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レポート:ルーファス・ウェインライト来日公演

素晴らしい才能を持ったオープンリーゲイのミュージシャン、ルーファス・ウェインライトの来日公演が行われました。ゲイミュージックを愛してやまないライター・藤嶋隆樹さんに、そのライブの模様をレポートしていただきました。

レポート:ルーファス・ウェインライト来日公演

 今年の6月にニュー・アルバム『オール・デイズ・アー・ナイツ:ソング・フォー・ルル All Days Are Nights: Songs For Lulu)』が日本でもリリースされた、ルーファス・ウェインライト。その新作を引っ提げての来日公演が、105日に東京、6日に名古屋、そして8日には大阪で行なわれました。

 ルーファス・ウェインライトは、アメリカ出身のメジャー級アーティストとしては非常に珍しく、キャリアの初期からゲイであることを公表して、しかも長年に渡って活躍を続けている男性アーティストです。カナダ系アメリカンの音楽一家に生まれ、幼少期の多くをカナダで過ごしたことが、彼のオープンリー・ゲイとしてのスタンスに、少なからぬ影響を与えていると思います。そんなルーファスのライヴ・ステージには、もちろんゲイ・テイストが色濃く反映されています。特に、ジュディ・ガーランドの往年のコンサートを再現したライヴ・パフォーマンスは有名となりました。その種のパフォーマンスを期待していた人には、今回の来日公演は、やや意外な内容であったかもしれません。従来のルーファスのライヴに顕著であったゲイ性の表出よりも、そんな自分を育んでくれた家族への想いを綴る、そんな内容でした。

 今回のワールド・ツアー「All Days Are Nights: Songs For Lulu」は、全篇がルーファスのピアノの弾き語りによる、二部からなる完全な独演形式です。第一部は、現代美術家のダグラス・ゴードンによる映像をバックに、新作『ルル』の楽曲を、曲順もそのままにステージで完全再現するというもの。そしてその第一部では、「決して歓声をあげたり拍手をしたりしないでほしい」というルーファスからの要望が、かねてから公式サイトを通じて、ファンに向けて告知されていました。

 

 私が足を運んだのは10月5日の東京公演 at JCB HALL。通常のコンサートであれば、開演時間のぎりぎりまで会場にはBGMが流されているものですが、今回は全くの無音。開演を告げるベルが鳴り響いてからは、客席の空気は高揚感よりも緊張感のほうが支配的となり、ピリピリとした静寂が張り詰めていました。

 そして、ルーファスの登場。ニューヨークで活躍しているオープンリー・ゲイのファッション・デザイナー、ザルディのデザインによる、漆黒のフェザーをあしらったゴシック風ドレスに身を包み、まるでこれから何かの儀式を執り行うかのような厳かな足取りで、一歩一歩、ゆっくりと、ステージの中央へと歩を進めていくルーファス。ファンとしては、ここで大きな拍手と歓声をもってルーファスを大歓迎したいところなのですが、その衝動は必死に押し殺さなければなりません。実際、この第一部のスタート時には、観客にはかなりの自制が要求されます。

 ルーファスは今年の1月に、最愛の母であるフォーク・シンガーのケイト・マクギャリグルを、ガンで亡くしています。そして今回のツアーの中心である新作『ルル』の収録曲の多くは、母ケイトと、ルーファスの妹でやはりフォーク・ミュージシャンのマーサ・ウェインライトについて歌ったものです。彼女たちについてルーファスが歌い始めると、ステージ後方のスクリーンには『ルル』のジャケット写真と同じ構図の、ダグラス・ゴードンによる、クローズ・アップされた目の映像が浮かび上がります。緩慢に、まばたきを繰り返すだけの、美しくもありグロテスクでもある、目の映像――それはおそらく、「生命」のメタファー。

 第一部でのルーファスは、MCは一切挟まず、歌と演奏のみに集中しています。緊迫感すら漂うその美声に、しかし私たちは、歓声と拍手を贈ることが許されません。しかし演奏が進むにつれ、そうした歯がゆさは、いつしか私の中からは消えていき、代わりにまるで舞台演劇を観ているような感覚に、私は新たに浸り始めていました。歓声や拍手を贈りたいという衝動は、無意識のうちに自分を「鑑賞する側」に置いている、ということです。そうではなく、第一部を観ているときの私は、まるで舞台演劇を観ているのと同じように、ステージ上のルーファスに感情移入していたのです。ルーファスを鑑賞しているのではなく、私はルーファスにシンクロしていた。その感覚が深まるにつれて、私は歓声や拍手を忘れ、ルーファスが歌によって綴り上げていく「ウェインライト家の物語」に、忘我、没入していきました。

 第一部の最後に演奏されたのは、『ルル』のエンディング曲「ゼブロン Zebulon)」。「My mother's in hospital」という歌い出しにも明らかなように、母親のケイト・マクギャリグルの命の灯が燃え尽きようとしている時期に書かれた曲です。そしてこの曲の演奏が終了したとき、スクリーンには母ケイトの姿が微かに浮かび上がり、緩慢なまばたきを繰り返していた目は、その動きを――永久に止めました。

 儀式は終わりました。静寂の中、ルーファスは登場したときと同じように厳かな足取りで、一歩一歩ゆっくりと、ステージから去っていきました——。 

 

 第一部が儀式であったならば、休憩時間を挟んでの第二部は、その儀式のアフター・パーティといった雰囲気。第一部での緊迫感があったればこそ、第二部での会場の雰囲気は一転して朗らかなものとなり、ルーファスとオーディエンスのみなさんとのあいだには、歓声と拍手を介した温かなコミュニケーションが、積極的に交わされました。「東京に着いて最初にしたのは、ショッピ~ング!」と嬉しそうに節をつけて語ったルーファスの、この東京公演の第二部での衣装は、そのショッピングで購入したという、いわば現地調達モノ。黒と暖色を基調にコーディネートされた、カジュアルかつガーリー(笑)な衣装で、第一部のザルディのドレスとはまた違った意味で非常にルーファスらしいものでした。「このパンツは日本で買ったから『ジャパンツ』!」というダジャレすら飛び出してくる、そんな愉快なMCも魅力の一つであった第二部ですが、実は第一部と同様に、「家族」と「死」、そして「生」という大きなテーマが、そこでは貫かれていました。

 第二部では、1998年の記念すべきファースト・アルバム『ルーファス・ウェインライト(Rufus Wainwright)』や、2001年のセカンド・アルバム『ポーゼス(Poses)』など、初期のアルバムからの曲が多く演奏されました。最愛の母の死が内的な転機となり、これまでの楽曲の中にも既に刻み込まれていた、母や妹たち、そして父への想い――つまりは「ウェインライト家の物語」を、新たな角度からとらえ直す、そんな雰囲気のセット・リストであったように思います。親しい友人であった故・ジェフ・バックリィに捧げられた「メンフィス・スカイライン(Memphis Skyline)」にしても、このセット・リストの中にあっては、同様のテーマを帯びていました。つまり、親しい人々の「死」の物語とは、あとに残された人々の「生」を問い直す、新たな「生」と、その関係性の物語でもある、ということなのです。

 ルーファスと父ラウドン・ウェインライト3世との関係も、最愛の母の死によって、これまでの愛憎入り混じる複雑な感情に、変化がもたらされているのかもしれません。そのことをうかがわせたのが、アンコールでラストに演奏された「Walking Song」。この曲はフォーク・ミュージシャンであった母ケイトの作品で、1977年のアルバム『Dancer with Bruised Knees』に収録されています。そして、この曲の中で歌われているのは、母ケイトと父ラウドン・ウェインライト3世のなれ初め、なんだそうです。――おそらく、現在のルーファス・ウェインライトは、父ラウドン・ウェインライト3世の存在を、父と子の関係性でとらえるのではなく、「今は亡き最愛の母が愛した男(ひと)」としてとらえ直すことによって、むしろ以前よりも愛せるようになっているのかもしれない――そんなことを、私は考えました。

  母の形見ともいえる、両親の出会いを歌った「Walking Song」の感動的なパフォーマンスによって幕を閉じた「All Days Are Nights: Songs For Lulu」ツアーの東京公演。亡き母に捧げる儀式であった第一部と、残された人々によるアフター・パーティーの第二部。全く雰囲気の異なる二部構成が、しかし一貫して描き出していたのは、「ウェインライト家の人々の、死と生の物語」であったのです。(藤嶋隆樹)

 

藤嶋隆樹 プロフィール

1972年、神奈川県横浜市生まれ。学生時代、授業に提出する課題として執筆した小説が雑誌『小説 JUNE』に掲載され、小説家としての活動を始める。1999年には『さぶ』誌にも作品を発表。2001年には雑誌『G-men』の第8回ジーメン小説グランプリで優秀賞を受賞。以降は『G-men』誌で小説を発表。
ゲイ・ミュージックへの愛を『Queer Music Experience』というサイトに結晶させ、精力的に記事を書き続けているほか、GALEやRIGHTS OF DARKなどのアーティストのCDのライナー・ノーツ執筆、NAOYUKI、「夢」への詞提供、GOLDEN ROSEのロックオペラへの出演など、インディーズ・ミュージック・シーンにもコミットしてきた。