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尾辻かな子参議院議員へのインタビュー

尾辻かな子さんが5月23日、日本初の同性愛者であることを公にした国会議員となりました。さっそく参議院議員会館の議員室(事務所)におじゃましてインタビューをさせていただきました。

尾辻かな子参議院議員へのインタビュー


2007年の選挙の際は、二丁目の事務所で
大勢の方たちといっしょに朝まで開票結果を
見守り、涙を飲みました…今、応援して
くださったすべてのみなさんと、喜びを
分かち合いたい気持ちです。
 尾辻かな子さんは大阪府議時代の2005年、東京レズビアン&ゲイパレードのステージにおいて現職の議員として初めて公に同性愛者であることをカミングアウトし、会場を感動の渦に巻き込みました(同時に著書『カミングアウト―自分らしさを見つける旅』を発表し、世間的にも注目を集めました)。2006年には、大阪で悲願だったレインボーパレードを初開催したり(尾辻さんは事務局長を務めていました)、尾辻さんのお母様を中心に「LGBTの家族と友人をつなぐ会」を立ち上げたり、IDAHOの立ち上げに携わったり、全国を回って講演を行うなどのコミュニティ活動を繰り広げました。
 2007年夏には民主党の公認を得て参院選全国比例区へ出馬しました。二丁目に事務所を構え、二丁目の方たちをはじめ全国のセクシュアルマイノリティの方たちや支援者の方たちの応援を受け、また、民主党の目玉候補として連日のようにメディアをにぎわせ、日本初のオープンリー・レズビアンの国会議員めざして奮闘しましたが、残念ながら当選には届きませんでした(得票数は38,230票でした)
 その後、介護関係の仕事に就き、福祉の専門家としての立場からも政策を訴えてきました(セクシュアルマイノリティ関連の講演なども並行して行ってきました)。そして昨年末、引退表明した民主党の稲見哲男前衆院議員(大阪5区)の後継者に抜擢され、衆院選に臨みました。この時も当選には至りませんでしたが、尾辻さんは再び政治家への道を歩むことになりました。
 そして、この5月、室井邦彦参議員(比例代表)が民主党からの離党届けと議員辞職願を提出し、民主党比例名簿から尾辻かな子さんが繰り上げ当選することとなりました。5月23日に正式に当選証書を受け取り、晴れて日本で初めて同性愛者であることをカミングアウトした国会議員が誕生しました。
 そこで5月末日、永田町の参議院議員会館の尾辻さんの部屋(議員室)におじゃまして、尾辻かな子参議院議員へインタビューをお願いしました。(聞き手:後藤純一)

 

あきらめずにチャレンジすれば、いつか奇跡が起こる


念願の国会議員になった尾辻さん。
入ってまだ1週間の参議院会館
議員室(事務所)にて。

——当選おめでとうございます! まずは、今のお気持ちを聞かせてください。

これは夢じゃないか、白昼夢じゃないかと思うくらい、今いる世界が今までとぜんぜん違うので、そのあまりの違いに戸惑うような気持ちですね。

——6年前に残念ながら当選に届かないということになったときは、こういう日が来ることを誰も予想してなかったですよね。順位的にも。

20人当選で29位でしたからね。どう転んでも繰り上げはないと思ってました。

——6年前を振り返ってみると、毎日レズビアンやゲイや支援者の方が事務所に来て作業をしたりビラを撒いたり…全国各地でいろんな方が応援してくれて、コミュニティが一丸となってがんばった選挙でした。本当にがんばったけど、当選できず、みんなで悔し涙を流した。それが6年の時を経て報われたという感慨があります。

本当にそうですね。そしてあのとき「尾辻かな子」と書いてくださった38,229人もの方たちの、1票1票のおかげです。1票が生きた!という喜びを分かち合えることのうれしさ。なんだかんだ言っても選挙は勝つか負けるかなので、当選したということが応援してくれた方にいちばん喜んでいただけることだというのは間違いないと思います。あのがんばりがむだにならなかった。意味をもったっていうことが本当にうれしい。

——繰り上げ当選がわかったときのことを教えていただけますか?

5月初め頃、大江康弘さんという方が議員を辞職して自民党から出るという報道があって、26位の人が繰り上がってた。それでも間に27位と28位の人がいるわけで。そしたら室井邦彦さんが辞職して維新から出るということになって。で、室井さんは兵庫県の方なので、神戸新聞の1面に載ってて。父親が朝、新聞を見たら「尾辻かな子さん繰り上げ当選」って書いてあって、母親に「かな子が通るぞ~」って。それで朝6時50分くらいに母から「繰り上げ当選、おめでとう!」ってメールが来て。「何のこと?」と思いながらネットを見たら「本当だ!」と。突然でした。

——27位と28位の方はすでに党籍がなかったんですよね。そういう意味では、尾辻さんがずっと民主党で政治家を続けてたこともよかった。完全にやめちゃってたら、回ってこなかった。

そうですね。ふつうこんなことって起こらないじゃないですか。あきらめなくてよかったなって思います。本当にドラマチックすぎて、その物語に自分がいることに違和感を覚えつつ。奇跡だよねっていう。ある議員の方が「リングに上がることってすごく大事なんやな~」ってしみじみ言ってたんですが、本当にそうだなと思いました。流れって誰もが予測しない方向に変わっていく。そして、5年10ヵ月かかったということが、日本の現状を表している。象徴的だなって思います。

——なるほど。一朝一夕では変わらないけど、そこでねばってねばって踏ん張っていれば、いつか花が咲くこともある。

私は種を撒いただけで。6年前のチャレンジの後、いっしょに選挙をやってた方たちが、いろんなところで活動してるし、いっしょに成長している、それだけでもすごくよかったと思っていて。そのうえさらにサプライズがあって、本当によかった。

地道な6年間


後ろの立派な胡蝶蘭は、大阪府議時代から
の支援者が贈ってくれたものだそうです。

——でも、あの落選のあと、もしかしたら政治家への道をあきらめるという選択肢もありえたと思うのですが…どういう気持ちでがんばっていたんですか? この6年間のことを教えていただけたらと思います。

正直、私自身も失意の日々っていうのがあって。本当に自分が社会を変えられるのかと自問自答して、政治への情熱を持てなかった時期もあったんです。選挙って人もいっぱい動いてくださるし、費用もかかるんですが、選挙でお金を使い果たしてしまった。それで、とりあえず働こうということで、選対本部長をしていた方の紹介で校正の会社で仕事を始めて、2年くらいやりました。そしたら、地元の神戸で議員をやってる方が秘書をしないかと声をかけてくださった。そうやって誘ってもらえたことがうれしかったので、自分の経験が役に立つならと。それが、3年前の参議院議員選挙のとき。

——3年前の参議院選挙の時は、もう尾辻さん出ないのかな…という声も聞かれましたが、地元の選挙をお手伝いされてたんですね。

それで、地元で一人一人に支持をお願いするようないわゆるドブ板活動をやってたんですが、長田区とか兵庫区は震災で街も変わって、高齢の方がすごく多くて。それで高齢者の方の抱える問題に触れて、選挙のあと、秘書はやめたんですが、ヘルパー2級の資格をとろうと勉強しはじめて、それだけでは物足りなくなってきて、近所の介護施設で働きはじめました。そこから実際の介護現場のいろんな問題とか課題が見えてきたし、そういう方々が生きるのを支えてるっていうことにものすごくやりがいを感じて、さらに社会福祉士の資格をとることにして、もうちょっとで管理者的な立場になるというところで、野田さんの衆議院解散があって、府議時代に応援してくれてた方が、実は引退する人がいるんだよというお話をくださって。それが11月半ば。選挙は12月4日から始まる。すぐですよ。でも、そのとき思ったのは、政権与党だった民主党の小選挙区に、同性愛者の私を候補者として考えてくれるってスゴイなということ。こんな時代が来たんだと。6年前は、全国比例というフィールドで。

——公認をとるのも大変だった。

そうです。それが、衆議院の1人区の党の代表で出してくれるというところまできた。これは進歩のひとつだと思った。それで、自分にもまだやれることがあるんじゃないかって奮起して、選挙をやりました。

——でもそれは、大阪府議の時代からの尾辻さんの政治家としての力量や資質を知ってて、信頼して預けてくださったのでは?

ありがたいですよね。でも、また勝てなかったので、2回負けた…と。そうしたらいきなり当選が降ってきた。

参議院議員としての活動


この議員の部屋(社長室みたいな感じ)
のほか、秘書の方が使う部屋、会議室、
洗面所などがあり、驚きの広さです。
——そうして5月23日、正式に日本初のセクシュアルマイノリティの国会議員になったわけですが、5月29日にはさっそく沖縄及び北方問題に関する特別委員会で質問してましたね。

議員になってから質問するまでの最短記録なんじゃないかという話を聞きました。

——朝日新聞にも取り上げられてましたが、沖縄のゲイのHIV予防について質問して、山本一太大臣から「正直に申し上げて知らなかった。勉強させていただきたい」との答弁を引き出したとか。

そうなんです。取り上げていただけてうれしいです。

——国会に当事者の議員がいるということは、そういうことなんだな、と。すぐには変わらないかもしれないけど、ダイレクトに僕らの要望が届けられるんだなと思いました。

まず、国会議員は私が初めてですが、上川あやさんがいて、この前の選挙で石川大我さんや石坂わたるさんも通った。そうやって切り開いてきた方がいるから、ここにたどり着けたのかな、と感じています。当事者じゃなくても他の議員さんでも取り上げてくださる方もいるのですが、当事者だからこそ優先順位を上げてやることができるということは言える。私自身は、国会の中に目に見える存在としてあることの意味があるのかなと思っています。前の方の席なのですが、前に首相とか大臣が並んでいて、そういう方々の視野に映ってると思うので、そういうプレゼンスがあるんじゃないかと。
 
——短い任期かもしれませんが、これからどういう活動をしていこうとお考えですか?

まずは職責を果たしていきたい。とにかく、議会で質問させてもらえましたし、次につながるような活動をしていきたい。いろんなことを勉強できる機会があるので。国会の仕組みとか流れ。人的関係を結んでいくこと。経験を積んで、実力をつけていきたい。今は初のセクシュアルマイノリティの議員ということで注目されてますが、次は実力のある議員として存在感を示せるようになりたい。

——日本のバーニー・フランク(※1)めざして。

個人的にはタミー・ボールドウィン(※2)がいいかな(笑)。あとは、何回質問できるかわからないけど、投げれることを投げようと思ってます。今日も院内で「憲法13条を考える会」という勉強会があって、憲法学の権威である東大名誉教授の樋口陽一さんがお話されたんですが、「フランスで同性婚が認められましたが、憲法第13条(幸福追求権)と第24条(両性の平等)に鑑みて、日本での結婚の平等の実現についてどう思いますか?」という質問を投げてみました。地味なことですが、やりがいがあります。

——たくさんの議員が参加する勉強会の場で同性婚について触れたという意義があるわけですね。

有識者の方に直接質問できて、意見を聞ける。そういう機会を活かしていきたい。それから、法制局の方や国会図書館の方など立法の専門家に集まっていただいて、海外の同性婚法案の事例を参考に、どういうかたちなら法案になるのか、どこを変えていけばいいのかと投げかけてみる勉強会を開く予定です。とにかく、準備をしていこうと。

——それも、尾辻さんが参議院議員になったということで可能になったんですね。

せっかく国会議員が誕生したんだから、こういうことをやりたいねという企画を持ち込んでくれた人がいて、やることになったんです。

※1バーニー・フランク:元米下院金融委員長。昨年の引退まで32年間、連邦下院議員を務めました。2010年の『OUT』誌が選ぶ「最も影響力を持つゲイ50人」の第1位。2012年には現職の国会議員として初めて同性婚しました。

※2タミー・ボールドウィン:昨年の米大統領選の際、オープンリー・レズビアンとして初の米連邦上院議員に当選した方。

日本のセクシュアルマイノリティの未来

——参考までに、今後、何年かかるかわからないけど、日本で同性婚とかパートナー法(シビルユニオンのような準婚姻制度)が認められるためには、ロビーイング団体もがんばってるけど、当事者の議員がいないと難しいと思いますか?  

当事者の議員がいることで変わる部分もあるけど、法律を成立させるためには過半数をとらないといけないので、そこまでの共通認識にもっていくのが大事。これは原則論ですが、どんな議員さんであれ、選挙区内に問題を抱えた人がいたら耳を傾けざるをえない。地元であればあるほど。なので、秘書でもいいから、アポをとって会ったり、メールでもいいから、この地域に住んでいて、こういう問題があるからぜひ同性婚を実現してほしいと訴える。カミングアウトってリスクもあるし、大変ですが。そういうことを大勢の方ができるようになると、過半数をとれるようになると思います。これは立派なことだからみんな賛成してくれるよねっていうわけにはいかない。理念だけでは動かない。地元選出の議員さんたちが問題を認識すると、採決のときの行動が変わってくる。

——2004年に性同一性障害特例法が認められたときに、上川あやさんが与党から野党まで大半の会派を納得させて、通ったということがあったと思います。そういうふうに当事者議員やロビーイング団体がたくさんの議員を説得できれば夢ではないのかな、と素朴に思っていました。

それは、みんなで考えていくしかない。今は国会議員も世代交代しつつあって、党派を問わず、理解ある方が多くなっているので、そういう若い方が中堅になったときに変わるかもしれない。すべての人が同性婚やパートナー法を望んでいるわけではないということも踏まえて、どういう法律がいいのかということも考えていかないと。

——わかりました。最後に、日本のセクシュアルマイノリティの未来について、何かひとこと、お願いします。

未来を夢見ることをあきらめないでほしいですね。どうせダメだろうと思ってあきらめてしまうとそれ以上はないけど、夢見たことに向かって、たとえそれが失敗でも、行動すること。それで何かが変わっていく。こんなことは日本では無理だよと言ってあきらめたら、何も生まれない。逆に言うと、夢見る力が現実を連れてきてくれる。私自身も、ハーヴェイ・ミルクの本を読んだときに、日本にもこういう人が出てきてほしいと強く思った。今回は、私がそういう役割になったことに驚いていますが、そういう世界を望んできたからこそ、ここに来れた。望む世界、望む未来をあきらめないでほしい。私もあきらめかけた時期があるだけに、生きづらさを抱えながらがんばってる身にはつらいかもしれないと思いますが。長い目で見ていけば、5年後、10年後に、変わるかもしれない。次の新しい未来を夢見て、いっしょに行動できたらと思います。

——どうもありがとうございます。これからもご活躍に期待します。

尾辻かな子議員を囲むイベント

 6月18日(火)、セクシュアルマイノリティ団体「レインボー・アクション」が『尾辻かな子さんと語る、セクシュアリティと政治2013 ~存在認知の「先」を目指すには~』というイベントを開催します。

「セクシュアル・マイノリティの「存在認知」に限って言えば、かなり進んできたとも言えそうな昨今。存在を知ってもらった「先」の具体的な社会的課題に関して、多くの人々が個人で呼びかけたり運動体を作ったりして取り組んでいます。直面させられている課題は多種多様で、ひとりひとりが取り組んでいけることもあれば、コミュニティ内での解決を模索する方が適していることもあります。また、国や自治体など、行政が取り組む必要があることなど、その手段や方法、段階もさまざまです。そこで、それぞれの課題やテーマは今、どのようなレベルで取り組むのが最適と言えるのか、また、さらに発展させていくにはどのような方法が考えられるのか? その具体的な方法を、尾辻かな子さんをゲストに迎えて一緒に考えてみようと思います」という趣旨です。

 当選後、コミュニティ向けイベントに尾辻さんが顔を出すのは初めてですし、そもそもレインボー・アクションの代表を務める島田暁さんは、2007年の尾辻さんの選挙の際、(コミュニティの方が大勢登場するポップなPVという)映像制作に携わっていた方です。そういう意味では、尾辻さんを囲んでお話をしつつ、当選祝いも兼ねて、という雰囲気になりそうです。ので、直接尾辻さんにおめでとうを言いたい方などもぜひ、足を運んでみてください。

尾辻かな子さんと語る、セクシュアリティと政治2013 ~存在認知の「先」を目指すには~
日時:6月18日(火)19時-21時(開場は20分前より)
会場:なかのZERO学習室4
入場料:500円
予約不要
主催:レインボー・アクション

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