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樋口めぐむ『ひとり野戦病院』

今月も樋口めぐむさんが新作小説を寄稿してくださいました。作家は己に似た人物を描くものなのではないか、と前置きしつつ、ある種のゲイのリアリティを抉ってみせるような短編となっています。ぜひお読みください。

樋口めぐむ『ひとり野戦病院』

樋口めぐむさんが今月も新作小説を寄稿してくださいました。作家は己に似た人物を描くものなのではないか、と前置きしつつ、ある種のゲイのリアリティを鋭く抉ってみせるような短編となっています。『ひとり野戦病院』、ぜひお読みください。


ひとり野戦病院

 若くして人気作家になり十年コンスタントに活躍している女性作家・Kの最近の写真を見た。私は四十代半ばの男性同性愛者であり、女性の容姿に対する関心が薄い。だがKについては、「へえ美人だな、モデルさんになれそう」と今さらながら思った。
 Kの作品をすべて読んでいるわけではない。だが、読んだ作品たちの主人公は繊細で神経病的な若い美女、というイメージを抱いている。Kの書く主人公を私は勝手にK自身のビジュアルに重ねていたのである、いや、重ねたくなる描写があったのだろうか。
 そしてふと思った、Kが自分の容姿をどう捉えているのかは知らない、少なくとも誇っている発言を見たことはない、だがKがもし不美人だったら、繊細で神経病的な若い美女を描くことはなかったのではないか、KもどこかでK自身をイメージしモデルとして主人公を創造したのではないか。
 敬愛するベテラン女性作家のSさんはブスだと言われ続けた。Sさんは一時期Sさん自身と思しき主人公を設定し、その主人公の不細工な容姿を精緻に念入りに描写した。
 それは私の解釈では、容姿で女の価値を測る男性社会への異議申し立てであった。「あたしはブスですよ、自分で描写できるくらいブスを客観的に認識して眺めていますよ、そんなあたしをあなたたち男性はどう扱いますか」、Sさんのある時期の作品からはそんな声が聞こえる気がした。
 美人であるKは美人を主人公に小説を書く(少なくとも私が読んだ作品たちでは)。ブスと言われ続けたSさんはブスを(ある時期においては)描写する。容姿は自意識の形成に影響するのか、あるいは作家の執筆活動にも。と同時に、己に似たものにひとは興味を抱くのか、と仮定が生まれた。まったく関心のないものを小説にすることは難しいのではないか。


 ――ふざけんじゃねーよ!
 自宅のマンションのリビング、スマホを睨みながら為助(ためすけ)は内心で口汚く罵っている。
 為助は四十七歳である。為助はスマホでフェイスブックを見ている。為助と同い年のゲイが社会運動をしており、その活動がメディアに取り上げられて万を超える「いいね」をもらっているのだ。
 先日友だち十名ほどにラインを送った。
「次の連休にバーベーキューやらない? おれ手配するよ!」
 十名のうち五人が、「あー、仕事が忙しくて」とか「ごめん、都合悪いの」と返信してきて、残りの五人は既読スルーであった。仕事が忙しいなんて嘘ではないのか、そう、為助が「友だち」と思っているひとびとは単なる「顔見知り」であり「友だち」では全然なかったのである。
 事そこに至りて、ようやく為助も人望のない自分を認めた。孤独だ。淋しい。淋しいところに「いいね」大量獲得の同い年。ふざけんな。
 ほんとはおれが有名人になってもおかしくはなかった、気の置けない友人とのホムパに呼ばれて自分撮りしてそれSNSにあげてたくさんの「いいね」をもらうはずだった。メディアにイケメンとして取り上げられてもいい、テレビにだって出られたかも。
 為助は呪う。世間様にちやほやされるまでには相応の苦労をしているとは考えず、ちやほやに付随する面倒も考慮せずに羨む。
 そして、現実にはバーベキューの開催を目論み、だれひとり参加表明してくれないのである。生まれた妬みが夏の空を覆う灰色の雲となり、為助の内側に土砂降りの雷鳴をとどろかせた。
 四十七歳にしては、という但し書きがつくが、為助の容姿は悪くない、むしろイケメンと言える、若い頃には俳優のだれそれにそっくりと言われたものだ。
 若い頃、自分でお金を出してお酒を飲んだことなどない、「かわいいね」「今晩ひま?」とちやほやされて、年上のお仲間が必ず奢ってくれた。
 男を作るのに困らなかった。告白してくる男が次から次へと現れた、「付き合ってくれ、この通り!」と路上で土下座したオヤジまでいたのだ。そんなにおれって魅力的? と浮かれながら無視して別の男とホテルへ行ったが。
 飲み屋の花であった、「アパレルのタメちゃん」を知らないお仲間はモグリだと笑われた、怖いもの知らずであった、仕事に疲れたおっさん連中を陰で大いに馬鹿にした。
 だが。
 だれと付き合ってもプライドの高さが原因で長続きせず、男なんて星の数ほどいるもんと油断して、けれども三十代半ばになった頃から急にお声が掛からなくなったのだ、店に行ってもだれも話しかけてくれない、かつて共におっさん連中を馬鹿にして街を飲み歩いた友だちは、ちゃっかりいつの間にか男を作って「カップル」をやっている。隣の客に「ほら、アパレルのタメちゃんだよ!」というテンションで話しかけても迷惑そうな顔をされるだけであった。
 生老病死、万物流転。為助は年月と共に容姿が衰える、自分もいつかおっさんになるという当たり前を考えず、知性や気配りやマナーや、人間的・内面的魅力を磨くことを忘れて、己の「商品価値」が下落していることを薄々察しながら横柄な態度を改めることができず、いまでは周りに煙たがられていると感じているけれども、だからどうすればいいのか分からなくなり情緒不安定になり、ますますひとを遠ざけてしまうのだった。
 気がつけば「ブスだ」、「お金ないじゃーん」と嘲笑っていた冴えないお仲間が堅実に人生を歩み周囲の信用を得て、信頼できるパートナーを作り、持て囃されることはなくても大人のリア充として幸せそうなのである。いや、ほんとうはだれだって相応の悩みや問題を抱えているのだが、そして悩みに対処しているのだが、それが見えないほど為助には彼らがまぶしいのだ、悩みに悶え苦しんでいるのは自分だけの気がする。
 どんな人間でも、自分、が大事であることは普通である。だが、ときに自分よりも他人を尊重しなければならないと知ること、あるいは、自分にとって自分は宝だが世の中にとっては大した意味を持たないと知ることが本当の大人となる条件なのだとしたら、為助は大人ではなかった、四十七歳のお子ちゃまであった、周囲と自分の適切な距離、どうしてもそれをつかむことができない。
 為助は不満を抱える、蝶よ花よと持て囃されたアパレルのタメちゃんが話しかけてやっているのになぜみんな迷惑そうな顔をするのか、場を盛りあげようとハイテンションで下ネタを飛ばすけどドンズベリして白けた空気が漂うのはなぜか。
 どうしてバーベキューにだれも来てくれないのか、デートに誘うとそっけなく断わられるのか、断わってくれるだけいい、返事すらもらえない。
 だれか相手をして。話を聞いて。おれに囁いて、「きみには価値があるよ」
 望んだものが手に入らず、しかし手に入らない理由は主に自分にあるとどうしても考えられず、いっそう攻撃的になり始終いらいらし、助けて! それは偽らざる魂の叫びだ。
 食べかけのコンビニの弁当、おにぎりを包装したビニール、ひねり潰されたビールの空き缶、なぜかシャンプーの瓶、ペットボトル、ご飯のこびりついた食器、脱いだ服、穴のあいた靴下、乗りもしないバランスボール、電池の切れた時計、折れた割り箸、みかんの皮、たまった埃、茶渋のこびりついたカップ、欲しいわけでもないのに買ってしまう大量のアイドルのDVD、引っ越して開けられていない段ボール箱、為助の部屋には物が散乱していて座るのにも苦労する。精神の混乱が「片づけられない部屋」として表に出ている。為助は結構ぎりぎりのヤバイ状態にいる。
 するとスマホが鳴り、むかしから行くバーのマスターからメールが届いていた。
「お誕生日よね、おめでとう、幸せな年になりますように。またね。」
 忘れていた。誕生日であった。為助は四十八歳になった、また衰えの階段をひとつ昇ったのだ、それを直視したくなくて誕生日を忘れていた。
 マスターのお祝いメールを読み、まず為助の胸を走ったものは怒りであった、「営業メールじゃねえか、儲けたいだけなんだろ、偽善者ぶっておめでとうとか言いやがって」
 ひとの親切を親切と受け取れない、それほどまでに為助はゆがんでしまっていた。
 しかし画面をにらんでいて、怒りが静まった後に目頭が熱くなったことを為助は感じた。
 うれしいのであった。客と店の関係かもしれない、でも少なくともこの世界にひとりは、為助を気にかけてくれるひとがいた、ゲイであることを理由に疎遠になった親兄弟ですらメールをくれないのに。
 床に散乱した物からどうにか着られそうな服を引っ張り出し、為助は少し装った。フレグランスを襟元につける。
 メールをくれたマスターの店に行き、「ありがとう」と直接伝えるつもりであった。


 三十年以上ぶりに訪れる琵琶湖は当たり前だが大きかった。
 薄曇りの空は今にも雨を降らしそうであり、空を映す湖面は空よりも濃い灰系統の色をしている。
 遊覧船が通りその向こう、遠くに比叡山が黒く盛り上がっている。
 三十年以上前、小学生のときに、両親に兄姉、家族で琵琶湖の宿に泊まった。
 それは、私が持つ数少ない家族旅行の記憶であった。
 家が裕福ではないとか父が外出を好まないとか色々理由はあったが、旅行などで濃密な時間を過ごす、つながりを確認する、家族のだれもがそのことを嫌がっていた。確認すべきつながりなどなかった、私の家族は健全から遠い。
 琵琶湖の旅行中、家族のだれかが不機嫌になることを怖れて、私はずっと道化を演じていた。「この子は馬鹿だね」と家族は笑い、旅行はかろうじて和やかなムードを保たれて、笑われることで痛みを感じ、だが家族間の諍いを避けられてほっとする自分もいた。
 作家は興味のない物を小説にしない、という仮定が生まれた。それが正しいのかどうか分からない。きっと例外はあるだろう。
 だが、私は為助を描かずにはいられなかった。野戦病院にも似た傷だらけの内面に渦巻くものを言葉に直さずにはいられなかった。
 美人は美人を描きブスはブスを描く。私は病んだひとを書いた。私もまた、自分ではいかんともし難い病みを抱えているのだろうか。四十代半ばとなっても人前では道化を演じてしまう、それが病みを抱えている証拠ではないのか。
 私は為助に、「ありがとう」と言わせようとした。そう書いた。一年前の私ならば為助をもっと悪意の泥沼に突き落としていただろう。だが、いまはそうしたくない。悪意を踏まえた善意の有難みに気づいてしまった。
 ひとは、だれかとつながらずにはまともに生きられない。その断言が真理ではないならば、まともに生きるのは難しいと言い換えてもよい。
 そしてひととのつながりを保つものは、ちょっとした善意、あるいは謙虚さ、乃至は気配りであると思う。少し自分が損してでも相手に花を持たせる、それを交互に繰り返すことで友情とか恋愛感情とか信頼は保たれると思う。
 為助に「少しは他人を赦してみなよ、そうすればいつか自分を赦せるようになるよ」と先人の言葉を引用して諭したくなったのは、ほんとうは、私自身が他人を赦したいのかもしれない、他人の向こうの自分を。
 琵琶湖の近くのホテルへチェックインすると、手違いで禁煙ルームが予約されていた。私は時代遅れのヘビースモーカーである。
 満室とかで部屋を替えてもらえず、不機嫌になりながら、だれでもミスはあるよな、と私は強くはクレームを言わなかった。ただし、ホテル名を伏せてSNSでギャグ風味にグチるくらいのことはした。
 禁煙ルームの窓から見える琵琶湖は相変わらず泰然とし、感傷かもしれないが夕焼けに染まるそれは、静けさを孕んでいる。