g-lad xx

FEATURES

レポート:青森レインボーパレード2018

6月24日、青森市で第5回青森レインボーパレードが開催され、県内外から集まった170名超の方たちが駅前の目抜き通りを晴れやかに行進しました。

レポート:青森レインボーパレード2018

2018年6月24日(日)、青森市の駅前で第5回青森レインボーパレードが開催されました。5年前に始まったときは、たった3人だけで駅前のアーケードを歩いたそうですが、次の年は24人になりました。その次の年は45人になりました。昨年は東京などからも応援に駆けつけ、ついに100人を超えました。そして今年は、173人(メディアの人などを合わせると180人超)となりました。「田舎」の代名詞みたいな青森、LGBTが生きていくのが難しいと思われていた青森で、これだけの人たちがパレードを歩いたこと、素晴らしいコミュニティができあがっていることに(青森県出身であることもあって)深い感動を覚えました。レポートをお届けします。(後藤純一)


 青森レインボーパレードは、東京でレズビアンのアクティヴィストとして活動しつつ、にじいろ扁平足という青森のセクシュアルマイノリティ団体の活動にも参加していた宇佐美翔子さんが、ご実家の関係で青森に帰ることになり、2014年4月、パートナーの岡田実穂(おかっち)さんといっしょに青森駅前で「Osora ni Niji wo Kake Mashita(通称そらにじ)」というコミュニティカフェをオープンしたところから始まります。
 翔子さんたちは性的指向や性自認、性別、人種などにかかわらず誰もが安心して過ごせるお店をオープンするとともに、青森レインボーパレードと銘打って、地元の商店街を3人で歩きました。同年6月には、青森市役所に婚姻届を提出し、青森の地域社会に大きな一石を投じました(地元の新聞に大きく掲載されました)
 そして、翔子さんは昨年のTRPで「故郷を帰れる街にしたい」というプラカードを掲げ、大きな反響を呼びました。男尊女卑的な古い体質で、結婚圧力が強く、カミングアウトもできず、ほとんどの当事者が不本意ながら異性との結婚を余儀なくされているという現実があり、シェルターではないが唯一ホッとできる、自分らしくいられる場所であるはずのゲイバーすら地元になかったりする(私の故郷の弘前には1軒もありません)…そんな故郷の街を出て、都会を目指す人はとても多いわけですが、本当は生まれ故郷の街を愛している、でも、とてもじゃないけどLGBTが生きていける街じゃないから、帰りたくても帰れないと感じている、なんとか故郷の街が「帰れる街」になってほしい…そういうメッセージだと受け止めました。彼女たちはきっと、自分たちだけでなく、「故郷を帰れる街にしたい」と感じている仲間たちのために、どんな逆風があるかもわからない青森で活動をしてきて、カフェ内で講演会やイベントなども行いつつ、毎年パレードを継続し、参加者も24人、45人、100人と、倍々で増えていきました。
 そして今年、第5回を記念する青森レインボーパレードが、2018年6月24日(日)に開催されるということがアナウンスされました。今まで日程の問題などで行けずにいましたが、今回は、友人の(実は闘病中である)翔子さんを応援したいという気持ちと、出身地である青森に貢献したいという気持ち、青森のゲイバーが今どんなふうになっているか見てみたいという気持ちもあって、行くことにしました。
 
















 6月24日(日)13時すぎ、一瞬、ポツポツとにわか雨が降りましたが、JR青森駅の目の前にある駅前公園には、たくさんの人たちが集まっていました。
 13時半に、パレードの集会が始まり、マイクを握ったおかっちさんは、「こんなにたくさんの人たちが…」と第一声から胸を詰まらせ、お礼を述べていました。東京や北陸、東海、関西から駆けつけた方たちもあわせて、100人を超えた昨年よりさらにたくさんの人たちが集まってくれたのです(この時点では、130人と発表されていましたが、途中で隊列を数え直したら171名でした。新聞によって参加人数の発表が異なるのは、そのためだと思います。メディアもテレビや新聞など、たくさんきてました)
 最初に、いろんな方がご挨拶しました。地元の団体の方、富山で活動している林さん(LGBT法連合会共同代表の方でもあります)、海外の団体の方などです。翔子さんは、このパレードに「夜の街の人にも参加してほしかった」と言っていて、本当に地元のゲイバーの方(「KOMPANO」のオーナーさん、「そらにじ」の隣りでお店をやっている女装した方など)が来られて、ご挨拶もしていて、素晴らしいと思いました。
 歩きはじめる頃にはすっかり晴れて、絶好のパレード日和になっていました。
 14時、スピーカーを積んだ特設の「フロート」に先導されて、ゴキゲンな音楽とともにパレードがスタートしました。DJさんがiPhoneを操作していたのですが、「りんご追分」リミックス版にメッセージを乗せたかなり本格的なオープニング音源からスタートし、クイーン、レディー・ガガ、マドンナ、GOSSIP(ボーカルのベス・ディットーがレズビアン)など、クィア・アーティストやみんなが大好きなアーティストの音楽で盛り上がりました。
 ニコニコしてて優しいおまわりさんの交通指導のもと、プラカードやのぼりなどを持ったパレードの一行は、堂々と市内随一の目抜き通りを歩き、晴れやかに、ピースフルに、カラフルに行進しました。
 翔子さんたちは、メッセージを読み上げながら歩きます。
「この青森の街にも、セクシュアルマイノリティの人たちがいます」
「この街で生きることを苦しいと思っている人もいます。だけど、この街でパレードを歩く仲間たちがいます。きっとだれかに、ひとりじゃないって伝わるよね」
「このパレードを歩いてくれているみんなが、日々、闘っているということを知っています。その闘っている姿を、今日、空の下、笑顔に変えて共に歩きます」
 翔子さんは、実は今、がんの治療をしています。「病院で同性のパートナーがいるということをなかなか理解してもらえませんでした。同性のパートナーにも手術や治療の方針を聞く権利を。同性のパートナーにも緊急連絡先として連絡がいくような仕組みを」というメッセージを聞いて、目頭を熱くする参加者の方もいました。
 ときどき、県庁の建物や、マンションの一室や、お店の中から手を振ってくれる方たちもいました。駅前のお寿司屋さんなんて、お店を放って外に出て応援してくれてました(「おベガス」のチラシを持っていらして、びっくりして、聞いてみたら、出演しているダンサーさんのご家族だそうで、さらにびっくりしました)。沿道の人たちのフレンドリーさには、ちょっと驚きました。
 新町通りという(いまはシャッター通りっぽくなっているので、あまり人通りは多くはないのですが)青森市随一の目抜き通りを歩いたということも、感慨深かったです。
 歩き終えて、公園に戻ってきて、みんなで記念写真を撮って、解散となりました。
 
 そのあと、夕方から市内のクラブでアフターパーティが開催されました。
 パレードの余韻にひたりながら、ライブを聴いたり(FtMの方が、孤独死したゲイの友達を追悼する歌を歌ってくれたりもしました)、飲み食いしたり(フードが充実してて、ホタテを山ほど食べれたり。おもてなし精神が素晴らしいと思いました)、いろんな交流が生まれていて、本当にいいパーティでした。
 パーティ会場で地元のゲイの学生さんと知り合い、彼の案内でゲイバーに行ったのですが(「Late Show」「KOMPANO」という若い方が集まるお店2軒に行きました)、当たり前のようにパレードのポスターが貼ってありました。「KOMPANO」の方たちはパレードにもアフターにも参加していました(とても眠かったと思いますが…)。お客さんの話を聞いていると、地元で出会って彼氏ができた方もいらっしゃいましたし(そりゃあ東京に比べると出会いは少ないでしょうが)、ゲイとしてこの街で生きていっていることがわかって、安心したというか、しみじみと、時代が変わったんだなぁと実感しました。約30年前に一度だけ青森のゲイバーに行ったことがありますが、その時の印象とは全く違いました。まだまだ閉鎖的だったり、何もなかったりする地方も多いなかで、青森がこんなにもオープンでいい街になっていたなんて…。生きている間に果たしてそんな日が来るだろうか?と思っていただけに、その感慨は、筆舌に尽くしがたいものがありました。
 「早くこんな町から出たい、都会に出て幸せになりたい!」と心で叫んでいた昔の自分に、こう伝えたいです。「大丈夫。いつか青森が「帰れる街」になるよ」 
 



青森レインボーパレードを振り返って


 吉幾三さんが「テレビもねぇ、ラジオもねぇ…」と歌っていたように、青森は「田舎」の代名詞みたいなイメージがあると思います。そして実際、「田舎」であることは否めませんし、青森の方もそのように感じていると思います。
 松坂慶子さんがかつて夜ヒットで「BON VOYAGE」という歌を歌いました。二丁目でゲイバーをやっている東北弁のママの物語で、親には絶対に言えない、けど、「慶子ちゃーん、故郷に帰りてぇ…」と時々言っている、そんなママが、ある日、岩手の実家の前で行き倒れになっていて、その上に雪が積もって…松坂慶子さんが泣きながら語ったあと、東北弁でボン・ボヤージ~と歌う、あれです(ニクヨさんのショーでご存じの方も多いはず)。二丁目では号泣必至の名曲として語り継がれています。
 かつて、東北にゲイ(とかトランスジェンダー)として生まれるというのは、そういうことでした。6月16日に放送された「Love 1948-2018 ~多様な性をめぐる戦後史~」でカルーセル麻紀さんが、当時ゲイバーで働いてた人たちは(明るい顔で接客してたかもしれないけど)みんな故郷に帰れず、戸籍も抜かれて、やがて無縁仏になって…と語っていましたが、その中にはたくさんの東北出身の方もいたと思います。「BON VOYAGE」の世界はなにも大げさな作り話ではなく、真実なのです。
 
 青森だけじゃなく東北地方、どの県もそうだと思いますが、男尊女卑的で結婚圧力が強く(異性愛規範が強く)、ゲイです、レズビアンですとカミングアウトして生きていくことが本当に難しい、ずっとそんな社会だったと思います(少なくとも80年代まではそうでした)
 
 そんな青森で、こんなに素晴らしいパレードができる、5年やれば、ずいぶん変わる、きっとどの街でもできる、ということを、彼女たちは証明してくれました。心から拍手を贈りたい気持ちです。
 同じ日に開催されたニューヨークプライドに比べると、規模はたったの1万分の1かもしれませんが、歩いた一人一人の思いや勇気の尊さに変わりはありませんし、パレードのかけがえのなさも変わらないと思います。
 
 パレードのあとの集会で、おかっちさんが、来年はパレードではなく違うことをやろうと思う、パレードをやりたい方に引き継ぎます、とアナウンスしました。お二人の人柄とパワーで成り立っていたパレードだと思いますので、来年どうなるかわかりません…が、ともあれ、6月の晴れた日曜日、170名超の方たちとともに青森の街をパレードできたことを、一生忘れないと思います。


☆青森レインボーパレードのフォトアルバムはこちら

INDEX

SCHEDULE