g-lad xx

REVIEW

映画『17歳にもなると』(レインボー・リール東京2017)

フランスの巨匠アンドレ・テシネが、『トムボーイ』の監督セリーヌ・シアマを脚本に迎え、世に送り出した映画『17歳にもなると』。今年のレインボー・リール東京のクロージングにふさわしい、本当に素晴らしい名作でした。

映画『17歳にもなると』(レインボー・リール東京2017)

2017年7月17日(海の日)、第26回レインボー・リール東京(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)は、『17歳にもなると』で幕を閉じました。フランスの巨匠アンドレ・テシネが、『トムボーイ』の監督セリーヌ・シアマを脚本に迎え、世に送り出した『17歳にもなると』は、美しいピレネーの山岳風景をバックに、17歳という子どもと大人の間で揺れ動く年頃の男の子たちの激しい感情やセクシュアリティ、家族との関係、人としての成長を描いた、巨匠の貫禄を感じさせるような、王道にして一流の、素晴らしい作品でした。レビューをお届けします。(後藤純一)

 





 ダミアンは17歳の男の子で、フランスのピレネー山脈の麓の街で、医師の母と暮らし、外国(中東だと思います)に派遣されている軍人の父の帰りを待っています。ピアスをしていて、ヒョロヒョロな体にコンプレックスを持ち、護身術を習っています。ダミアンと同級生のトマは、褐色の肌で、農家の養子として、学校が終わると1時間半かけて家に帰り、牛や山羊の世話をする毎日ですが、将来は獣医になりたいと思っています。二人ともクラスでやや浮いた存在(孤立しがち)なのですが、慰め合いを拒絶し、トマはダミアンにケンカをしかけ、二人は衝突を繰り返すようになります。しかし、ダミアンの母がトマの母を診察し、トマの母が入院することになり、ダミアンの母がトマを一時的に家に引き取ろうと提案したところから、二人の関係はだんだん変化していきます…。

 特にダミアンのほうはちょっと甘えん坊だし、17歳の男の子なんてまだまだ子どもよね、と思っていたら、とんでもない! 二人は、容赦なく社会の(あるいは世界の)厳しさに直面し、人生の荒波に揉まれ、大人として、一人の人間として成長していきます。
 運命の前に人間は無力かもしれませんが、しかし、愛と、知恵と、力によって、希望を失わず、助け合いながら生きていくことはできます。お世話になった人が目の前で苦しんでいる時、手を差し伸べなくてどうする、という一心で、トマが(個人的な感情を乗り越えて)動いたとき、トマは、それと気づかないうちに、自身の運命の扉を開いた気がしました。健気で、崇高で、美しい姿でした。最後の30分間は、涙が止まりませんでした。
 有色人種であり、養子であり、他人よりもずっとつらい思いをしてきて、強くあらねばと思い、肩肘張って生きてきたトマは、ピレネーの美しい山々や山中の小さな湖が(世界が)人間を癒してくれることを知っていました。なんだか『ブロークバック・マウンテン』へのオマージュ(アンサー)のようにも思えました。
 そんなトマが、なぜ最初に足を引っ掛けてダミアンを転ばせたのか…その真意は、最後にわかります。
 同性婚が認められたとはいえ、依然として保守的で(フランスはカトリックの国)ゲイに理解があるとは思えない田舎の町で、セクシュアリティの受け容れ(自分自身へのカミングアウト)がどれだけ困難を伴うのかということを物語るものでした…。

 ものすごくいろんな要素が互いに連関しながら描かれていて、重厚にして繊細な、文芸大作の趣さえも感じさせるような、感動の名作でした。
 二人がプラトンの『饗宴』などをひもときながら「欲求」と「欲望」の違いについて議論したり(なんてフランス映画的なんでしょう。ちなみに映画のタイトルは「お利口ではいられない、17歳にもなると」というランボーの詩の一節からきているそうです)、トマの母の性的な「欲求」がリアルに描かれたり、というシーンも印象的でした。ゲイがどこか特殊な「人種」であるかのように描くのではなく(オネエ要素がほとんどなく、どこにでもいるような男っぽい男の子として描かれていたのも、そういう意識だったのではないかと思います)、普遍的な人間の性を俯瞰し、その中の一つに同性愛もある、というスタンス。
 そして、セクシュアリティのことだけを切り取るのではなく、社会(や世界)との関わりのなかで、人間としてまっとうに、よりよく生きられるようにと成長していく17歳の男の子たちのみずみずしい姿を、当事者だからこその温かく真摯なまなざしで描ききった脚本が本当に素晴らしく(脚本を書いたのは、『水の中のつぼみ』『トムボーイ』の監督、セリーヌ・シアマ。現在、同性のパートナーと交際中)、またそれを、巨匠アンドレ・テシネ(1985年に『ランデヴー』で第38回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞。1994年には『野性の葦』でセザール賞作品賞・監督賞・脚本賞とルイ・デリュック賞を受賞)が、ベテランの技を遺憾なく発揮し、この上なく美しい映画として世に送り出してくれたことに、拍手!です。
 
 上映が終わると、たくさんの観客の方たちから大きな拍手が贈られました。
 今年も映画祭に足繁く通っていらした今泉浩一監督が、今回の上映作品の中で『17歳にもなると』がいちばんよかったとおっしゃっていましたが、私も同感です。
 2016年ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品作ではあるのですが、賞には恵まれず、日本で一般公開されるところまではなかなかいかないような作品で、しかし、紛れもない傑作ですので、レインボー・リール東京のおかげで字幕付きで観ることができたのは本当に幸せで、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 ちなみに、アワードでいうと、トマとダミアンを演じたコランタン・フィラ、ケイシー・モッテ=クラインは、二人とも今年のセザール賞で有望若手男優賞にノミネートされていました(残念ながら、受賞はなりませんでした)。第8回ドリアン賞のLGBT作品賞(ベスト・フィルム・オブ・ザ・イヤー)にもノミネートされていました。そして、つい最近ですが、LAのLGBT映画祭である「Outfest」で審査員賞を受賞したそうです(おめでとうございます)
 今後、もしかしたらまたどこかで(アンドレ・テシネ特集上映か何かで)上映される機会もあるかもしれませんが、その際はぜひ、ご覧いただければ幸いです。


『17歳にもなると』
英題:Being 17
原題:Quand on a 17 ans
監督:アンドレ・テシネ
2016|フランス|116分|フランス語、スペイン語
★日本初上映
※在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本後援作品

INDEX

SCHEDULE