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【訃報】日本のHIV予防啓発に多大な貢献をしたDJパトリックさんが亡くなりました

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 90年代前半にゲイであることとHIV陽性者であることをカミングアウトし、週刊『SPA!』で10年にわたって連載を持つなどメディアにも積極的に登場し、世間にHIVのことをパワフルにメッセージしてきた(最も早い時期のHIV予防啓発の立役者と言える)DJのパトリックさんが、この4月、亡くなりました。

 パトリック・ボンマリートさんは1965年、フロリダ生まれ。9歳のときに両親が離婚し、母親とスペインに移住しましたが、17歳のとき横田基地に勤める父親を頼って来日し、10代後半を東京で過ごしました。1986年、ニューヨークに移り、1989年、HIVに感染していることが判明。1993年にDJとして再来日し、日本のメディアにHIVポジティブであることをカミングアウト。以来、サウンドプロデューサーとして、タレントとして東京で活躍してきました。
 
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 週刊『SPA!』の連載「パワフルHIVポジティブ パトリックのカミングアウト大作戦(その後、「GO!GO!PATRICK」にタイトル変更)」がスタートしたのは1994年。まだカクテル療法もなく(エイズが死と隣り合わせで)、人々のHIV/エイズへの恐怖心や偏見が根深く残っていた、そんな時代にHIV陽性者であることをカミングアウトし(おそらく芸能人と呼べる方のなかでHIV陽性であることをカミングアウトした方は、未だにパトリックさんだけなのではないでしょうか)、HIVのことを「ポジティブ」に(感染していてもこんなに元気にやっていけるよという前向きなイメージで)伝えていったのは、本当にスゴいこと。多くの人たちが影響を受けたはずです(HIV予防の分野で有名な岩室紳也先生も「パトリックは、日本のHIV対策、予防、HIVとともに生きることを教えてくれた最初の人だと思います。その功績は計り知れないし、今の私があるのもパトリックのおかげです。彼に勇気づけられた人もたくさんいるでしょう。寂しいです」と語っています)

 そんなふうに世間で活躍していたパトリックさんは、『SPA!』と同時期に『バディ』誌でも「教えてパトちゃん!」という連載を持っていました(たしか1998年〜2001年頃だったと思います)。「最近タチが悪いんですけど…」など、読者から寄せられたあらゆる質問に対して軽やかにパトちゃんらしく回答してくれていたのが印象に残っています。『バディ』誌だけでなく、ゲイイベントでDJをするなど、世間にもゲイコミュニティにも分け隔てなくコミットしていました。

 「日刊SPA!」の追悼記事には、こう書かれています。
「奇抜なファッションとへこたれないスーパーポジティブキャラクターで、偏見をはねのけ、マイノリティによりそい、HIVの正しい知識を広めていったのがパトリックだ。性同一性障害や障害者夫婦、難病患者たちに会いに行き、中学校や高校では子どもたちに『相手を思いやるセックスって、どういうことだと思う?』と問いかける。
 もちろん自身に関係のあるHIVやAIDSについての情報も発信し、アメリカやタイ、オーストラリアなど、HIV感染者を減らすことに成功した国にも取材に出かけていった。
 連載は2003年9月2日号までの丸9年以上、445回、その後も不定期で「HIV/AIDSの今」としてリポートを続けた。
『性感染症? 何それ? ゴム買うおカネなーい! 子どもキライだから不妊症になっても平気!』とあっけらかんと語る女子高生たちにガックリしてみたり(2002年8月13号)、アメリカ取材では合法売春宿やAV組合の厳しい検査と管理に驚いたり(2003年12月9日号)。2004年には、タイ取材で初めてAIDS末期患者の姿を目にし、号泣したこともある(5月18号)」

 パトリックさんがいつも講演などで話していたのは、「自分らしく生きること。自分を大事にすること。自分で考えて自分で決めること」でした。著書『パトリック・ボンマリートの生活と意見―僕の幸福論』(木魂社)の販売サイトには、「パトリックさんのことが大好きになりました。彼の一言、一言が、私たちへの励ましであり、警句であり、そしてハッピーになる秘訣です。パトリックのように、ものごとを自分自身で深く考え、決定し、一日一日を謳歌しほんとうに味わい尽くして、生きていきたいと思いました」といったコメントが寄せられています。

 パトリックさんが20年近く日本でHIV/エイズ予防啓発を行ってきたのは「自分で選んだ国だから」。「2000年までは頑張りたいな」と常々言っていたそうです。幸いにもずっと元気で生きてこられたパトリックさんですが、昨年Facebookに「関わっていた事業が頓挫し、現在収入がありません。AIDS/ADHD/MSRA(編注:MRSA=黄色ブドウ球菌が耐性化した病原菌のこと?)+膝と首の関節を痛め歩行に杖が必要なほどで、外に出て働くことが難しい状態です」とアップされていました。このSOSに反応し、個人的にドネーションされた方などもいらっしゃいましたが、いよいよ生活が苦しくなり(水道なども止められ)…今年4月、亡くなったそうです。心からご冥福をお祈りいたします。

 Twitter上には「知っていたら何かしてあげられたのに…胸が痛みます」「HIVと貧困という問題を考えさせられました」といったコメントがたくさん寄せられました。
 28日(日)の東京レインボープライドでは、パトリックさんを追悼する献花台が設けられるそうです。
 また、8月2日(金)、AIDS文化フォーラムin横浜で「HIVと共に生きる難しさ~AIDS文化フォーラム in 横浜を支え続けたパトを偲んで~」というトークセッションも予定されています。

 

【訃報】日本のHIV/AIDS啓蒙の土台を作ったDJパトリック、日本で頑張った20年間(日刊SPA!)
http://nikkan-spa.jp/424624

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