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白鳥健治連作小説『同じ色の膚』最終回(1)「平和記念公園」

白鳥健治さんの連作小説『同じ色の膚』。男どうしで愛し合うにはあまりにも厳しい時代の淡い初恋を描いた大河小説のような趣の作品です。感動の最終回は、2回にわたってお届けします。(8月15日に後半を掲載いたします)

白鳥健治連作小説『同じ色の膚』最終回(1)「平和記念公園」


最終回(1)平和記念公園

長い歳月が過ぎた。
その間も無論さまざまなことがあったし、その一つ一つを細かにここに書き記してゆくのはたいへんな時間と労力を要するのだけど。ただそのうちの幾つかは是非とも残しておかなかければならないことだから、ここに簡単に概略を伝えてゆくけど。
その一つが、中国で抑留されて戻ってきた人たちはそのことで特別な目で見られていたということ。1950年代、共産主義を嫌う人たちが実に多く、中国でどんな教育を受けたのかと詮索する人たちが多かったから。
私たち家族が満州でどんな目に遭ったか、それを経てようやくこの国に逃れてきたというのに、長いこと中国共産党に留用されていた父は、本国でもまた厳しい扱いを受けなければならなかった。
これは広島や長崎で被爆した人たちが受けた社会的な苦しみに似ていると思った。被爆者の人たちもたいへんな思いをしてあの日を生き延びてきたというのに、結婚差別や就職差別などを受けたというのだ。
1975年の8月、私は広島平和記念館で行われた被爆体験を聞く集いで、演壇に立った被爆者の方からその実態について知らされた。
「私はあのピカで全身を火傷しました。今は手術で治癒していますが、顔にも赤い紫色の火傷ができて、人前に出るのがとても恥ずかしかったのです」
語り手は50歳の女性で、20歳の時に被爆したという。女性の一番美しい年齢の時期だ。
「私の体には赤いケロイドが残っています。こういう場所ですからそれをお見せできないのが残念ですけど……」などと冗談を言って、女性は場内を沸かせたりもした。けど、そのせっかく和んだ雰囲気も、次の発言でたちまち立ち消えになったのだけれども。
「銭湯へ行くとたいへん気味悪がられました。そして、お風呂屋さんの人からこう言われたんです。”混んでいる時は来ないようにしてほしい。なるべくお客の少ない時間に来てほしい”って……」
場内は水を打ったようにしんと静まり返った。
「原爆乙女という言葉がありますが、私たち、被爆後に婚期を迎えた被爆者にはとてもつらいことでした。被爆を理由に結婚を断られた人たちが何人もいます。私は今は手術して、顔の火傷がだいぶ治癒しています。だけど、当時は顔の頬に赤い火傷の跡に覆われていました。顔のこのあたりに大きなケロイドができていたんです」
語り手はそう言い、自分の頬を指で指し示した。指先が示している頬の膨らみ。私はその部分をじっと見つめた。突然、はっとあることに気づいた。私には、彼女が指先で辿るケロイドの位置も形も色さえも見えていた。語り手の「八重」という名前にも覚えがあった。
演壇の女性と眼が合った(ような気がした)。彼女のことを食い入るようにじっと見つめた。向こうも私の方を見たが、すぐに眼をそらした。
私ももう43歳になっている。もしも彼女が私の知っている人なら、およそ30年前に太田川の川辺のバラックでたった一度会ったきりで、当時は少年だった私がわかるわけないだろう。
「私は夏の間も半袖のシャツを着ることができませんでした。今は火傷が治癒したので、こうして半袖のシャツを着ています。けど、当時は腕にも赤い傷跡ができていたのです。だから、私は暑い夏の盛りでも傷跡を見せないように長袖の服を着ていたのです……」
講演会が終わって、司会進行役の方が告げた。
「被爆者の方に質問がある方はどうぞロビーで声をかけて下さい」
会場の外では、先ほど演壇に上がっていた女性が、熱心な聴衆に取り囲まれていた。私は彼女が空くのを待って、聴衆の後ろに立った。
質問を終えた人たちが去って、いよいよ私の番が来た。
「あのう……あなたは、八重さんなんですか?」
「はい?」
おかしな質問だった。キョトンとした目が私を見上げる。私が自分のことを打ち明けると、彼女の顔に笑みが満ち溢れた。
「ああ、あの時の…… すっかり大人になって……」
女性は私のことを覚えてくれていた。
「今、お住まいはどこなんですか? まあ、東京からいらしたんですか? 平和祈念式典に出られたんですね。それで、いつお帰りになるのですか?」
「そろそろ帰ろうかなと。夕方の夜行列車ででも……」
「今夜、灯篭流しがあります。それまではここにいられませんか?」
「ええ、別に、少しぐらい帰りが遅くなったって平気ですけど……」
すると、八重さんは若々しい女学生のようにはしゃいで、
「今夜、主人と灯篭流しで落ち合う約束をしているんです。主人に会って下さい。主人と、それと子供と、孫にも……」
「孫がいらっしゃるんですか?」
「はい。2歳になります」
私は頭の中でこの後のスケジュールについてあれこれ考えていた。
今夜は何時頃になるだろう? 遅くなったらどこに泊まろうか? 今夜じゅうに姫路まで行けないだろうか? 今は正治さんという私のいとこにあたる人が住んでいる姫路の家に急に押しかけるのは迷惑だろうか? などと……
「きっと主人もあなたに会いたがっていると思いますから……」
「え?」と、私は、30年近く前に初めて会った時のような若々しい笑みを浮かべている八重さんを顧みた。「主人って……」
「ゲンゾウです。ほら、外地から引き揚げる時、あなたと一緒にここへ来た人です」

あれから広島は美しい都市に再興したが、それに一躍買ったのが、焼け跡で活動を続けてきたゲンチャンだろうと思う。
「俺、あの時、決心したんだ」と、再会したゲンチャンは語った。
太田川の川辺のベンチに並んで腰かけ、灯篭流しが始まるのを待っている。対岸の原爆ドームは夕闇に沈んでいる。この日、平和公園は、朝の平和祈念式典が終わった後もずっと、各地から集まった人達で賑わっている。
「この廃墟となった広島をもとの人の住める街に戻そうって。そこで、各地に散っていった人たちを呼び戻そうって。俺の家族は戻ってこなかった。でも、家族の代りだ。この街を故郷に持つ人たちに、もとの故郷の姿を見せてあげようって。もちろんもとの姿っていったって、戦時中の頃のような軍事都市に戻すんじゃないよ。その反対だ。軍隊のいらない平和な都市に……」
およそ30年ぶりに再会したゲンチャンの話を聞きながら、ゲンチャンの目標は達成されていると感じた。だって、あの時、ほとんど人のいなかった廃墟に、病に侵されると恐れられていた廃墟に、こうして大勢の人が集まってくれているのだもの。それも世界の各地から、平和を祈る人達が…… 広島の平和公園は、復興都市計画から8年後の1954年に完成した。木々が植えられ、鳩が舞い、碑や像が立ち、平和を象徴する場所となっている。
なのに、ゲンチャンは原爆ドームを見上げ、いきなりこんなことを呟く。
「俺は後悔している」
「なにを?」
「故郷を捨てたこと。大学へ入れば、徴集を免れるだなんて考えた。それも内地の大学ではなく、外地の大学に入れば、そのぶん赤紙の到着が遅れるのではないかと…… だから、満州の大学を選んだ。別に学問がしたいとか、そんなことじゃないんだ。大陸浪人になったってかまわなかったんだ。ただただ逃げ出したかった。毎日のように学校の先輩や近所の誰かが出征していく。送り出す方の勝手な万歳斉唱のもとで…… それを見るのがたまらなく嫌だった。明日は俺の番かと考えると、怖くてぞっとした。だから、大陸に渡った。一時的にであれ、故郷と家族を見捨てて……」
「でも、もし広島にいたら、ゲンチャンだって……」
「俺はあの時、家族を守ってやれなかった。父も母も、祖父も、祖母も、兄弟たちも、俺は見殺しにしたんだ……」
「だって、あの中にいたら、もう誰かを守ってやるなんて言える状況じゃなかったはずだよ。運よく命があったって、誰も助けてやることなんかできなかった。きっと……」
「そうだよな。なにもできない、わかっているけど……」
川岸でゲンチャンの家族が灯篭を流す準備をしている。八重さんと、ゲンチャンの若い娘さんと、ゲンチャンの幼い孫もいる。ゲンチャンの娘さんの手で灯篭に火が灯されると、よちよち歩きの孫は大喜びだ。
「自分の命だけでも助かったのが幸いだった」と、ゲンチャンはまた話し始めた。「俺は故郷を捨てたことで命を助かった。きっと、俺は故郷に助けてもらったんだ。広島が俺を…… だから、残りの人生は広島のために尽くそうと決心したんだ。この街を緑のある美しい街に戻そうと!」
太田川の灯篭流しが始まった。鮮やかな色をつけた灯篭が川を下っていく。
ゲンチャンは自分の家族の供養のために、毎年灯篭を流す。自分の家族の中には、ゲンチャンの肉親と、後にゲンチャンのお嫁さんとなった八重さんの家族も含まれている。まだ廃墟だった広島のこの川辺で会った、あの床屋の小父さんも。八重さんのお父さんは原爆投下後も生き延びたが、数年後に原爆症を煩い、死去したという。
娘さんの手を離れた灯篭がゆっくりと川を下っていくと、ゲンチャンの孫ははしゃいだ、
「あいつ、俺の一番下の弟に似ててさ」と、ゲンチャンは孫を見て笑った。
ゲンチャンはそれ以上は語らなかったけど。夏に一緒にこの太田川で泳いだというゲンチャンの幼い弟。30年前のこの日の朝の8時15分。その子はどこにいたのだろう? この川辺にいたのだろうか?
ゲンチャンの孫。八重さんの孫でもあるのだから、被爆3世ということになる。そんなこと微塵も感じさせないほど、子供は丈夫にすくすくと育っている。若くして結婚した、被爆2世である娘さんもいたって健康そうだ。彼女を生む時、八重さんは躊躇っただろうか? 八重さんの残った親族たち(両親はすでに原爆で他界していただろうが)は反対しただろうか? もちろんゲンチャンは、産ませようとしたにちがいない。
「原爆症が遺伝するかどうかなんてはっきりわからない限り、君には他の人と同じように子供を産む権利がある」なんてことを言って……
だけど、もしも生まれてくる子供になにかあったらと、出産に踏み出すにはとてつもない勇気が要っただろう。そして、出産を諦めた人達がいたのも想像に難くないのだけど。
被爆者である八重さん自身も元気だ。昼間の講演会での話にもあったとおり、痛々しかった顔のケロイドも後の手術によってきれいに治癒されている(勿論、それでゲンチャンが八重さんと結婚したというわけじゃない。ゲンチャンが八重さんと結婚したのは彼女の整形手術の前で、自分の容姿から結婚に消極的だった八重さんを無理やり口説いたという話だ)。彼女も太田川の川辺で娘と孫と肩を並べて灯篭を見つめている。その穏やかな姿は実に幸福そうだ。
無論、そこへ行き着くまでには幾つもの苦難があったろう。結婚に関しては八重さんはゲンチャンと結ばれたからよいようなものの、被爆を理由に縁談を断わられた多くの人たちがいるのだ。
彼女は今、どんな思いでこの灯篭流しを見つめているのだろうか? あの日、多くの死体が下っていったのだろうこの同じ川。今では色とりどりの灯篭が緩やかに下っていっている。
<蛍が舞っていても不思議ではないような、そんな平和な川にしてみせる>
かつてゲンチャンがこの川辺で語ったように、今、太田川の川面は、無数の蛍が舞うがごとく色とりどりの鮮やかな光に包まれている。平和記念公園の灯篭流しを見ていると、この平和で美しい灯を二度と消してはならないのだと、そんな感慨に浸る。
被爆者の人は自ら自分の被爆体験を隠すようになっていた。八重さんの幾つもの苦労話を聞けば、それも無理もないと思う。被爆体験が自分の人生のマイナスとみなされる場面が、この社会には実に多いから。それと同じようにして、私も自分が満州で抑留生活を送ってきたことを進んでは明らかにしないようにしていた。外地で一人の少年に恋し、今だって、女性よりも男性に惹かれるという事実も……
今、父に言われたことを身をもって痛感している。
<多数に染まって生きなければならないんだ>
そう、私はそれを実践しているのだ。



引き揚げ後の父は、帝大卒で満鉄のエリートだった一時期の華々しさと比べて、ぱっとしなかった。まだ幼いアキラを育てなければならなかったし、どこかの会社に就職しようとしたが、高齢と、レッドパージの煽りと、ソ連と八露軍に留用されていたという経歴が災いしたのだろう。たいした勤め先もないまま生涯を終えた。引き揚げてから暫くは公安警察の監視下にもおかれていたし。就職に不利だと悟ると、共産党とは早々と縁を切り、ここでも私の反感を買ったのだが…… 
1960年6月、全学連が国会を取り巻いた。安保粉砕の叫びの中で一人の女子学生が機動隊に殴られて死んだ。私はその頃、両親と一緒に住んでいたのだが(父はもう仕事をしていなかったし、私が家計を助けていた)、6月16日の新聞に眼を落としながら、父がこう呟いたのを覚えている。
「若い娘さんがもったいないことだ。デモなんかに行かなければ、機動隊の殴打にも合わなかったろうに……」
日本に帰国して早々、父は共産主義を捨てた。左翼や進歩派の集会など、まったくの一度も参加していないはずだ。
老齢の父が若い人たちに混じってデモなんかするのは無理かもしれない。けど、せめて、表に出さなくても心の中ぐらいはと…… もちろん、父の本音がどうだったかなんてわからないけど……
その父は70年代のはじめに他界した。
「高度経済成長とかいわれて、たくさんの大企業が出てきたが、それでも満鉄に代わるような企業はない。満鉄が世界で一番だ。あれを越えられる企業なんてないだろう」
それが晩年の父の言葉だった。
父が死んだ翌年、後を追うようにして母も死んでいった。
父が死んでから母は体を煩い、長いこと入院中だったのだが、入院してから息を引き取る間際までの母のベッドにはずっと弟のアキラがつきっきりだった。もしも、母と二人っきりのチャンスがあれば、私は長いこと自分の中にしまっていた懸念について問いただすことができただろうか? 
口に出して言えるはずがないとわかっていながら、心の中ではシミュレーションしてしまう。
ある日、私が見舞いに母の病室を訪れた時、相部屋なのに他に誰もいなくて、偶然母と二人っきりになったことがあった。
ベッドで横たわっている母。その横には私だけがいた。母はじっと仰向けになって目を閉ざしている。手が掛布団からはみ出していた。
あの掌……と、私はそれを見下ろした。いやがうえでもあの日のことが思い出された。あの日、仰向けに横たわっていた母の足元に立ち、投げ出された掌をじっと見下ろしていた時のことを。
<お母さん、あなたはあの夜、僕があの部屋にいたのに気づいていましたか? 僕が掌に毒薬を乗せて、お母さんに向けて差し出していたのを知っていましたか? もしも知っていたのなら、僕はあなたを死なせようとしたのに、これまでそれを見て見ぬフリをしてくれているのは何故なんですか?>
私は心の中で呟く。口に出しては言えないとわかっていながら……
母は目を開け、私に気づくと、ゆっくり口を開けた。
母はなにかを言おうとしていた。私の心の中の質問が通じたのだろうか? おそるおそる母の口元に耳を近づけた。
「アキラを…… アキラをお願い……」
掠れた声で私にそう伝えた。
弟はもう26歳だし、私の手を離れて自立していた。私よりも背が高くて、体つきも大きい。結婚前提の交際相手だっているっていう話だ。それでも母にとってはまだまだ気掛かりな子供なのだろう。もし母になにかあれば、その交際相手と結婚するまでの間、彼の肉親は私一人になってしまうのだし。
「わかったよ。アキラは僕にまかせていいよ……」
私は母の手を取った。自分の両手でしっかり包み込んだ。
「ああ、あんたの手、あったかい……」と、母は呟いた。「あんたに手を握られていると落ち着くよ……」
母の皺だらけの痩せた掌。あの時はこうして触れることのできなかった掌。
私はなにも言葉を返すことができなかった。ただ、まっさらの両手に力を込め、母の手にぬくもりだけを伝えていた。
「母さん!」と、アキラが病室に飛び込んできた。私を押しのけ、ベッドの傍らにしゃがみこんだ。「具合はどう? 安静にしてた?」 昼間の仕事を終えると、すぐさま駆けつけてきたのだろう。26歳になった今も完全にお母さん子だ。もうこうなっては私が間に入り込む余地などなかった。

目の前の、母にすがり大きな背中を震わせている弟はもう立派な成人だけど、まだ幼なかった頃の彼を思い出す度に、ここにも私が是非とも書きとめておかなければならない事実の一つがあることを感じる。
14歳年下のアキラは白人との混血児ということで、少年期にイジメを受けた。
私は自分の性癖について隠すことができた。病気や出身地、経歴、思想や宗教もその気になれば隠すことはできる。でも、アキラは違う。
私が引き揚げてから3年後、父と母とアキラが姫路の母の実家に来た。アキラの存在が姫路の家では問題視されたし、共産党にかぶれてきた父も反発を買っていた。だから、引き揚げて早々にして、父は私たち家族を連れて東京へ出て行ったのだが。一人では姫路の実家にいづらかったし、”聞け万国の労働者”と、労働歌の一つを歌ったぐらいで怒鳴りだす祖父には抵抗を感じていたので、私も黙って父の後についていった。
ただし、あの家で私を亡き息子の代わりのように可愛がってくれたタキさんと別れる時はさすがに寂しかったし、それともう一人、部屋を自由に使わせていただいた清彦さんの、居間に飾られた遺影にはきちんと別れの挨拶をした。短い間だったけど私を自分の子供のようにして可愛がってくれたタキさんは、「またこの家は子供のいない家に戻るのかねえ」なんて、誰にともなく呟いていたけど。
父の実家は戦時中の東京大空襲でやられていた(それがあったから、父は、私が一人先に満州に引き揚げる際に、姫路にある母方の実家を訪ねてゆくように指示したのだけれども)。残された伝を頼って、みすぼらしい貸家に移り住んだ。何世帯もが同居しているような長屋で、同じ長屋には大勢の子供が住んでいた。
アキラはその同じ長屋の子供たちから苛められた。「シロンボ」という渾名がつけられた。
「シロンボ、シロンボ」「なあ、どっから来たんじゃ? 異人の子!」
私ももう勤めに出ていたし、自分のことで忙しかったから。子供の喧嘩に大人が出る幕じゃないとも思っていた。
だけど、表から聞こえてきたその声に、思わずかっとなった。
「おまえ、父ちゃんと母ちゃんが日本人なのに、何故、おまえだけ膚の色が違うんじゃ!」
その時、私は卓袱台で飯を食っていたのだが、掴んでいた茶碗を置き、表に飛び出した。長屋のハナッたれのガキどもを睨みつけ、年甲斐もなく怒鳴り散らした。
「膚の色が違うのが何故いけないんだ? 同じ人間じゃないか!」
アキラは家にこもりがちだった。
私が外に出ようと誘っても、家で遊んでいる方がいいと言って外へ出たがらなかった。
「今日は天気がいいし、どうだ、散歩にでも……」
「いやだよ。人にジロジロ見られるから……」
「大丈夫だよ。兄さんがついているから。なんか言ってくる奴がいたら、とっちめてやるから」
「いいよ、そんなの」
それっきり会話は途切れる。アキラは畳に寝そべって、ラジオから漏れてくる流行音楽に耳を傾けている。
仕方なく彼をそっとしておいて、自分だけでも外に出ようとすると、
「ねえ、兄さん」と、アキラが呼び止めた。
「え?」
「なんで僕だけ色が白いの? みんなとは違うの?」
畳の上から灰色の真剣な眼差しが私を見上げている。
「僕は誰の子なの?」
「決まっているじゃないか? お父さんとお母さんの子だよ」
「なら、僕は何故、父さんと全然似てないの?」
「……」
「僕が母さんが産んだ子供なら、父親は誰なの?」
「……」
「白人なんでしょう? 僕の本当の父さんはどこにいるの?」
「そんなこと、知ってなんになる?」
家族としていつかは向き合わなければならない問題だった。けど、私はこの問題を両親にまかせ、自分ではなにも対処法について考えてはいなかった。いや、問題の根が深すぎて、自分ではなにも考えつかなったという方が正しいかもしれない。
「自分のことだもの、知りたいよ。自分がどうして生まれてきたのか……」
私の頭に中にある光景が蘇る。冬のハルピン。雪の上に倒れている死体。背中から血を流している上半身裸のソ連兵。そして、そこを通りかかった私が、その血まみれの死体を踏みつける……
「父さんに聞いたけど、教えてくれなかった。一度、母さんにも聞いたけど、とても悲しい顔をしていた。だから、それ以上聞き出すのはできなかった。ねえ、もし、兄さんが知っていたら……」
アキラの父親について一番よく知っているのは私だった。私はアイツが当時私たちが住んでいた家に来た瞬間から、雪の上で死体となって転がっていた瞬間までを見届けている。私が……私が話すべきなのかもしれなかった。
「僕はハルピンで生まれたと聞いた。僕が生まれた年のハルピンはソ連の統治下で、ロシア人も大勢いたって聞いた。僕はロシア人の子供なの?」
もしも自分がアキラだったら…… 彼には知る権利がある。自分が何者なのか? どうして生まれてきたのか? 
だけど、私には言えない。この時のアキラはまだ11歳。事実に適切に対処できる十分な年齢とはいえない。それに興奮していて、精神的に不安定だ。知らされた事実に衝撃を受けすぎて、もし間違いでもあれば……
「いいかい、アキラ。おまえがが生まれる直前に、僕の妹が死んだんだ。まだ10歳にもなっていなかった。お父さんとお母さんはおまえを妹の生まれ変わりだと信じて、大事に育てたんだ。前にお父さんが言っていたよ。戦争で大切なものをたくさん失った。そんな時代におまえが生まれてきた。おまえは戦後の、新しい時代の希望だった。戦争で娘を2人も不幸なかたちで死なせてしまった。だから、おまえは幸福にしたい、娘たちの分まで幸福にしたいって…… 膚の色が死んだ妹と少しぐらい違っていたって、おまえが妹の生まれ変わりであることに違いはないと、おまえの家族はみんな信じているんだ……」
こんな説明で弟は納得してくれるだろうか? 自分が生まれる前の時代や、会ったこともない姉妹のことを、真摯に受けとめてくれるだろうか? 弟は畳に寝そべったままじっとして、私の話を聞いてくれてはいるようだけど。ああ、なんとかして彼を私たちの側に引き止めたい。自分の居場所は私たち家族のもとにしか、家族のいるこの家にしかないのだとわからせたい。
「まさか、自分だけが不幸だなんて、そんなこと思っているわけじゃないだろう? そんなふうに考えちゃ駄目だ。今のおまえには両親がいる。おまえが生まれた時代には、両親を失くした子供がいっぱいいるんだ。戦争で家を焼かれて、廃墟の中で不良化した孤児たちだって…… ほら、姫路で会った正治君のことは覚えているだろう? それに、おまえが生まれたハルピンでは…… ハルピンのことは覚えていないだろうけど、戦災孤児が何人もいた。大人たちから見捨てられて、他に頼れる者もいないから同じ孤児ばかりで支え合って、収容所で肩を寄せ合って暮らしていたんだ。両親がいるだけずっとマシさ」
弟はなにも言わない。ただじっと無表情で私のことを見つめている。
その時、ラジオから丸山明宏の曲が流れてきた。そのあまい声に耳を和ませながら、私は思いつくままに喋り続けた。
「いいかい。おまえは普段、自分がロシア人だとか日本人だとか意識して行動しているのかい? 違うだろう。ロシア人だとか日本人だとかいう前におまえはおまえなんだ。おまえはただ自分の価値観に従って行動すればいいんだよ。自分の頭で考えて、正しいと思ったことをすればいいんだ。人種なんて関係ない。ロシア人とか日本人だとかは、他人が決めたことだ。ただ他人がその人を分類しやすいように、便利だからと決めたのさ。男とか女だとかもそう。この世に、男でも、女でもない人がいたっていいじゃないか。どこまでが男で、どこからが女かなんて、測れるものじゃない。人間、そんなに簡単に割り切れるものじゃないよ」
「それって、シスターボーイのこと?」と、アキラが口を挟んだ。1957年、丸山が歌った「メケメケ」はこの年の大ヒットとなり、当時11歳のアキラもよく知っていた。「男でも女でもない人のことはよくわからないけど……」と、アキラは半分おかしそうに言い、「でも、わかるような気がする…… 兄さんの言っていること……」
「アキラ一人が他人と違うんじゃないよ。アキラはみんなと一緒だよ」と、私は更に言い募った。「みんながそれぞれ違うんだから。一人ひとりが他人とは違うところを持っているんだ。アキラの場合はそれが膚や髪や眼の色だったというだけなんだ」
「じゃあ、兄さんもみんなとは違うの?」
「ああ、そうだよ。もちろん……」
「ねえ、それはなに? みんなとどこが違うの?」
「それはねえ……」と私は言い、若干ためらってから、「それは内緒だよ」
「ああ、ずるい」と、アキラは子供らしい笑顔を見せた。
11歳の少年。アキラは色白できれいな顔をしていた。腹違いの兄弟なのに。見つめているとついウットリしそうになる。
「あまり堂々と人に言えないようなことだから、内緒にしているんだよ。ほら、おまえの方が全然いいじゃないか。おまえはきれいな膚をしているし、髪だってきれいじゃないか……」

母の葬儀の日、姫路の家からはタキさんが駆けつけてくれた。祖父も祖母も既に他界しており、富男伯父さんも高齢のため参列は無理だったけど、代わりに伯父さんの養子の正治さんがタキさんと一緒に参列してくれた。
初めて正治さんと会ったのは、祖父の葬儀の時だった。祖父が亡くなって、私たち家族は姫路の家へ訪れた。そこで私はタキさんから10歳の男の子を紹介された。アキラより少し年上だったけど、背の高さはアキラと同じくらいだった。
「まあ、アキラちゃん、大きくなったわねえ!」と、タキさんは前屈みになってアキラに顔を近づけた。アキラが姫路の家に訪れたのは彼が3歳の時以来だ。彼を初めて見る親族たちの興味深い視線にさらされ、不安と緊張で固くなっている彼を気遣ってのことだったろう。
それから私の方を向いて、
「満緒ちゃん、この子、私の息子よ」
「え?」と、私は驚いた。清彦さんは亡くなったはずだし、紹介された子は18歳で戦死した清彦さんより年齢が若すぎる。
「満緒ちゃんは知らなかったわよねえ。おばさん、養子をもらったの。子供が一人もいないんじゃ、寂しいでしょ。だからね……」
タキさんのたっての希望だったのだろう、伯父さん夫婦は戦争孤児を引き取り、世話をしたという。正治さんは、清彦さんの子供の頃にそっくりで、駅のガード下で靴磨きをしていたところをタキさんに拾われた。その時のタさんは、私と会った時のように、突然正治さんの前に立ち塞がって、じっとその顔に食い入るようだったかまでは、私は確かめなかったけれども
その正治さんが今度は母の葬儀で私たちの所へ来て、私にそっと手紙を差し出した。
「うちに手紙が来たんです。外国から…… 叔父さん宛てに」
送り主に漢字ばかりの文字が入った手紙を受け取り、私はその手紙が中国から来たものだとわかった。
「叔父さん宛てだけど、叔父さんはもういないし、叔母さんに渡そうと思ったんだけど、叔母さんも入院中だったでしょう? どうしようかと暫くうちで預かっていました」
じっと手の中の封書を見つめている私に、正治さんは、
「送り主はどなたですか? 外国の方のようですけど……」
私は手紙の送り先の住所と名前を確認した。住所はハルピンになっていた。送り主の懐かしい名前が私の目を打った。
「満州のハルピンで、私たち一家がたいへんお世話になった方です」
「その方は小父さんが亡くなっているのを知らないのでしょうね」
「僕から返事を書きます。届けてくれてありがとう」
犀さんからの手紙を読んだ。犀さんは父と母が無事日本に帰国できたかをずっと気にしてくれていたらしい。もっと早くに手紙を出したかったが、できなかったことを嘆いていた。日中国交が回復して、手紙を出せるようになったことを喜んでいた。
私は犀さんに宛てて返事を書いた。長いこと使っていなかったけれど、北京語はまだ忘れていなかったし。
その後、今度は犀さんから私宛てに手紙が届いた。父が亡くなったことを悲しんでくれていた。そして、手紙には次のことが書かれていた。
「君が日本に行ってから、君の友達に会うことがあったよ。君を乗せた遺送の列車が出発して、私と君のお父さんが見送っていた。私も君のお父さんも駅で働いていたからね、私はまだホームに残っていた。そこへ君の友達が息を切らして駆けつけてきた。私を見ると、”お兄ちゃんは、もう行ってしまったんですか?”と、君のことを聞くんだ。私が君がもう出発してしまったことを告げると、本当に悲しそうな顔をしていた。君はその子から”お兄ちゃん”と呼ばれていたんだね。本当に仲が良かったんだね、君たちは……」