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劇団フライングステージ第41回公演『新・こころ』

2016年3月30日、新宿3丁目「SPACE 梟門」で行われた劇団フライングステージ第41回公演『新・こころ』の初日レポートをお届けします。

劇団フライングステージ第41回公演『新・こころ』

2016年3月30日、新宿3丁目「SPACE 梟門」で行われた劇団フライングステージ第41回公演『新・こころ』の上演がスタートしました。平日にもかかわらず客席は超満員(補助席も出て、びっしり埋まっていました)、会場は熱気に包まれていました。『新・こころ』は2008年に上演された作品ですが、今年は夏目漱石の没後100年にあたるそうで、そういう意味で再演されたのだと思います。恒例の初日レポートをお届けします。(後藤純一)


 『新・こころ』は、夏目漱石「こころ」を明治の男たちの恋と友情の物語として読み直し、オールメールキャストで上演した作品です。「こころ」は多くの方が中学とか高校で読んだであろう、国民文学の傑作ですが、読んだことがない方のために、あらすじをご紹介します。

明治の末、語り手である「私」は、鎌倉の海で「先生」に出会い、その後、先生との交流を深めていく。先生と奥さんとの関係は妙にさびしい。「私」は、その後、先生から遺書を送られる。そこには、彼がかつて、友人の「K」を裏切り、奥さんと結婚したのだということ、そして、「K」は自殺してしまい、自分もまた「明治の精神に殉じて」死んでいくのだということが書かれてあった…。(フライングステージ公式サイトより)

 漱石は明確には書かなかったものの、「私」と「先生」の関係、そして「先生」の「K」への気持ちは同性愛的なものであったというのは、土井健郎(『甘えの構造』)や橋本治(『蓮と刀』)をはじめ、多くの識者が指摘してきました(今回の芝居で知ったのですが、海外ではゲイ文学のコーナーに置かれているそうです)。『新・こころ』は、漱石があえて書かなかった本当のところを、物語の世界(100年前)と現実(現在)を行き来し、ないまぜにしながら同性愛の物語として丁寧に読み替え、舞台上に見事に再構築した、格調高い文芸大作でした。

 フライングステージは、その時代その時代でゲイたちが直面し、感じてきたいろいろを、ゲイの役者さんたちのリアルで生き生きとした芝居によってアクチュアルに表現することに長けた(右に出る者がない)劇団ですが、時々、こうしたハイクオリティな時代物を見せてくれます。
 今回は、もちろん関根さんの脚本や演出も安定の素晴らしさだったのですが、役者さんたちがとても光っていたと思います。見目麗しい、演技も達者な役者さんたちが多く(なかには上半身裸のサービスシーンも)、明治の書生のバンカラ感とインテリ感を併せ持った雰囲気を上手く醸し出していましたし(幸田露伴を講談風に朗読してみせるシーン、とてもカッコよかったです)、何より、女性の役を全員、フライングステージのゲイの俳優さんたちが女形(女装)で演じていたのがシビレました。歌舞伎と同様、この舞台には男性しか出演していないのです。今から100年前の物語を描くのに、このキャスティングはとてもふさわしい(正しい)と思いますし、これができるのはフライングステージだけですよね(さらに今回、gaku-GAY-kai以外ではあまり出演していないモイラさんが妖艶な女装で女学生を演じていましたが、ハマリ役だと思いました)。ノンケのお客さんも喜んでいたのではないでしょうか。

 男色が明治時代まで日本の伝統的な文化として息づいていたことが、きちんと語られていたところもよかったです。
 書生たちの会話の中で、薩摩出身の小久保という男が、薩摩の武家では二才(元服後、妻帯前の男性)が稚児(元服前の少年)を寵愛する伝統がある、もちろん西郷さんもそうだったと熱く語る場面がありました。小久保はまた、幸田露伴の『ひげ男』という男色小説を読めと勧めます(また、フライングステージの公式サイトでは森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』も紹介されています)。また、男色は同性愛とは異なるものであるということ(自分はゲイだというような確立したアイデンティティではなく、その時その時で男性に恋したり女性に恋したりする)、薩摩の男たちの制度としての男色はミソジニー(女性嫌悪)の上に成り立つものだったということも指摘されていました。
 それから、ネタバレになるのであまり詳しく書きませんが、書生たちの中には複数、男に恋をしている人物が登場するのですが、その中の一人は、どうやら漱石をモデルにしているらしい、ということは、漱石もまた男色の経験が…と妄想を膨らませてしまいました。
 いずれにせよ、この芝居は、明治末という男色文化が最後の輝きを放っていた時代の男たちの恋を描いた群像劇であり、時代への挽歌とも言うべき作品でした。

 この芝居では、なぜ「K」のことが好きだった「先生」が、「K」がお嬢さんを好きだと知った途端、(「K」には「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という残酷な言葉を吐きつつ)「K」を出し抜いてお嬢さんとの結婚を決めたのか(結果、「K」は自殺してしまいます)、ということが描かれていますが、恋の鞘当てなどではもちろんなく、また、「先生」の恋心のもつれ(とち狂った)だけでもなく、その背景には時代の限界(男が男を愛しながら生きていくことの困難)があったのだというように表現されていたと思います。もし今の時代に生まれていたら、「K」や「先生」は死なずに済んだのではないか?と、『新・こころ』は問いかけるのです。
「時代に許容されていた男同士の恋愛が、大正になった途端、エロ、グロ、変態性欲ということになってしまう。この世の中の大きな変化、そのまさに転換点に、漱石の「こころ」があり、「先生」がいるんじゃないだろうか」(フライングステージ公式サイトより)
「こころ」はある意味、戦争に向かって、「産めよ殖せよ」がスローガンになり、同性愛者が非国民と見なされていく時代の悲劇を描いた作品なのかもしれない、そういう意味では、『新・こころ』の再演を今やることには、また違った意義もあるのかもしれないな…と思いました。
 
 こう書くとシリアスで難しい舞台という印象を持たれるかもしれませんが、キホンはフライングステージの「女優」陣が得意のキャンプなノリで笑わせてくれる、ゲイゲイしい芝居ですので、4月3日(日)までの期間中、ご都合の良い時にぜひ、足をお運びください。



劇団フライングステージ第41回公演「新・こころ」
日程:2016年3月30日(水)〜4月3日(日)
会場:SPACE 梟門(新宿区新宿3-8-8 新宿O・Tビル2F 都営地下鉄新宿線新宿三丁目駅C5出口目の前)
料金:前売(予約 全指定席)3,500円、ペアチケット6,500円、トリプルチケット9,000円、学生2,500円(入場時受付で要学生証提示)、当日券3,800円、当日学生券3,000円(入場時受付で要学生証提示)