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バラク・オバマ少年を育てたトランスジェンダーのナニーが当時を振り返って語りました


子どもの頃のバラク少年と
母親のアン・ダナムさん
 1960年代後半、バラク・オバマ大統領のナニー(住み込みで子どもの面倒を見る人)をつとめていたトランスジェンダーのエヴィさんへのインタビューが、AFPで紹介されていました。

 バラク・オバマ大統領は1960年代後半、母親のアメリカ人女性アン・ダナムさんとその再婚相手でインドネシア人の継父ロロ・ソエトロさんとともにジャカルタ郊外の高級住宅街メンテンで暮らしていました。当時8歳だったバラク少年のナニーとして2年間働いたエヴィ(生まれたときの名前はトゥルディ)さんは「一家は私を家族のように受け入れてくれた」と語りました。
 エヴィさんは今、ジャカルタ東部のスラム街にあるコンクリートがむき出しになった粗末な家に暮らしています。すぐ横には悪臭が鼻をつく下水が流れています。エヴィさんはここで、近所の人の洗濯物を手で洗って生計を立てています。高級住宅街でバラク少年のナニーとして働いたあと、性産業への従事を経てスラムで暮らすようになったといいます。
「私には本当に何もないし、何の役にも立たない人間だから、バリー(注:バラクの愛称)には何も求めない。ただいつか再会できたらなと思う。それだけよ」
「この借り部屋に大統領が訪ねてくるなんてありえないし、自分がアメリカへ渡るのも夢のまた夢。待っていれば神の思し召しでいつか会えるでしょう」
 

バッシングを避けてスラム街で暮らす
トランスジェンダーのエヴィさん
 エヴィさんは最近、アメリカのテレビで一躍有名になったそうですが、大統領一家が住んでいた家と同じ通りに今も住んでいる人は、エヴィさんがトランスジェンダーであることを知った上で受け入れていたと語りました。
 しかし、エヴィさんはバラク少年の世話をするときには女装はいっさいせず、トランスジェンダーであることを悟られないように気をつけていたそうです。
「女装すると刑務所から出たかのような解放感があったけど、バリーの前ではいつも男らしく振る舞っていた。この世界を知るには、あの子はまだ小さすぎたから」
 バラク少年は人気者でしたが、彼の友達はエヴィさんを「おかま野郎」と嘲笑していたそうです。
「学校に迎えに行くと、彼の友達が『おかま野郎』と叫んでからかってくるんだけど、バリーはそれを無視して、ただ『ほら、帰ろう』って言ってくれた」
 逆に、生徒らは、サッカーの試合で負けたりすると、バラク少年を「黒んぼバリー」などと呼んでからかっていたそうです。でも、バラク少年はただ笑ってやりすごし、常に「試合に勝つときも負けるときもある。覚悟しておかないと」と言っていたそうです。

 エヴィさんは「アメリカ大統領になった、つつましい出自のふつうの黒人少年」を誇りに思っていると言い、トランスジェンダーの人への差別を含め、世の中のあらゆる差別をなくすために大統領は力を発揮してくれるだろうと語りました。
「あの子は(インドネシアの)スカルノ大統領の写真を指差して、『ぼくもこんな人になりたい』と言ったこともあった。その望みが実現したことを誇りに思う。もしアメリカのトップの男になったバリーが私が知っているバリーだったら、私がトランスジェンダーであるかどうかなんて関係なく、私を受け入れてくれるでしょう」
 
 人口2億4000万人の大半をイスラム教徒が占めるインドネシアでは、同性愛者やトランスジェンダーは敬遠されており、イスラム強硬派に襲われる事件も起きています。
 エヴィさん自身もそうですが、トランスジェンダーが暴力を振るわれるケースは後をたたず、エヴィさんはたまりかねて男性的な外見にして身を守ることにしたといいます。幸い、現在暮らしている地域ではトランスジェンダーが攻撃の対象になることはなく、50人ほどが暮らしているそうです。
 エヴィさんはいつの日か、バラク・オバマ少年の通った学校を、大統領と一緒に歩いてみたいと望んでいるそうです。


「オバマ少年」を世話したトランスジェンダー、思い出を語る インドネシア(AFP)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2864986/8627508?ctm_campaign=txt_topics

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