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白鳥健治連作小説『同じ色の膚』第1回「天安門広場からスターリン公園へ」

樋口さんの『緑の海』に続き、今月からは白鳥健治さんの連作小説『同じ色の膚』をお送りします。男どうしで愛し合うにはあまりにも厳しい時代の淡い初恋を描いた作品で、大河小説のような趣があります。

白鳥健治連作小説『同じ色の膚』第1回「天安門広場からスターリン公園へ」

白鳥健治さんは『バディ』誌などで活躍していた方です。
『同じ色の膚』という小説は、g-lad xxのために書き下ろしてくださったものです。以前ご紹介した台湾のドラマ『ニエズ』を彷彿とさせるような、男どうしで愛し合うにはあまりにも厳しい時代の淡い初恋を描いた作品で、大河小説のような趣があります。
これまであまり読んだことがないタイプのゲイの時代小説は、白鳥さんの筆致と相俟ってきっと大人の味わいをもたらしてくれることでしょう。そして、よく考 えると僕らが生きている「現在(いま)」だっていろんな意味で時代の制約を受けているわけで、そういう意味でも決して遠くはない、十分シンクロできる作品 だと思います。
主人公と黄少年の「相寄る魂」が結ばれる日は、果たしてやってくるのか……時代を越えたせつなさを感じ取ってください。(後藤純一)


第一回 天安門広場からスターリン公園へ

 1990年、夏。北京の天安門広場はなにもなかったようにひっそりと静まっている。今年になってようやく戒厳令は解かれ、昨年の血塗られしその場所も、 もうまるで平和の装いをしている。私は、折から厳しくなった暑さのせいで、脱いだ上着を小脇に抱え、ハンカチで額の汗を拭いながら、眩しい陽射しの降りか かるコンクリートの広場を、歴史博物館から人民英雄記念碑の方向に向けてゆっくりと横切っていった。だけど、あの事件の痕跡は残っていて、かつて胡耀邦の 遺影と花で飾られた記念碑には、誰かがペンで書きつけた中国語の文字が記されてある。その消えかかった文字は、やはり夢ではなかった昨年の6月を私に思い 浮かばせるのだ。
“生ぜしことを世界に告げよ”
 あの事件の最中に学生が書き記したのだろう。力強く粛然とした響きのする言葉には、この場所で起こったことを単なる一国の一都市の事件として終らせるの ではなく、国境を越え、時代を越えて広く全世界に向けて伝え、残してゆきたいという書き手の切なる思いが込められている。私がここに私の経験した古い時代 のことを書き記そうと思いたったのも、この言葉に喚起されてのことだろうか?  私の記す話は、45年も昔の個人的なことだが、未来を夢見るよりは過去を振返ることの方が多くなってしまった、生い先長くない憐れな老人の呟きとして聞い て欲しい。あの日、6月4日にこの広場を埋め尽くした学生、市民たちの、若く情熱溢れる幾つもの声、それらが権力という厚い壁の内側に塞がれ、暴力によっ て揉み消されていったことを思うと、胸が突かれる。そして、私の親愛なる友人は、その固い壁の内側で今も暮らしているのだ。

 電話口に出た黄さんは、予め手紙で予告してあったにも関わらず、私の声を聞いてたいそう驚いたようだった。
「関さん、まさか、本当にいらっしゃるなんて……」
 昔聞いた黄さんの懐かしい北京語が私の耳をくすぐる。私は笑みを浮かべ、これも幼少の頃にこのハルピンの街で現地の人たちに溶け込み生活してきたことによって自然に習得した北京語で言葉を返した。
「暫く……」
「今、どこにいるんですか?」
「ハルピンに来ている。駅の公衆電話だ。君の家まで行ってみたいが、私たち観光客には規制があって……」
「私の家は駄目です」と、黄さんは言葉を返した。「家族がいるんです。家の中では話はできません」
「どこでもかまわないが、私は……」
「駅にいるんですね? 私がそちらまで行くには1時間かかります。そうですね、午後3時にスターリン公園にある防洪記念塔の前でどうですか?」
「わかった。スターリン公園の防洪記念塔の前で、午後3時に……」
 スターリン公園はハルピン駅の北側、徒歩でおよそ10分のところにある。キタイスカヤの石畳の並木道を抜けると、少年の頃に遊んだ想い出深い松花江(スンガリー)に突きあたる。その河川敷に作られた細長い公園が今ではスターリン公園と名づけられている。
 スターリンはこの地を満州国の支配から解放させたことで英雄とされているらしい。その英雄の指揮であの恐ろしい軍隊が侵攻してきた時、私たち日本人がど んな目に遭わされたか…… どんなに非道で残虐な行為も、異なる陣営に組する者からすれば輝かしい英雄的行為へと変わる。ヒロシマ・ナガサキをいい例にし て。それが戦争だから……
 午後3時きっかりに黄さんが来た。私を見るなり一瞬笑みを見せたが、その後ですぐに当惑するように暗い陰になった顔を俯かせた。国民服を着た体の、頼り なげな肩の先が震えていた。私と同様、顔に皺が刻まれ、ガタイも大きくなり、髪には白いものがめだっていた。だけど、私には、あの幼かった黄少年の初々し くて愛らしかった顔立ちが浮かんでくるようなのだ。
 黄さんは、観光の名所として賑わいを見せる防洪記念塔の前から私を連れ出し、公園の隅のあまり人気の少なそうなベンチへと私を導いた。
「ハルピンはすっかり変わってしまった。あの頃とは見違えるようだ……」と、私は寡黙がちな黄さんの気を和らげるために、感慨を込めて語った。
 園内の中央にそびえる防洪記念塔。まだ堤防の築かれる前、松花江の氾濫による洪水を人民軍と市民が協力して防いだ。その功績を記念して建てられた塔である。このスターリン公園同様、私がハルピンに住んでいた45年前にはなかった。
「関さん、すみません、こんな場所で…… だけど、どうか察して下さい。この国はあなたたちの国とは違うんです」
 彼はしきりになにかを気にしているようだった。私を自分の住んでいる国民アパートに迎え入れられなかったことか。旅行者立入禁止区域が市内のあちこちにあるのだもの、観光地でもない住宅街の奥深くにある黄さんの住居まで訪ねてゆくつもりなど、私にはなかったのだけど。
「あなた、知っているでしょう?  昨年の6月、北京で起こったことを。あの天安門広場でハンストを行っていた多くの学生や市民がどんな目に合わされたかを……  この国の政府は反乱分子を探し出すのに躍起になっています。北京政府は市民に平気で密告を勧めていて、密告された者は誰であろうと容疑者として記録される んです。私たちは常に監視され続け、その絶大な恐怖の中で暮らしているんです」
 悲憤の込められた黄さんの声に私は返す言葉がなかった。彼は、まるで人に聞かれるのを怖れるかのように、周囲を見回し、声を潜め、人が通りかかると不自 然に口を噤む。彼が導いたこのベンチだって園内のめだたない隅にある。そういうことか、と私は悟った。彼が、隣人とは薄い壁一枚で仕切られているだけなの かもしれない、自分の暮らす集合住宅の一室に私を呼べなかった訳を……
「私は今、ハルピンの学校で教師をしています。いちおう知識分子の端くれとして、政府から目をつけられている身なんです」
「知っているよ、君がくれた手紙に書いてあった……」
「ああ、あの手紙……  でも、あなたがくれた手紙の返事に私が書き送った手紙にもありきたりのことしか書けなかった。私の本当の気持ち、私が本当に伝えたいことについては何一つ 表わすことができなかった。何故だかわかりますか?  検閲されているからですよ。とくに海外への手紙――それも日本や韓国を含めた西側諸国への手紙は……」
 私は言葉に詰まり、黙り込むしかなかった。現在彼のおかれている深刻な状況について顧みることをせず、今更ながら懐かしさだけを抱えて彼に会いに来てしまったことに後悔さえも感じた。
「そして、この国の政府が危険視しているのは、なにも自由主義者や民主化運動の担い手ばかりではない。同性愛者もそうなんです。この国では同性愛は法律で 古くから禁じられています。同性愛者だということだけで刑務所に送られるんです。今までにいったいどれだけの人たちがどういう目に合わされてきたか……  ああ、あなた、想像できますか?  2年前、この国の17歳の高校生が日記を盗み読まれたために自殺しました。自分が同性愛者であることを書き綴った日記を!  その内容が知れ渡ったばかりに、それが原因で、彼は学校から停学処分を受け、友人たちからはそしられ続け、父親からは咎められ、殴られもしました。そうし た日々の辛酸の中での思いあまっての自殺です。ただ正直に自分の感じたこと、思ったこと――心の中の真実を日記に書き連ねただけで自殺に追い込まれるので す。この国の政治は腐敗しています。毛沢東の行った文革はたしかに貧しい農村に活気をもたらしはしたけれど、それも長くは続かなかった。その後の四人組 も、華国鋒も、鄧小平も、いったいこの国に何をもたらしたか?  より強度の貧困と抑圧です。国家による搾取です。民衆に対しての独裁です。今は農民は過酷な重税によって苦しめられています……」
「私はなにも、君とあの頃のような関係に戻りたくてここに来たんじゃない……」と、私は力を込めて語り続ける黄さんの言葉の勢いに圧倒されながらも、おずおずと声を出して言った。「あれから45年もたってしまった……そうするにはもうお互い年をとりすぎてしまった……」
 黄さんは虚ろな目をずっと前方に注いでいた。園内を時々こちらを振り向きながら通り過ぎる通行人のことを気にしているのだろうか?  ぼんやりとなにかを思いやるようにして顔を上げている彼の様子には、異常なほどの警戒心はないようだったけれど……
「でも、私はどうしても君に会いたかった。君は今でも私の大切な友達だ。この45年間、心底から君のことを忘れた時なんて一度もなかった。1972年に なって中国と国交が回復して、この国へも手紙が出せるようになってから、いろいろ手を尽くして君の所在を確かめようとした、そして、ようやく君が今もハル ピンに住んでいることを知った時、いてもたってもいられなかった……」
 私がそう言った時、黄さんの肩が震え、微かに息を乱すのが感じられた。
「あの頃のことは本当に夢のようだ……  でも、私は忘れない……  この街で、君とともに過ごした日々のことを……」

       ※

 いったいいつ頃この街に来たのだろうか?  幼い頃の私にはその記憶はない。当時満鉄の職員をしていた父と母は、私と妹が生まれる以前に、言いかえればそれは1932年の満州国建国以前に、この街に来て、既にここで暮らしていたという。
 黄と初めて会ったのは、私が国民学校の上級生の頃だった。私は学校の校庭で同じ日本人の吉次や武雄たちと遊んでいた。その頃、私たち日本人の子供の間で は“懲罰”という遊びがはやっていた。“懲罰”などというが、いわゆる“イジメ”だった。中国人の子供を捕まえては、勝手な言いがかりをつけ、誰もいない 校庭の隅に引っぱっていっては殴りつける。私の通う学校では、日本人の生徒は少数で、大半が中国人の生徒だった。それだからこそ、私たち日本人生徒は学校 では威を奮っていた。恥ずかしい話だが、私は自分が占領民族であるという優越感を、被占領民族である中国人に対して、何の疑問もなく、まるで当然のことの ように抱き続けていたのだ。
 その時犠牲になったのは、同じ学年の金と申、それから一学年下の黄という少年だった。金と申が日本人の悪口を言った。彼らが日本人の兵隊のことを“東洋 鬼(トンキンポー)”と言ったというのがその因縁だった。二人と一緒にいたがために黄少年も巻き添えをくらった。吉次は怯えすくんでいる三人を一列に並ば せ、一人ずつ固めた拳で殴りつけた。それは私たちがよく教師からビンタを食らうのと同じ要領で、自分たちが受けた屈辱を今度は加害者としてより弱い者たち に味わわせてやることでその憂さを晴らすかのように。私は直接手を出すことはなかったが、他の日本人生徒たちと一緒になりながら、そのことを何とも思わず に、吉次の後ろでただ黙って見ていた。当時11歳の黄少年は、無力な獣のように悲しい目をして、自分が殴られる番が来るのを待ちかまえていた。小柄で色白 でひ弱な体をした少年――私はじっとその少年を見つめていた。彼が例外なく吉次の固い拳で殴りつけられる(吉次の拳は年下の彼に対しても情け容赦なかった のだが)、あの色白の美しい頬が赤く腫れあがる瞬間を、一世一度の見世物のように見物していた。それからまるで何事もなかったように晴れがましく笑い合っ て校庭を後にした日本人生徒たちの列に加わりながらも、何故かしら私は心の奥底ではそこに残された少年の痛ましく腫れあがった頬のことばかり気にしてい た。傷ついた者を思いやる労りの裏側では、サディズムのようなぞくぞくした興奮も否定できずに……
 私が黄と言葉を交わせるぐらいの仲になることができたきっかけは、彼を私の住んでいた家の前で見かけた時のことだった。私が表で妹と遊んでいると、偶然 そこを彼が通りかかった。手には草で編んだ手提げを掴んで、きっとお使いの途中だったのだろう。私は向こうから歩いてくる黄の姿に夢でもみるようにぼんや りしていたが、彼は私の顔を見定めるなり、ギョッとしてその道を引き返そうとした。あの時、自分を殴りつけた日本人の子供の中に私がいた――その記憶が彼 の脳裏を過ぎったに違いなかった。「待てよ!」私は言うなり彼の後を追いかけた。向こうは重そうな荷物を持っている。走り続けるには困難を要したらしかっ た。すぐに私の手に掴まり、私は彼を背後から乱暴に引き寄せ、胸をドキドキ高鳴らせながらその夢にまでみた顔を正面から覗きこんだ。あの時、吉次に殴られ た跡は完全に消えうせ、色白の頬はもとの美しさを回復していた。彼はしっかりと手荷物を胸に抱きかかえた。奪われるとでも思ったのだろうか?  手提げの中には醤油や白鶴の瓶が入っていた。それらが震える彼の腕の中でカタカタ音をたてた。物資窮乏の当時においては貴重な品だ。その時の彼の目――あ の日と同じの、怯え、すくみ、殴られるのを覚悟した、屠殺場の家畜のような目だった。私はその目を見て、胸が突かれる思いがした。咄嗟に私は当初考えてい た行動をとった。ポケットに入れていた駄菓子屋で買った菓子を取り出し、しっかりと手提げを胸に抱いた彼の震える手に握らせた。「これ、やるよ」と、たっ たそれだけのことを言うのがやっとで、まるで悪いことでもしたかのようにその場を離れた。
 あの時の彼の濃い悲しみを湛えた、それでいてこちらに対する静謐な憎悪を含んだ目。思い出す度に、私は戦慄に襲われた。それは私と彼の、いや、日本人と 中国人の隔たりを表わしている。たかが駄菓子屋の菓子一つでその隔たりを埋め合わせることができるはずがなかった。むしろ、それは彼にとって侮辱だったの ではないか? 中国人と比べて比較的裕福な日本人の子供が、総体的に貧しい中国人の子供に施しを与えるという…… 私はまだ12の子供だったから、あの時 はただ思いついたことを実行に移したまでで、そんなことまでは思いが及ばなかったのだが……
 私はその後彼に会うのが怖かった。だけど、彼のことは頭から離れず、やはりそれでいて、心の片隅ではまた彼に会える機会が来るのを望んでいた。
 でも、後にはそれが私の取り越し苦労だとわかった。いや、彼は本当はそう感じでいたのかもしれない。だけど、彼は寛大にも私の小さな親切をそれはそれとして受けとめてくれたのかもしれない。
 学校に通う途中偶然ばったりと顔を合わせた時、私は射すくめられたようになって立ち止まった。彼も同じように立ち止まり、だけど、次にはそっと私に近寄り、控えめに、「あのう……」と前置きを入れた後、小さく微笑んで、こう言ってくれた。
「あの時はどうもありがとう」
「いや……」と、私は咄嗟に言葉を返した。そして、慌ててこう付け加えた。「そうだ、今度、うちに来るといい。うちにはあんなお菓子がいっぱいあるから」

 駄菓子屋で買ったたった一銭もしない菓子一つ。それをきっかけに私と黄との間に親交が生まれた。彼は時々私の家に遊びに来るようになった。私は彼に餡子 のたっぷり入った日本の饅頭や、ハルピンでは珍しい餅菓子を与え、それこそ女の子を招くようにして丁寧にもてなした。絵本のキンダーブックを見せたり、ラ ジオを聴いたり、蓄音機で“あきれたぼういず”のレコードを聴かせたり、両親から聞いた日本の国のこと、とくに母の実家のある姫路市の文化や風土について 教えたり…… 私の家族も彼を好意的に迎え入れ、妹とも一緒に遊んだ。私には姉と妹はいるけれど、男の兄弟はいなかったから、私にとって彼は弟のようなも のだった。いや、本当は自分の心の奥の気づかないところでは、もう既にそれ以上の存在だったのかもしれない。思春期に誰もが意識するようになる、兄弟や友 人を越えた、それ以上のかけがえのない他人の存在…… 私の場合は、女の子みたいに色白で華奢な年下の少年の黄がそれだったのかもしれないけれど。
 彼も私を兄のようにして慕ってくれていたのだと思う。彼はハルピン市内の紡績工場に勤める母親と二人暮らしで、父親も兄弟もいなかったから。
 一度彼に直接父親について聞いたことがある。二人で黒ずんだ満鉄の倉庫の並ぶ線路沿いの道を歩いている時だった。市街地を貫くその線路の上を一台の機関 車が走り抜けた。けたたましい汽笛を鳴らし、煙突からはもうもうと黒煙をたなびかせ、下の方ではめまぐるしく車輪を回転させ、真っ白い蒸気を吐き出しなが ら。
「パシロだ!」と私は叫んでいた。道端に走り寄って、その矢のように駆け抜ける真っ黒な車体を仰いだ。父の仕事の影響で、私は幼い頃から列車を見るのが物 凄く好きだったから。「うちの父さんは若い頃、あの列車の機関手をしていたんだ!」誇らしげに言い、当時の私の年齢よりももっと幼い子供のように目を輝か せ、無邪気にも手を振っていた。後でおかしそうに笑いをこらえている黄に気づいて、慌てて手を引っ込め、赤面したりもした。それからにわかに年長者として の威厳を取り戻すように冷静になって、こう聞いてみた。
「君の父さんは何をしているの?」
 彼は顔を俯け、暫く考え込むようにしてみせてから、暗く重い声で言った。
「知らない……  僕には父さんの記憶がない……  もうずっと昔に別れたきりだから……」
「別れたきりって…… 死んじゃったの?」
「ううん……」と、一度はかぶりを振ってみせたものの、そのまま俯いて、「たぶん……」と、言い淀んだきり答えなかった。
 悪いことを聞いたと思った。それっきり私も苦い気がして口を閉ざした。
 だけど、次に彼が顔に宿るようだった暗い翳りをぱっと撥ね退けるようにして明るくこう言ってくれたので、私は救われたのだ。
「ねえ、お兄ちゃん、僕の家はこのすぐ近くなんだ。寄っていきなよ!」
いつも私の家に来てばかりいることに懸念を感じていたのだろうか?  私は彼のその誘いを快く受けることにした。
 初めて中国人の住む家の中を見た。古いみすぼらしい木造の家で、入口には台所のある土間と、奥にはオンドルのある板間があるだけだった。私の住んでい た、ペチカのある満鉄の社宅とは格段の違いだった。ここでもまた私は彼に対して改めて悪びれた思いを抱くようであり、ただしここでは彼個人に対してだけで なく貧しい生活をしている中国人の人たち全体に対してでもあったが、奥の板間で丁寧にもてなしてくれる彼を前にして、決まり悪げにただかしこまって坐って いるだけだった。
 この日は彼の家でいったい何をして遊んだのか覚えていない。ただ夕方になってこの家で彼の母親と初めて顔を合わせた時のことは覚えている。ごそごそと表の戸が開く音がして、その日の紡績工場での勤めを終えた彼の母親が帰ってきた。
「母さんだ、母さんが帰ってきたんだ!」
 黄は私を部屋に置き去りにして土間に素っ飛んでいった。
「お帰り」
「誰かいるのかい?」
 怪訝そうな女性の声がした。
 それから、黄が開け放していった戸の隙間から、用心深くこちらを窺うやつれた中年女性の顔が覗いて、すぐに引っ込んだ。
 私はもう帰らなくてはと思いながらも、黄が出ていったきりなかなか部屋に戻って来ないので、困惑していた。立ち上がって戸の側に歩み寄った。おそるおそる向こうの様子を探った。話し声がした。彼と彼の母親は土間の隅で話し合っているらしかった。
「あんな子を家に入れたりして……」そう言う母親の声が聞こえた。「あの子は日本人の子供じゃないの?」
 どうやら私を家に呼んだことで黄が窘められているようだ。私は息を殺し、胸をどきどきと高鳴らせながらも、更に聞き耳をたてた。
「どうして日本人の子供と仲良くしちゃいけないの?」
 わずかに気負いたったような声。黄の声だ。
 すると、後に慎重に教え諭すような、彼の母親のひっそりした声が続いた。
「いいかい、よくお聞き。おまえの父さんは日本の兵隊に連れて行かれたんだよ。おまえが生まれて間もない頃、憲兵隊が来て父さんを連行していった。父さん はね、人民革命軍のスパイにされて、“特移扱”だとかで、裁判も受けられずに遠い所に送られた。私ら中国人が容易に立ち入りできないとてもとても遠い所だ よ……」
 父のいるとてもとても遠い所…… 戸一つ隔てた向こうで、まるで昔話のように語られる母子の会話。だけど、母親の次の一言が無残な現実へと突き落とす。御伽噺ではなく、血で記された歴史の事実に。
「平房(ピョンファン)にある捕虜収容所、731部隊という日本軍のいる軍事施設にだよ……」
私は息を殺し、交わされる会話にじっと耳を傾けるしかなかった。戸の陰から這いだして二人の前に姿を現す勇気なんてない。せいぜい身を縮め、できるだけ見つからないようにしてコソドロのように隠れているだけだ。
“僕には父さんの記憶がない…… もうずっと昔に別れたきりだから……”
 ああ、今日の昼間、線路沿いの道を歩きながら、黄はどんな思いでそれを伝えたのだろう?
それでも容赦なく続けられる母親の声は、否応なく私の耳にも飛んでくる。
「あそこへ入れられた捕虜は二度と戻ってこれない。中国人もモンゴル人も朝鮮人もロシア人も、生きて帰ってこれた人はいないんだよ。もう10年も経ってい るんだからね。父さんもとっくにもう死んでいるよ。いいかい、忘れるんじゃないよ、おまえの父さんは“東洋鬼(トンキンポー)”に殺されたんだよ……」