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REVIEW

「第三の性」「文化の盗用」そして…1秒たりとも目が離せない映画『フィンランディア』(レインボー・リール東京2022)

ムシェというメキシコ・オアハカの先住民のクィアたちと、スペインからムシェの服のデザインを盗みにやってきた女性の間に友情が芽生え…というお話ですが、全編素晴らしい映像美で、実に刺激的な作品でした。

「第三の性」「文化の盗用」そして…1秒たりとも目が離せない映画『フィンランディア』(レインボー・リール東京2022)

第30回レインボー・リール東京@シネマート新宿もいよいよ終盤です。今回の上映作品のラインナップのなかでもひときわ異彩を放っている『フィンランディア』。個人的には1秒たりとも目が離せない、凄い映画だと感じました。レビューをお届けします(後藤純一)

<あらすじ>
スペイン人ファッションデザイナーのマルタは、民族衣装の流行に目をつけた上司の命令でメキシコのオアハカに送り込まれる。デザインの盗用のため市場でリサーチを始めた彼女は、刺繍で生計を立てる「ムシェ」(第三の性)の人々と出会い、差別を受けながらも情熱的に生きる彼らの姿に感化されていく…。






 ムシェというメキシコ・オアハカの先住民のクィア(いわゆる「第三の性」※1と称されるトランスジェンダー女性)のことを描きながら、いわゆるファッション業界における「文化の盗用」※2という問題が、本質的に、かつてのスペインの植民地主義(帝国主義)の延長線上にあることを暴いています。さらには、もっと壮大な…人知を超えた世界に触れるようなシーンもあり、圧倒的な映像美で魅せる作品でした。
 
※1 第三の性(サードジェンダー):
 男性でも女性でもないジェンダーのありようの人のこと。プラトンの『饗宴』にも使用されているような非常に古い歴史を持つ言葉です。古代から世界各地で異性装をしたり、出生時の性別とは異なるジェンダーを生きようとする人々が存在してきました(インドの「ヒジュラー」やネイティブアメリカンの「ベルダーシュ」などがよく知られています)。しかし、現代の(トランスジェンダーという概念が誕生して以降の)ノンバイナリーの当事者の間では「第三の性」を自称する方はほとんどいません。「第三の性」は事実上、伝統的な社会に溶け込んで生きてきたクィアの人々を指す言葉となっています。
 なお、今回の映画の中で、ムシェの一人は自分自身のことを「女だ」とはっきり言っています。彼女にとって他者から「第三の性」などと言われるのは不本意なことなのではないかと感じました(全員がそうだというわけではないと思います。男でも女でもないと自認している方もいらっしゃるでしょうし、ジェンダーフルイドな方も、クエスチョニングな方もいらっしゃることでしょう。「第三の性」は、そういう広義のトランスジェンダー、ジェンダークィアなありようの総称だと思います)
 
※2 文化の盗用:
 メキシコのアレハンドラ・フラウスト・ゲレロ文化相は、メキシコ先住民の伝統的な衣装を盗用したとしてルイ・ヴィトン、マイケル・コース、キャロリーナ・ヘレラ、イザベル・マラン・エトワールなどのブランドに対し、抗議の書簡を送って来ました。「メキシコには先住民の人々の子孫がおり、その文化は現代に脈々と受け継がれている。彼らのコミュニティはクリエイティブ性が高いので、国際的なファッション市場に参入して経済的に発展できる可能性がある。しかし彼らの民族衣装などをインターネット上で見た人々は、それを自分のものとして勝手に流用してしまう」「ファッション業界における“文化の盗用”問題は、盗用された側とブランド側が協業する機会にもなりうるが、それはあくまでも盗用された側が了承した場合に限られる。これは尊厳の問題だ」「ファッション業界は、先住民の文化が持つ美しさやそれがいかに洗練されているかを理解することはできても、その衣装や模様の真の価値、すなわち文化的な背景や意味を理解していないのではないか」(WWD「“文化の盗用”問題で、ファッション業界にできることは? メキシコ文化相が語る」より)
 ダンサーなど複数の肩書を持ち、差別などの議論に積極的に参加するトーマス・プレスト氏は、「虐殺、植民地化、奴隷という長い歴史とリンクされているから、理解することが大事。カウボーイやインディアンの格好をすることは 兵士やユダヤ人の格好をするように非常識」「プラダがアフリカの衣装をファッションショーで使うのを見ると、個人的にもやもやとした疑問がわく。なぜ、その民族はクレジットされないのか」と語っています。(Yahoo!「「文化の盗用」とファッション・音楽 迫害を受けた人々の文化を気軽に借りるリスク」より)


 All About[同性愛]のガイドを務めていた歌川たいじさんが2003年に取材・レポートしてくださっていますが、オアハカ州のフチタンという町は、母系社会ということもあり、ゲイが何の差別も受けずに生きている奇跡のような町だという認識でした。フチタンではトランスジェンダー女性のことをムシェと言いますが、ムシェたちはたくさん、町に溶け込んで暮らしていて、毎年「VELA」というカーニバルでは、町中をパレードし、夜に行なわれるパーティではその年の「クイーン」を選ぶ戴冠式なども行なわれたり、華やかな存在です。その色鮮やかなファッションは『VOGUE』誌でフィーチャーされてもいます(詳細はこちら
 ムシェに対してはそういうイメージだったのですが、いざ映画を観てみると、日常的に差別や暴力にさらされ、ひどく生きづらい、(インドのヒジュラーと同様に)一般の仕事に就くことができず、支え合いながら暮らしている…そんな描写で、正直、落胆しました(あまりにもイメージと違っていて、納得がいかなかったので、監督がインタビューに答えている英語記事を探して読みました。後述します)

 ムシェたちは一般の仕事に就くことが難しいようで、(世界中のトランスジェンダーと同様に)セックスワークをしたり、集まって刺繍を縫ったりドレスを作ったりしています。彼女たちの面倒を見ているちょっと年配のムシェは、まるで『POSE』で描かれたNYのハウス・マザーのようでした(なんとなくビリー・ポーターを思わせる雰囲気でした)
 彼女たちは、ホルモン治療を受けたり性別適合手術を受けたりすることもなく(お金がないということだけでなく、情報や制度にアクセスできないのかもしれません)、それでも、精一杯美しく着飾り、自分のことを本当に愛してくれる男を(真実の愛を)求め、つつましくも情熱的に生きています。
(ちなみに、この映画のタイトルの『フィンランディア』は、この「ハウス・マザー」に関係があるのですが、その意味を知った時のせつなさときたら…)
 親に罵倒され、教会で男たちに殴られるムシェたち…。何かつらいことがあるたびに、彼女たちは町外れの岩場にやってきて、岩に触れながら、つらい気持ちを吐き出します(まるで「嘆きの壁」のようです)。それでも、ムシェとして生きることを「選択」する人もいます。
 
 ムシェたちの鮮やかな色使いの服に目をつけたスペインのファッションブランドの経営者が、このデザインを盗んで夏のファッションショーに使いたいからお前ちょっとメキシコに飛べと若い女性・マルタに命令し(まんま「文化の盗用」です)、彼女はオアハカにやってきます。そして市場でムシェと出会い、ムシェの気さくさや温かさに触れて(なんとなく、沖縄の人に似てるなぁと思いました。「いちゃりばちょーでー」的な)、すっかり魅了され、仲良くなり、お祭りに参加したり、彼女を街に連れ出したりします(その街は完全に西洋化されていて、ムシェの正装をした彼女は、ジロジロ見られ…)。やましい気持ちを抱えながら服の写真を撮ったりしていた彼女が、ムシェに救われ、本当の友達になり、そして最後に…というストーリーも、この『フィンランディア』という美しい織物の「縦糸」になっています。
 
 時に超自然的な(マジックリアリズムな)シーンが見られるのもこの映画の特徴です。それは、西洋化された現代の文明を生きている私たちには計り知れない、古代から連綿と続く母系社会や信仰や文化を受け継いでいるサポテカ族にふさわしい表現だと感じました。

 監督のオラシオ・アルカラは1978年にメキシコで生まれ、スペインで活躍する映画プロデューサーです。「Horacio Alcalá・Director of Finlandia "Plagiarism occurs in all sectors and industries”」というインタビュー記事で、この映画についていろいろ語られていたので、ご紹介します。
 まず、(シベリウスの交響詩を思い出す方も多いと思いますが)『フィンランディア』というタイトルについて。タイトルを考えるのが面倒くさくて…という理由と(苦笑)、監督自身、遠い地であるフィンランドへの憧れがあったから、ということだそう。
 ムシェのことは実はメキシコでもあまり知られていなくて、監督はスペインで友人にその話を聞いて、いろいろ調べて、実際にオアハカに行って、インタビューしたり、お祭りに参加したりして、この映画の原案を書いたそうです。「まるでメキシコの中の外国のようだった」と語っています。豊かな文化、ユニークな考え方、宗教、生き方。「パラレルワールドのようだった」と。
 人口の16%がムシェであるというフチタンに行った、そこではムシェがタクシーを運転し、料理を作り、市役所で働いていた、コミュニティに統合されている、経済の担い手。そこは母系社会。ちょうど2017年の大地震の直後でフチタンの町では撮影が困難だったので、フチタンに限らない、オアハカのどこかの街という設定にしたそうです。
 ムシェたちはパイオニアであると同時に、抵抗のメッセージでもある、と語られています。「第三の性は存在する」「スペインが来る前から先住民コミュニティに偏在する」というメッセージ。カトリックがそれを禁じてしまいましたが、フチタンではそれに抗ってきたのです。そして今、フチタンも治安が悪くなり、「彼女たちは戦争の真っ只中の砂漠に咲いた一輪の花のような存在だ」といいます。
 なお、この映画の映像美の素晴らしさについては「何もしてないよ」「ただそのままを映し出しただけなんだ」と語られています。

 このインタビューを読んで、地球上に最後に残ったクィアの楽園、奇跡の町フチタンにもトランスフォビアが蔓延しはじめ、ムシェたちは今や差別や暴力にさらされているということが窺い知れました。悲しいですね…。
 
 ともあれ、非常に興味深く、一見の価値がある作品です。ぜひご覧ください。

 
フィンランディア
英題:Finlandia
監督:オラシオ・アルカラ
2021|スペイン, メキシコ|97分|スペイン語
公式サイト
[ドラマ] [ファンタジー] / [T]
後援:駐日スペイン大使館/インスティトゥト・セルバンテス東京
★日本初上映
7月13日(水)18:50- @シネマート新宿
7月18日(月祝)16:10- @スパイラルホール
7月20日(水)19:30- @シネマート心斎橋

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