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日本で初めて自認する性別での通学を認められたトランスジェンダーの小学生がこの春、高校を卒業し、社会人になりました

2017年07月31日

 2006年5月、兵庫県播磨地方で、男の子として生まれたものの、性別違和に苦しんでいた小学2年生の優さん(仮名)が、女の子として通学することを認められたというニュースを憶えている方もいらっしゃると思います。優さんが無事に中高と女子生徒として通学し、この春めでたく高校を卒業し、就職もしたという記事が神戸新聞で報じられていました。小中高と自認する性別で通学することを受け入れられた全国初の事例とみられます。また、優さんの事例は、GID(性同一性障害)の治療指針に影響を与えたほか、同様の子どもに対する学校の配慮が全国的に広まるなど、社会の理解が浸透するきっかけとなりました。
 
 1歳の頃からスカートやぬいぐるみが大好きだった優さんは、5歳のとき、お母さんに「おちんちんは取れないの?」と問うなど、男の子の身体に対する激しい拒否感を示し、ほとんど食事をとらなくなったといいます。しかし、GIDの専門の医師が「女の子やもんな」と言ってくれて、保育園の先生もびっくりするくらい、元気になったそうです。医師の助言に従い、お母さんが女の子として小学校に入学できるよう教育委員会に依頼し、認められました。トイレや身体測定も女の子としての扱いでした。 
 2006年にニュースになった際は、幼い子どもである点や、ほかの生徒に知らせない状態での異例の受け入れなどに賛否両論が噴出したそうです(ちなみにこのとき、世田谷区議の上川あやさんは「第二次性徴や思春期の前で、慎重にみなければならない時期ではあるが、体の性に対する本人の嫌悪感が強いのならば現実的な対応。大人の「事なかれ主義」で子どもが置き去りにされることを避けた点で評価できる」とコメントしています)。しかし、教育委員会の理解もあり、中学、高校でも同様の配慮が引き継がれ、優さんは女子として生活することができました。
  
 今年2月の高校の卒業式で、お母さんは、優さんが学校生活を終えることについて「一般のお母さんと同じ気持ちだと思う。こんなに大きくなってくれてありがとう」とかみしめるように語りました。優さんは「周りの助けでここまで来られた。カミングアウトした友達にも理解してもらい、大変感謝している」と語りました。

 優さんは4月には兵庫県にある牧場に就職しました。牧場主の方は「性同一性障害だから心配したというのは特になかった。取引先にも連れて行くが、特に性別について聞かれることもない」と語っているそうです。
 
 治療面では、小学6年生で第二次性徴が始まり、思春期の体の変化を一時的に止める「抗ホルモン剤」を全国で初投与されました。身体面の男性化が抑制され、精神的苦痛が軽減。主治医の康純・大阪医科大准教授は「副作用は全くなく、思春期の患者特有のホルモン療法への焦りがなかった」と振り返ります。日本精神神経学会は、優さんを契機に、心の性に合わせて体を変える「ホルモン療法」の下限年齢を、条件付きながら18歳から15歳に引き下げました。優さんは高校入学直前に女性ホルモンの投与を始めました。高校2年の秋には「お風呂に入っていると(ホルモン療法で)胸も出てきたのに男でもあるから中途半端でキモい」と話していました。今は、だいぶ体も女性化していますが、体への違和感は続いていて、将来は性別適合手術を受けて戸籍の性別を変えたいそうです。

 2006年といえば、性同一性障害特例法はすでに施行されていましたが、まだまだ世間の理解はそれほど進んでいなかったと思います。そんな時代に、地方の街で、優さんの親御さんや担任の先生や学校のみなさんや教育委員会のみなさんが、小さな子どもの苦悩に寄り添い、特例を認めてくれたこと、その優しさに、胸が打たれる思いです。 
 この記事を書いた神戸新聞の霍見真一郎さんは、2006年当時にも優さんのことを記事にしていますが(それ以来、ずっと優さんのことを見てきたんだと思います)、そういうメディアの方や、地域の方や、たくさんのたちも、陰ながら見守ってきてくれたんだろうなと思います。優さん、卒業と就職おめでとう、というたくさんの声が、聞こえてくるようです。
 
 
 
「心の性」で小中高通学 GIDの18歳、社会人に(神戸新聞)
https://www.kobe-np.co.jp/news/kurashi/201707/0010420425.shtml

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