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トークセッション「ダイアモンドは永遠に――日本におけるドラァグクイーン・パーティーの起源」

「DIAMONDS ARE FOREVER TOKYO」の翌日、「ダイアモンドは永遠に――日本におけるドラァグクイーン・パーティーの起源」というトークセッションが森美術館で行われました。シモーヌ深雪さん、マミー・ムー・シャングリラさん、D・K・ウラヂさん、DJ LaLaさん、ブブ・ド・ラ・マドレーヌさんというレジェンドたちの貴重な証言をお届けします。

トークセッション「ダイアモンドは永遠に――日本におけるドラァグクイーン・パーティーの起源」

森美術館で開催中の展覧会「クロニクル京都1990s ―ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る」の関連企画として、「DIAMONDS ARE FOREVER TOKYO」の翌日、12月12日(水)の夜に「ダイアモンドは永遠に――日本におけるドラァグクイーン・パーティーの起源」というトークセッションが森美術館で行われました。文字通り、日本で初めてドラァグクイーンのパーティが立ち上げられていく黎明期の貴重なお話を聞くことができて、興味深かったです。レポートをお届けします。(後藤純一)



 AiSOTOPE LOUNGEで「DIAMONDS ARE FOREVER TOKYO」が開催された翌日、(写真右から)シモーヌ深雪さん、マミー・ムー・シャングリラさん、D・K・ウラヂさん、DJ LaLaさん、ブブ・ド・ラ・マドレーヌさんが登壇し、森美術館で「ダイアモンドは永遠に――日本におけるドラァグクイーン・パーティーの起源」というトークセッションが行われました。日本最古にして最長寿であるドラァグクイーン・パーティ「DIAMONDS ARE FOREVER 」の立ち上げにかかわった方々、日本で初めてドラァグクイーン文化を花開かせた方たちの、貴重なお話を聞くことができました。
 
「クロニクル京都1990s ―ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る」トークセッション 第2回「ダイアモンドは永遠に――日本におけるドラァグクイーン・パーティーの起源」
日時:2018年12月12日(水)19:00~21:00
会場:森美術館オーディトリアム
出演者:DJ LaLa(ミュージシャン)、ブブ・ド・ラ・マドレーヌ(アーティスト)、マミー・ムー・シャングリラ(サウンド・アーティスト)、D・K・ウラヂ(『ダイヤモンド・アワー』監督)、シモーヌ深雪(シャンソン歌手、ドラァグクイーン)
モデレーター:石谷治寛(京都市立芸術大学芸術資源研究センター研究員)、椿玲子(森美術館キュレーター)

 「ダイアモンズ・アー・フォーエバー」は、関西でドラァグクイーン・パーティーの場を模索していた故ミス・グロリアス(古橋悌二)とDJ LaLa(山中透)が、シモーヌ深雪&上海ラブシアターと共に1989年に大阪・堂山で開始したパーティーの名称です。1991年より京都のクラブ「メトロ」で定期的に行うようになり、現在も月に一度で開催されています。90年代の初めから半ばにかけて、アーティスト・グループのダムタイプのメンバーをはじめ、キャストやスタッフおよび来場者には美術大学出身者が多く、ジェンダーとセクシュアリティを超えてさまざまな試みが行われる実験的な場所となっていました。本プログラムでは、パーティーが開催された当時の京都のアートシーンやドラァグクイーン・カルチャーについて、そしてそれらが21世紀の現代社会にどのような影響をもたらしているのかを、関係者たちが縦横無尽に語ります。(公式サイトより)

 以下、トークセッションの内容をダイジェストでお届けします。モデレーターの方がお題を出し、それに沿って出演者のみなさんが語っていくというかたちで進んでいきました。


「MAMリサーチ006」展トークセッション第2回 「ダイアモンドは永遠に――日本におけるドラァグクイーン・パーティーの起源」実施風景、2018年12月12日、森美術館(東京) 撮影:鰐部春雄 写真提供:森美術館

 

「DIAMONDS ARE FOREVER TOKYO」の始まり


DJ LaLaさん(以下「LaLa」):1985年~86年、悌二がNYに行ってて、ゲイクラブでドラァグクイーンというものを知って、帰国してから、メイクしてDJがいるような店に遊びに行ったりしてた。88年にダムタイプのNYツアーがあって、僕も「Pyramid」とかのクラブに行って、初めてドラァグクイーンやHOUSEという音楽に触れて、刺激を受けた。で、帰ってきて、日本にはああいう場所ないよね、じゃあ、どうしよう、自分たちで作るしかないよね、と。それが始まり。
シモーヌ深雪さん(以下「シモーヌ」):私はバンドやアングラ演劇のパフォーマンスとしてドラァグクイーンのようなことをやっていた。それを観に来てたLaLaやグローリアスに誘われてダイアモンズ(「DIAMONDS ARE FOREVER」)に参加するようになった。その前からウラヂとは友達で、小さなドラァグのグループ(のちの「上海ラブシアター」)をつくっていて…今と同じですね。
LaLa:化けれる人を探してて。こんなにおるやん!と。まとめて来てもらおう!と。
シモーヌ:振り返ると、当時はドラァグクイーンという意識はなかった。
LaLa:立派なドラァグクイーンだったよ。
シモーヌ:上海ラブシアターは、ゲイ、レズビアン、ストレート女子がいて、性別にかかわらずドラァグのようなことをやっていた。
ブブ・ド・ラ・マドレーヌさん(以下「ブブ」):ダイアモンズもそうよね。決してゲイオンリーではない。セクシャリティとかジェンダーなんて言葉も知らなかった。NYの話に戻ると、ダムタイプの「S/N」は海外15ヵ国を回って、それも楽しかったけど、日本で売ってないようなウィッグを仕入れてくる楽しみもあった。
マミー・ムー・シャングリラさん(以下「マミー」):NYには途方もない影響を受けました。 
ブブ:NYのクイーンの振る舞いや「しつけ」みたいなところがとても新鮮で。グローリアスやシモーヌはもともとできてたことだと思うけど。

 

ドラァグクイーンとは何か?

 

シモーヌ:ドラァグクイーンらしくしようとは思っているけど、何か?と聞かれると、よくわからない。
マミー:私はドラァグクイーンではない。ドラァグクイーンたちの中で遊ばせていただいたけども。言うなれば、創造と破壊。ジェンダーのことはおいといて。自由に表現すること。
D・K・ウラヂさん(以下「ウラヂ」):私はドラァグクイーンは基本的にヴィラン(悪役)だと思っています。
シモーヌ:私はずっと敵役に憧れてた、女性の。
ブブ:私のデビューの時は、とりあえず網タイツと手袋をすればドラァグクイーンらしくなる、とLaLaさんに言われたので、そうしました。
シモーヌ:網タイツだけではドラァグではないと思う。ドラァグを言い表す言葉として、キャンプとか、チープ・ゴージャスとよく言われる。
ウラヂ:キャンプを説明するのはすごく難しくて。スーザン・ソンタグが初めて言語化した。〇〇はキャンプではない、というフレーズを延々と並べる形で…。
シモーヌ:キャンプの中に、悪とかポップとか笑いとかトゥーマッチということが入っている。ダイアモンズはそういう要素を組み合わせた遊びをしても怒られない場所として、発展した。
ウラヂ:ドラァグクイーンは存在そのものが破壊的。悪と言ってもそれは「神の悪」なんです。
マミー:女神です。
LaLa:破壊的でないといけない、と悌二が言っていた。それは突破するということ。
ウラヂ:過剰であること。
マミー:常軌を逸してる。予定調和じゃない。神様レベル。
ウラヂ:だいぶ後になって、二丁目の方から「女装」という言い方が聞こえてきて、「私たちは女装ではない!」と思っていた。過剰さで女装を飛び越えていた。本家も、おおもとは女装だったかもしれないけど、やはりゴツい男性が普通に女装するとキモチ悪いじゃないですか、でも、過剰にメイクすれば、本物の女子に負けないものになる、そこがドラァグクイーンの始まりじゃないかと。破壊的なまでの過剰さで凌駕する、すべてにおいて。衣装も、靴も、ウィッグも、まつ毛も。大きいのはいいこと、みたいな。
シモーヌ:ゴツい美しさもキャンプの一つ。ドラァグは、古来よりの女装文化とは区別されるものだと思う。
ブブ:ドラァグのメイクも、ある型をなぞればいいかというと、そうではなく、どこに行くのか、何用のメイクなのか、みたいなことで変えたりする。その場において、何が最も破壊的か、と。テレビなのかクラブなのか。

 


「ダイヤモンド・アワー」について


ウラヂ:事の起こりは、ビデオ関係の会社から「上海ラブシアターで何かビデオを作りませんか?」というオファーが来たんですが、そのタイミングでミス・グローリアス(古橋悌二さん)が周囲の人にHIV陽性であることをカミングアウトして、私は「ミス・グローリアスの記録を残さなければいけない」と思ったんです。それで、ダイアモンズのメンバー総出で、作りはじめました。「ダイヤモンド・アワー」はミス・グローリアスの体内で起こっていることをストーリーにしています。最後の爆発は死であり、そのあとのレビューはあの世の世界の出来事なんです。テイストとしては、いろんな要素を詰め込んでいます。グローリアスが大好きだったオフブロードウェイの『ページェント』というミュージカルがあって、「ミス・バイブルベルト」っていう、いかにも敬虔で保守的な南部の女性なんかをパロディにしていて。「ミス・工業地帯」とか。
シモーヌ:バーブラ・ストライサンドの『カラー・ミー・バーブラ』っていうTVショーとか。
ウラヂ:これはすごく似てるってよく言われるんですが、『ヴェガス・イン・スペース』というドラァグクイーンの映画があって。本当にたまたま同時期に世に出たんですが、とてもよく似ています。『ヴェガス・イン・スペース』の監督もエイズで亡くなっているし。
シモーヌ:『プリシラ』よりはるかにドラァグクイーンらしい作品だったね。

会場からの質問:京都にはアンチ東京の気風というか、独自の文化を発展させる土壌があると思います。「DIAMONDS ARE FOREVER」が生まれたのは京都のそういう土地柄も関係あるのでは?
シモーヌ:そんなにない。
ブブ:実は今日ここにいるメンバー、全員京都の人じゃないです。ダイアモンズも大阪で始まったし。
ウラヂ:関西クイーンの強みってあるよね、ボケたおすという。
シモーヌ:面白ければOK。
ブブ:面白いものはどこにでも通用する。
シモーヌ:意図しない歪みっていうのもある。
ブブ:どこまで歪められるかを競う『ブスナイト』というのもやっていた。

 


「DIAMONDS ARE FOREVER」が30年続いている理由


シモーヌ:あまり昔と変わってない。
ブブ:こだわる部分とほっとく部分があって。そこらへんが合ってたんだと思う。
ウラヂ:私は90年代終わりにはドラァグクイーンをやめてしまった。
シモーヌ:たぶん、残ってる人はヴィランの要素がある人。どこかヴィランになりきれない人がやめていったのかもしれない。
ウラヂ:ドラァグクイーンって「場」が必要なんだと思う。命がけで「場」を守っている。ジェンダーとかではなく。ドラァグという性別はない。
シモーヌ:たぶん海外ではジェンダーのところから発生していると思う。日本のほうが特殊なんじゃないか。 
 


「DIAMONDS ARE FOREVER」の過去と未来


シモーヌ:過去はどうでもいい。未来も何も考えていない。ショーの予定が入っている数ヶ月先までのことだけ考えてる。
マミー:私がマミー・ムー・シャングリラに扮しているのは、神が憑いている状態。創造と破壊の統合。
ウラヂ:破壊であり、反転。価値観の。
シモーヌ:ヴィランであるところのドラァグクイーンにさえ 優等生の仮面を被らされるのが昨今の風潮だけど、それは何としても阻止するし、私は今後もその仮面を着けないように努力するつもり。 
LaLa:昔、ノンナ・ペトロワというドラァグクイーンとしてDJをしていた。名前は山岸涼子の『アラベスク』へのオマージュ。お客さんもドラァグメイクで来てくれたりして。そういうのが面白かった。
ブブ:昨日(「DIAMONDS ARE FOREVER TOKYO」)はひさしぶりに会う人がたくさんいて。安心できた。ちゃんと受け止めてくれるから。なんか法事みたいだと思った。みんなでひさしぶりに集まって、あの時はこうだったよねって美しい思い出を語るような。
 
会場からの質問:先ほど、ボケたおすというお話があったかと思いますが、ボケに対するツッコミというのはあるんでしょうか?
ウラヂ:メイクの中でのボケっていうのがある。そこに気づいたら、ホメたり笑ったりしてあげるっていうのが、グローリアスだった。ホメられて、形になっていって、また新たなボケが生まれて、ボケが重なっていく。昔、グローリアスがNYから持って帰ったドラァグクイーンの写真を見て、衝撃を受けたことがあった。頭がスキンヘッドでつけまつ毛が頭についてるクラウス・ノミみたいな4人が同じ格好で行動してて。
シモーヌ:ドラァグクイーンのメイクには「メーキャップ系」と「ペイント系」があって、メイクでボケたおすのは後者。ダイアモンズのクイーンは「ペイント系」が多い。

会場からの質問:日本の特殊性というお話がありましたが、日本のドラァグクイーンの変遷みたいなところを教えていただければ。
シモーヌ:先にニューハーフの文化、ゲイの女装文化、ホームパーティなんかでの仮装文化、ビジュアル系バンドのメイクとかがあって、ごちゃまぜだった。今はニューハーフとドラァグクイーンは違う!と言われるので、やりにくいかもしれない。関西で言うと、ダイアモンズの後に、堂山にゲイクラブができて、ゲイのドラァグクイーンが登場してきた。そんなクイーンにも集まってもらって、99年に「DIVA JAPAN」というイベントをやった。全国大会ですね。当時は東京と大阪以外は、本当に少なかった。私たちはお手本が海外だったけど、たぶんナジャ以降は、目の前のクイーンをお手本にするようになった。もっと遡ってほしい、と思います。 


 

 2時間を超えるトークセッションでしたが、目からウロコなお話、耳が痛いお話、へええ!となるお話など多岐にわたっていて、実に興味深かったです。 
 80年代の、古橋悌二さんがNYからドラァグクイーン文化を持ち帰り、LaLaさんと一緒にドラァグクイーンのパーティを始めた、シモーヌさんたちを発掘したという黎明期の話は、ほとんど神話の世界、日本のドラァグ創世記とも言うべき物語でした。「ドラァグクイーンは女装ではない」とおっしゃるのも、本場のドラァグを知るからこその「御託宣」だと思いました。
 森美術館でこのようなトークセッションが行われたこと自体も、感慨深いものがありました。
 展覧会「クロニクル京都1990s ―ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る」は1月20日(日)までです。こちらも実に濃い内容で、貴重な記録映像もたっぷりあり、半日くらい、椅子に座りながらご覧いただけると思います。なお、1月11日(金)には、森美術館内のレストラン「THE MOON」でクロージングイベントが行われ、再び「DIAMONDS ARE FOREVER」の方々が来られるそうです(詳細はこちら)。ぜひ足をお運びください。


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