REVIEW
『カミングアウト -LGBTの社員とその同僚に贈るメッセージ-』
もし会社でゲイだってバレたらどうしよう…と恐れている方は少なくないかと思いますが、およそ考えうる限り最悪のパターンのバレ方をして世界的な大スキャンダルとなり、辞任を余儀なくされた世界的企業の社長さんが書いた本です。今年日本語訳が出版されました。貴重な一冊です。
『カミングアウト -LGBTの社員とその同僚に贈るメッセージ-』は、英国のBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)という石油会社、世界的なスーパーメジャーのCEOであり、「世界で最も尊敬されるCEO」に選ばれるほどのビジネス界の重鎮でありながら、ゲイだと暴露され(元カレがマスコミに売ったのです)、一大スキャンダルとなり、辞職を余儀なくされたジョン・ブラウン氏の著書です。11月の日経新聞に、今年『カミングアウト』という本を上梓した砂川秀樹さんの「カミングアウト ジョン・ブラウン著 LGBTを明かせる社会に」という書評が載っているのをお読みになった方もいらっしゃるかと思います。
ジョン・ブラウンは1948年ハンブルク生まれの英国人で、1995年〜2007年にBP社のCEOを務め、「世界で最も尊敬されるCEO」に選ばれるほどの人物でした。しかし彼には大きな秘密がありました…ずっと、誰にも語らずにいましたが(いわゆるクローゼットに閉じこもっていた状態)、本当はゲイだったのです。ロンドンのゲイバーなどに行くとバレてしまうかもしれないと思い、エスコートサービス(ウリ専)を利用してきました。2003年、彼はジェフというウリ専のボーイを本気で好きになり、家に招き入れ、おつきあいするようになりました。しばらくして別れたのですが、その後も金銭的には支援していました。送金をやめた途端、脅迫が始まり、2007年、ついにゴシップ紙に暴露され、世界中の新聞のトップを飾るような一大スキャンダルとなり、社長職を辞任するという、大変な悲劇に見舞われました。
およそ考えうる限り最悪な…天国の住人が一気に地に落とされたような、地獄のような状況です。自殺を図ったとしてもおかしくないですよね…。
2007年といえば、英国ではシビルユニオンが認められていて(2005年にエルトン・ジョンが結婚式を挙げました)、同性愛に対しては寛容だったはず、と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、当時、欧米の先進国であってもビジネス界でカミングアウトしている人はほとんどおらず、フォーチュン500企業のCEOでは一人もいなかったそうです。その事実は、とりもなおさず、ビジネス界での不寛容を物語っています(生き馬の目を抜くような、激しい競争が行われている世界で、ゲイであることはマイナスであり、リスクになると捉えられていたのです)
ジョン・ブラウンは、自暴自棄になったり、自殺を図ったりすることもなく、やがて、ビジネスで培った能力や資質を活かし、オープンリー・ゲイのスピーカーとして活動するようになり、いろんな講演会に呼ばれたり、こうして著書を世界に広めるほどの人になりました。決して同性愛嫌悪(ホモフォビア)に陥らず、ゲイであることは別に犯罪でもなんでもない、後ろ指を指されるいわれはない、という信念(プライド)を保つことができたのは、素晴らしいことです。真の人格者だと思います。
「クローゼットは孤立と孤独、ストレスの場だ。人の可能性を制限し、心の健康を蝕む」とジョン・ブラウンは断言します。最初からオープンにしていればスキャンダルにもならなかった、隠すからこそ暴かれたのだし、地獄を見た、と語ります。そういう経験をした方だからこその、重みです(ちなみにこの本の原題は、ガラスの天井=女性の昇進を阻む目に見えない天井になぞらえた『The Glass Closet』というタイトルです)
もし男女間の恋愛であれば「うちらがつきあってたこと、マスコミに暴露するからな」と言われても「だから?」で済むような話なのに、ゲイであることは暴露されたらスキャンダルになるし、脅迫されやすい(社会がそうさせている)わけで、不条理ですよね。「だから?」で済むくらい、偏見や差別がない世の中になってほしいと願うものです(そうなって初めて「カミングアウトの必要のない社会」と言えるでしょう)
ジョン・ブラウンは自身の体験から話を始めて、統計データやこれまでの諸理論などに基づき、グローバルなビジネス界でのゲイに対する態度の変化と、職場のLGBTについての課題、カミングアウトのメリットなどについて、実に的確に語っています。
アメリカではクローゼットにいるビジネスマンは41%、イギリスでは34%と推定されている(日本は96%)という数字は、同性婚が認められているような国であっても、職場でのカミングアウトは困難であるということを、リアルに物語っています。
BPの上級役員ポール・リードは「社員には本当の自分を隠すために脳みその1/4を使ってほしくない。100%の能力を発揮してほしい」と語っているそうです。
社会学者リチャード・フロリダは、「不寛容には経済コストが伴い、それは都市がクリエイティブ・クラスを惹きつけられるかどうかという形で現れる」と指摘しています。ゲイカップルの比率が最も高いアメリカの5都市(ニューヨークやサンフランシスコなど)は、最も繁栄している地域でもあります。
ダイバーシティ・コンサルタントのカーク・スナイダーは、ゲイの人々は、逆境をくぐり抜けてきたことで高い自己認識能力や状況を読み解く能力、情報処理能力に長けていると見ています。ゲイの上司の下で働く部下が平均よりもはるかに高い満足度を示しているというデータもあるそうです。
興味がある方はぜひ、読んでみてください。
『カミングアウト -LGBTの社員とその同僚に贈るメッセージ-』
The Glass Closet
著者:ジョン・ブラウン/訳者:松本裕/英治出版
INDEX
- マジョリティの贖罪意識を満たすためのステレオタイプに「FxxK」と言っちゃうコメディ映画『アメリカン・フィクション』
- クィアでブラックなミュージカル・コメディ・アニメドラマ『ハズビン・ホテルへようこそ』
- 涙、涙…の劇団フライングステージ『こころ、心、ココロ -日本のゲイシーンをめぐる100年と少しの物語-』第二部
- 心からの拍手を贈りたい! 劇団フライングステージ 『こころ、心、ココロ -日本のゲイシーンをめぐる100年と少しの物語-』第一部
- 40代で性別移行を決意した人のリアリティを描く映画『鏡をのぞけば〜押された背中〜』
- エストニアの同性婚実現の原動力になった美しくも切ない映画『Firebirdファイアバード』
- ゲイの愛と性、HIV/エイズ、コミュニティをめぐる壮大な物語を通じて次世代へと希望をつなぐ、感動の舞台『インヘリタンス-継承-』
- 愛と感動と「ステキ!」が詰まったドラァグ・ムービー『ジャンプ、ダーリン』
- なぜ二丁目がゲイにとって大切な街かということを書ききった金字塔的名著が復刊:『二丁目からウロコ 増補改訂版--新宿ゲイ街スクラップブック』
- 『シッツ・クリーク』ダン・レヴィの初監督長編映画『ため息に乾杯』はゲイテイストにグリーフワークを描いた素敵な作品でした
- 差別野郎だったおっさんがゲイ友のおかげで生まれ変わっていく様を描いた名作ドラマ『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』
- 春田と牧のラブラブな同棲生活がスタート! 『おっさんずラブ-リターンズ-』
- レビュー:大島岳『HIVとともに生きる 傷つきとレジリエンスのライフヒストリー研究』
- アート展レポート:キース・へリング展 アートをストリートへ
- レナード・バーンスタインの音楽とその私生活の真実を描いた映画『マエストロ:その音楽と愛と』
- 中国で実際にあったエイズにまつわる悲劇を舞台化:俳優座『閻魔の王宮』
- ブラジルのHIV/エイズの状況をめぐる衝撃的なドキュメンタリー『神はエイズ』
- ドラァグでマジカルでゆるかわで楽しいクィアムービー『虎の子 三頭 たそがれない』
- 17歳のゲイの少年の喪失と回復をリアルに描き、深い感動をもたらす映画『Winter boy』
- 愛し合う美青年二人が殺害…本当にあった物語を映画化した『シチリア・サマー』