたなんて…驚愕です。
(キャリコネニュース「「LGBT支援の動きはコミンテルンが日本の家族を崩壊させるために仕掛けた」 自民・杉田議員の過去の発言に注目集まる」)

 8月2日、ようやく杉田問題への見解が、自民党のHPに掲載されましたが、「問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現がある」としたものの、一方で「個人的な意見」と片づけ、「今後、十分に注意するよう指導した」という内容で、何の処分も下さず、実質的に無罪放免とするものでした。
 さらに同日、安倍首相が初めて杉田問題について口を開き、「人権が尊重され、多様性が尊重される社会をつくっていく、目指していくことは当然のことであろうと思う。これは政府与党の方針でもある」と語りました。
 この日の夜、首相は赤坂にある行きつけの中国料理店・赤坂飯店で行われた自民党山口県連青年部・青年局の会合に出席していますが、なんとその場に杉田氏議員も「すみませーん、お騒がせしています」と笑顔で現れました。杉田議員は何の反省もしておらず、安倍首相もまた杉田議員の言動を問題視していないということを物語っています。
 しかも、『週刊文春』によれば、安倍首相が杉田議員の辞職を求めるデモに対して「彼女はそんなに有名じゃないのに、なんでみんな騒いでいるんだろうね」と語ったそうです。
(リテラ「安倍首相はやっぱり杉田水脈議員のLGBT差別を容認している! 会合で同席して「なんでみんな騒いでるの」

 すでに米CNNや英紙インディペンデント、仏紙ルモンドなど海外メディアまで杉田発言を問題視しており、党本部や地方県連にも抗議電話が殺到しているそうで、総理は杉田議員を除名処分とすべきだと見るのが当然の流れです。が、そうはなっていないのは「首相の応援団には杉田議員と同じ考え方の者が一定数いて、バッサリ切れないから」だと言われています…(日刊ゲンダイ「安倍首相を悩ます“杉田発言” バッサリ切れず3選に黄信号」)


 

7/27以降の運動、世間の方たちの反応


 7月27日の抗議集会の後の動きをお伝えします。

 8月3日には、LGBT自治体議員連盟が、「寄稿文で傷つけられたLGBT、子どものいない家族や女性、障がいや病気などにより経済的自立が困難な人々に謝罪し、寄稿文を撤回すべきだ」とする声明を発表しました。

 8月4日・5日に行われたJNN世論調査では、杉田議員の「LGBTは生産性がない」発言に「非常に問題がある」「ある程度問題がある」と回答した人が83%に達し、同じ期間に実施された朝日新聞の調査でも、杉田発言に対する自民党対応に「問題がある」と回答した人は61%に上ったことが明らかになりました。

 そして、8月5日には、渋谷ハチ公前で大規模な集会が行われました。DJタイムがあったり、ドラァグクイーンのPiNa Ninaさんのショーがあったりという、まるでゲイナイトのような場面もありつつ、山口智美さん(モンタナ州立大学教員)や鈴木みのりさん(ライター)、土屋ゆきさん(レズビアンの活動家)、カナイフユキさん(イラストレーター)ら、様々な方がマイクを握り、熱く語りました。とりわけ、北丸雄二さんのスピーチが素晴らしかったです。
 
 同じ8月5日には、香港のオープンリーレズビアンで歌手のエレン・ロー #盧凱彤 さんが自殺したというニュースがありました。「嘲り笑いながら「自殺率が高い」と言っていた杉田議員の動画が頭をよぎった。とても悔しい」というツイートも見られました。
 
 8月7日、難病患者や障害者団体の幹部らで作る団体「生きてく会」が、「出産しない人は生産性がないから、行政的支援に値しないと断じたもので、障害者の心を深く傷つけた」として、杉田議員に謝罪を求める声明を発表しました。

 8月12日、下記のロバート・キャンベルさんのblog記事が掲載され、世間に大きなインパクトを与えました。

 8月20日には「杉田水脈衆議院議員の発言に抗議する出版社代表82社の共同声明」が発せられました。

 同日、龍谷大学の教職員有志が、杉田議員の発言を不当な差別発言だとして抗議する緊急アピール文を発表しました。
 

 

ロバート・キャンベルさんが語り始めました

 ロバート・キャンベル氏は、1957年、ニューヨーク生まれのアイルランド系アメリカ人。ハーバード大学東アジア言語文化学修士課程修了後、1985年、九州大学に研究生として留学するために来日し、1990年、九州大学文学部講師となり、1995年には国文学研究資料館助教授、東京大学総合文化研究科助教授に就任し、2008年には同教授に昇格、2017年から国文学研究資料館館長(専任)を務めています。また、日本テレビ系情報番組「スッキリ」の火曜コメンテーターを務めるほか、「あさナビ」(テレビ朝日)、「あさイチ」(NHK総合)、「Jブンガク」(NHK教育)などにも出演しています。国文学の研究者だったということは知らずとも、テレビに出てる姿は見覚えがあるという方は多かったのではないでしょうか。

 8月12日、そんなロバート・キャンベル東京大名誉教授が自身のblogに「「ここにいるよ」と言えない社会」という記事を掲載し、「性的指向や性自認のことを『趣味みたいなもの』と言うのを聞いて笑ってしまった」「同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々をひっくるめて『生産性がない』ので『支援』に値しないという別の議員が発した言葉も、お粗末すぎて、反論する気持ちも起きません」「私自身、20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た経験から言うと、この国で、性的指向のために身に危険を感じたことは一度もありません。数年前、重い病気で入院した時も、窓口で状況を説明すると事務員から看護師、主治医にいたるまで淡々と治療方法や予後のことをパートナーにも伝え、終始、自然体で接してくれました。それは今でも、感謝にたえないことです」「積極的に排除はしないが『触れてほしくない』が日本の常識で『美風』であるなら、改めるべき時期に来ていると私は信じます」「アンケートにLGBTが『周囲にいない』と答える日本人が多いのは、存在しない、ということではなく、安心して『いるよ』と言えない社会の仕組みに原因があります。ふつうに、『ここにいる』ことが言える社会になってほしいです」と綴りました。

 この直後からメディアの取材が相次ぎ、14日は共同通信のインタビュー記事が掲載され、キャンベル氏はあらためてゲイであることを明らかにしたうえで「政治家がこういうことを言うことに幻滅し、危惧も感じる」「(性的指向は)自分の中に通底する一つの芯のようなものだ」「大きな誤解が波及していくと感じ(同性愛者である)自分の立場から批評することが重要だと思った」と語りました。

 16日にはAbemaTV『AbemaPrime』がキャンベル氏をスタジオに招き、お話を聞きました。「これまで職場や生活の場において差別を受けたり怖い思いをしたりすることはなかったが、私は非常に特殊な立場にあった。つまり日本人ではなく白人の男性。そして研究者として大学という特殊な空間の中で仕事を続けてきたので、潜在的に理解者がいたということになる」「1980年代、日本でエイズが"ネタ"として話されていた酷い時代だったら、自分の立場は無くなっていたかもかもしれないと考えている」「パブリックな言論空間では、あえて自分がLGBTであることは言わなくてもよいと思っていた」。そんなキャンベル氏が今回、カミングアウトに踏み切ったのは、「自分の思いを伝えるためには、まず立場を明らかにしないといけないと思ったから」。自分のことだけではないから、と、公開にあたってはパートナーの方(アメリカで結婚もしています)と1時間ほど話し合ったそうです。(BLOGOS「ブログで杉田議員を批判 ロバート キャンベル氏と考える、LGBTと日本社会」)

 1週間後の21日には「スッキリ」の生放送に出演しました。MCの加藤浩次さんから現在の心境を尋ねられ、キャンベル氏は『いつもと同じ、だけれど空気が少し軽くなった』とフリップに書き込んで回答しました。「僕のスタッフも家族も知ってくださっていた方々はたくさんいたのですが、公言はしてこなかったので、(反響が大きく)大変なことだなと思った」「(カミングアウトには)段階、段差があって、この人には言っているけど、こちらには言っていないという状況がある。今回(公言したこと)でそういう薄い壁がなくなって、パーッと酸素がちょっと美味しくなった」と語りました。「公にしてとてもよかったと思います。“攻撃・排除はしないけれど手を挙げないでほしい”というこの国の空気が、個人のポテンシャルを妨げている、できることをできなくしている、生きづらさを増やしていることを実感できた」(楽天WOMAN「ロバート・キャンベルさん 同性愛公表で反響「薄い壁なくなって酸素が美味しくなった」」)
 
 同じ21日には、ゲイであることを公表して新聞などにも載った15日の出来事を語った記事が掲載されました。
「朝のゴミ出しをした時には、近所に住んでいるおじさんに会いました。その方は新聞を熱心に読む人なので、おそらく私のニュースも知っていたと思います。落ち葉拾いをしていたので、防鳥ネットを開けてゴミ出しを手伝ったけれど、いつもと変わらない日常のあいさつをしてくれました。特別なことは何も言わなかった。
 少しまわりの目を意識してしまったり、握手を求められたりはしましたが、自分の普段の生活に何も変わりはなかった。
 特別なことは、何も起きませんでした。
 ああ、こういうことなんだなぁ、と思いました。
 性的指向や性自認というのは、「あの人はボーダー模様が好き」といったような、人となりを表す一つの要素というか、他者との繋がりあいにおいて「気づく」ことの一つに過ぎないのだな、と感じたんです。
「公表」によって、少し空気が軽くなったというか、フィルターが1枚剥がれた感覚はあります。私の本質や神経が「裸」になったようにまわりの人が感じ取ってくれて、人との接点の可能性が広がり、人と交流する上での「リーチ」が少しだけひらけた予感がします」
 とても印象的な、素敵なお話でした。
(HUFFPOST「「同性愛を公表するために、ブログを書いたのではない」 ロバート キャンベルさんが伝えたいこと」)

 最新のYahoo!ニュースの「「日本は変われる」ゲイ公表のキャンベル氏」というインタビュー記事では、反響の大きさに驚いた、と語っています。「共感を寄せてくださった人たちに共通するのは、当時者であれば自身の体験、その他の方々は身近に見たこと感じたことを、一人称で書いていることです。その上で、私のブログに対する意見や感想を述べています」「これに対し、否定的な意見の人たちの書き込みは、『キャンベルは寄稿の全文を読んでいない』と勝手に決めつけたり、根拠を示さずに『家族が崩れる』と主張したりするだけで、自分の体験や直接見聞きしたことはどこにも書かれていません。何かをきっちり守ろうとする、非常に教条主義的な印象を受けます。LGBTという言葉を、そのまま彼らが反対する別のテーマに置き換えても使える、テンプレートのような文章が多いという印象です」と述べていて、たいへん興味深かったです。

 国文学の分野での権威であるだけでなく、お茶の間でも顔が知られた存在であるロバート・キャンベル氏のような方が、こうしてカミングアウトを果たし、国会議員による差別発言がまかり通ってしまう状況に一石を投じてくれたこと、たいへん心強く、勇気づけられます。blog記事も本当に素晴らしいです。氏が語るように、安心して『ここにいるよ』と言える社会になるために、「粗末な発言よりも、それが雲が湧くごとく生まれ得る日本社会の仕組みについて議論すること」が重要なのだと考えさせられます。

 

 


これからの展望


 8月24日放送の生ホンネトークバラエティ『バイキング』(フジテレビ)は、コメンテーターのみなさんが杉田発言を厳しく追及していて、出色でした。
 まず、東国原英夫さんは「差別とか偏見とか、蔑視なんですよね。右とか左とかいうような思想的なものではないんです。根本的な、もう憲法違反と言っても過言ではないくらいの話」だと、共同通信論説委員の柿崎明二氏は、「これ、あまり目立ってないんですけど、性的な多様性を認めていくと、ペット婚とか機械と結婚させろという声が出てくるって(書いている)。出てきてもそんなの議論の対象にはならないですよね。人間じゃないんだから。ぼくはハッキリ言って破綻していると思いますよね、思考が」と、真っ向から批判。元衆議院議員で弁護士の横粂勝仁氏も、「あらゆることの認識がずれてまして。このLGBTに対する認識もそうですけれど、(LGBTに対する)その支援がいらないって言いますが、その支援っていうのがLGBTの方が何か特別な利益を得るような政策だったらまだしも、普通と同じように平等に、っていうところが本当に支援なのか。支援もないところに、支援が不要だってところが、ちょっとおかしいな。ずれてるなって感じがしますね」と指摘しました。続いて柿崎氏は「これLGBTの問題というよりも、政治はなにかという話なんです。政治は弱者とか少数者のためにあるんで。多数派だけでいいんだったら、AIでやればいいんです。そうじゃない少数派をどう統合して救うかというのが政治なわけですね。多数派も納得して。というのをまったくわかっていないので。そういう意味で政治家失格だと思いますね」と述べ、司会の坂上忍さんも、「おれの理屈でいえば、こんな議員の資質のかけらもないようなやつに、言われるんだったら、あんたを税金で養っているほうが、よっぽど生産性がないって」とバッサリ。
 柿崎氏はさらに、杉田議員が自民党の中国ブロックの比例単独1位だったことを強調して、「(杉田議員は)小選挙区制には出ていないで、比例代表の1番なんですよ。つまり、自民党と全く同じ政策の人ですと、自民党が出している候補なんですね。それを(杉田氏が)自民党が出しているLGBTの政策と全く真逆のことを言う。なら辞めてと言わないとダメですね」。また、杉田議員が7月22日に「間違ったこと言ってないんだから、胸張ってればいいよ」などと「大臣クラスの方」から声をかけられたとツイートした(現在は削除)ことに触れて、東国原さんは「大臣クラスの人が支持している。それは名前くらい出してほしいですよね。ということは自民党のなかにある一定数、この意見を支持する人たちが、集団がいるってことですよね。それをやっぱりつまびらかにしていただきたいと思いますね」と述べました。
『バイキング』で坂上忍、土田晃之が杉田水脈を徹底批判!「びっくりするほどひどい」「ただのバカ」、自民党の責任も追及
 
 8月25日現在、杉田議員はまだ謝罪も撤回もしていませんし、除名処分にもなっていません。このままお咎めなしで、なかったことにされていくのか…今までの抗議運動や、メディアの応援は、ムダだったのかというと…。そうではないと思います。
 弁護士ドットコムニュース「「日本が前進していることの表れ」杉田議員「LGBT生産性がない」炎上について考察」で「今回、杉田議員の発言に対して、多くの国民が実際に声を上げました。これは、多様性を尊重する社会に向けて、日本が前進していることの表れといえるかもしれません」と書かれているように、以前だったらメディアもまともに取り扱わず、当事者も泣き寝入りを余儀なくされていたような状況だったところが、きちんと正面からダメだと批判し、LGBTを擁護し、当事者も(権力に屈せず)声を上げられるようになった、というところは、大きな前進だと言えるでしょう。

 キャンベルさんはこう書いています。
「今は、インターネットが発達したことで他者と繋がりやすくなり、他人の経験を簡単に「追体験」できるようになりました。特に若い人の間では、その追体験への興味やリテラシーが深まっている。
 それなのに、「セクシュアリティ」の領域だけが動かずにとどまっているというか、たとえて言えば、池の中が「泥(なず)んでいる」状態が続いている感じがしています。
 そんな状況で出てきた杉田氏の言論は心ないものではありますが、彼女の発言を発端として繰り広げられている議論は、それまで動かずに堆積していた池の底の腐葉土が攪拌(かくはん)され、大きなエネルギーを放出しているような状態とも言えます。
 でも、そうした不透明な状態の中でも、もしかしたらここに蓮の花が咲くかもしれないというような、希望も感じています」
「同性愛を公表するために、ブログを書いたのではない」 ロバート キャンベルさんが伝えたいこと

 1969年のニューヨークで、警察からの暴力が日常化し、鬱憤がたまりにたまっていた時に、ふとしたきっかけで暴動が起き、ゲイ解放運動のブレイクスルーになったように、杉田発言をきっかけに、歴史が大きく変わるような流れが生まれつつあるのかもしれません。メディアも、世間の人たちも、ロバート・キャンベルさんも、これだけ一緒になって動いてくれているわけですから、当事者である僕らの側がもっと声を上げ続けていけば、「蓮の花を咲かせる」ことができるかもしれません。 
 
(2018.8.25 後藤純一)

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