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【追悼】戦後を代表するクィア・アイコンの一人、戸川昌子さん

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 シャンソン歌手、ミステリー作家、タレントなどとして活躍した戸川昌子さんが4月26日、胃がんのため、亡くなりました。85歳でした。
 奇しくも、前田健さんと同じ日に訃報が伝えられたため、ゲイの方のなかにはショックを隠しきれない方もいらっしゃいました。
 
 戸川昌子さんはシャンソン歌手として銀座にあった伝説的なシャンソン喫茶「銀巴里」などに出演するかたわら、1962年にはミステリー小説「大いなる幻影」で作家デビューを果たし、江戸川乱歩賞を受賞したほか、翌年に発表した「猟人日記」が直木賞の候補となり、映画化もされるなど人気作家となりました。
 戸川さんは「狩りの時刻」「プールサイドの二重奏」「赤い暈」「黄金の指」といった作品で女性の同性愛を、「ソドムの罠」でゲイを、「蒼ざめた肌」でトランスジェンダーを描くなど、戦後文学の中で最もセクシュアルマイノリティを(時代の制約もあり、変態とか性倒錯と受け取られるような描写ではあったかもしれませんが)積極的にフィーチャーした方でした。『レズビアンの世界-恍惚-』『セックスドキュメント 性倒錯の世界』といった映画に出演したりもしています。
 その一方で、『婦人公論』にレズビアンやゲイを擁護する長文の記事を投稿しています。「彼らは隠花植物といった目で見られがちだったけど、そういう見方はおかしいんじゃないかという怒りの一文を書いたの。そしたら全国の当事者からすごい反響があった。『よく書いてくれた』って」(『性という[饗宴]』より)
 1967年、伝説的なサロン「青い部屋」を開店し、「銀巴里」の流れをくむシャンソンのライブを催し、美輪明宏さん、三島由紀夫さん、川端康成さん、寺山修司さん、野坂昭如さん、岡本太郎さんら錚々たる文化人が多数訪れ、サブカルチャーの発信地として若者にも親しまれました。セクシャルマイノリティに対する偏見が強かった時代であるにもかかわらず、戸川さんは積極的にゲイやレズビアンの方々を登用したことでも知られており、「青い部屋」はレズビアンバーのはしりとも言われています。
 戸川さんはあのトレードマークの髪型でTVにもたびたび出演し、タレントとして活躍。1999年か2000年に放送されたTV番組「いつみても波瀾万丈」という番組の中で、レズビアンじゃないかという噂がありますが?という質問に対して「男も女も愛せる」と明言し、バイセクシュアルであることをカミングアウトしたそうです(『性という[饗宴]』より)
 2002年には『バディ』誌の伏見憲明さんの連載「夢のトークショー」に登場し(当時としては、ゲイ雑誌に著名人が登場するだけでもかなりのインパクトがありました)、若い頃に女性とつきあっていたことなど、ざっくばらんに語ってくださいました(そちらの対談は伏見憲明さんの『性という[饗宴]』にも収録されているので、ぜひお読みください)
 また、2002年夏の東京レズビアン&ゲイパレード(前日祭「GLORY」)に、おそらく日本のパレード史上初の著名人(タレント)として出演し、心をこめてシャンソンを歌い、会場の参加者たちを勇気づけました(間近で見ていましたが、とても感動的なシーンでした)
 その後も戸川さんはシャンソン歌手としての活動や「青い部屋」の運営を続けていましたが(残念ながら2010年に閉店)、5年ほど前に末期がんと宣告され、闘病生活に入り、4月26日に入院先の病院で亡くなったということです。
 

『性という[饗宴]』
伏見憲明:著、ポット出版
 美輪様が戦後のゲイタレントのはしりだとすれば、戸川昌子さんはその女性版とも言うべき存在、いわば戦後を代表するクィア・アイコンの一人だったと言えるのではないかと思います。
 本当にありがとうございます、という気持ちです。心よりご冥福をお祈りいたします。
 
(後藤純一)



シャンソン歌手で作家 戸川昌子さん死去(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160426/k10010499521000.html

シャンソン歌手で作家の戸川昌子さん死去(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASJ4V5T4XJ4VUCVL01Y.html

戸川昌子さんが死去 シャンソン歌手で作家「最後までステージで歌い続けた」(ハフィントンポスト)
http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/26/masako-togawa_n_9776362.html

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