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REVIEW

こんなに笑えて泣ける映画、今まであったでしょうか…大傑作青春クィアムービー「台北アフタースクール」

台湾がまだゲイに寛容じゃなかった1990年代の学習塾を舞台にした青春コメディ映画。一人でも多くの方にご覧いただきたい、超強力にプッシュしたい最高に笑えて泣ける大傑作青春クィアムービーです

こんなに笑えて泣ける映画、今まであったでしょうか…大傑作青春クィアムービー「台北アフタースクール」



 この映画は、監督の藍正龍(ラン・ジェンロン)が予備校塾時代にお世話になった先生である陳俊志(ミッキー・チェン)のことを描いた作品です。後半の30分くらいずっと泣きっぱなしだったのですが、最後に、シャオジー先生が実在の人で、これが実話だったということがわかって、涙に拍車がかかりました。
 おそらくもうこの映画を観る機会がない方も多いと思うので、書いてしまいますが、シャオジー先生が「愛とは何か?」を生徒に問う特別授業をしたのは、チャン・ジェンハンがゲイでチェン・シャンのことを好きだという噂が流れた日のことでした(そのきっかけとなる出来事は本当に笑える話なのですが)。シャオジー先生は「性的指向」には異性愛や同性愛、バイセクシュアルがあるということ、「ジェンダーアイデンティティ」の考え方、そしてSAFE SEXについて教えるのです。そして、おそらく二二八公園だと思うのですが、父親と喧嘩してパンツ一丁で家を飛び出したチャン・ジェンハンがなぜかそのハッテン公園に辿り着き(その流れもコメディタッチなのですが)、男とイチャイチャしていたシャオジー先生に呼び止められ、家に入れてもらい、服を着せてもらって、とても紳士的な対応だった先生に心を開き…というくだりが本当に素敵です。やがて、自分と同じように映像作家志望である先生のアシスタントとなり、ゲイバーを取材したりします(そこでも事件が起こり、先生が学校を去るきっかけになってしまいます)。先生がエイズ患者を寮から排除する大学への抗議のデモの様子を撮影するシーンもありました。
 
 ノーマルスクリーンでも紹介されていましたが、陳俊志(ミッキー・チェン)は1967年生まれのゲイのドキュメンタリー作家です。国立台湾大学で英語とアメリカ文学を専攻し、1991年に兵役に就き、そこでボーイフレンドと出会います(8年間幸せに暮らしたものの、別れてしまったそうです)。1996年、ニューヨーク市立大学での勉学を終え、1997、初のドキュメンタリー作品『本当のウェディング・バンケット』をミア・チェンと共同製作します(1998年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映されています。ということは、僕もこの作品をスパイラルで観ていたはずです。もうすっかり忘れてしまったけれど…)。1998年には台北のゲイの少年たちのリアルを鮮やかにとらえたドキュメンタリー映画『美麗少年』を発表します。この映画は劇場公開され、興行的にも成功を収めました。日本では1999年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されていて、その際に監督は「15年前、僕のような台北に住むクィアの高校生に声はなく、手本になるような大人のゲイやレズビアンもいなかった。クィアには未来像がなかった。当時多くのクィアの仲間が“間違った”相手、つまり愛してくれないストレートな人、を愛してしまっていた。中には若くして自殺しようとさえした人も大勢いた。年月が流れ、僕は遂に新しい世代、すばらしいクィアの新世界を探索するべくカメラを手に取った」と語っています。「この作品は、1999年に台湾で興行的に大ヒットした。クィア・コミュニティ全体が動員され、この作品を伝説にするために惜しみない努力をした」
 ミッキー・チェン監督は、その後、アクティヴィストとしても活動しながら、年配のゲイを見つめた『非婚という名の家』(無偶之家,往事之城|2005)や『幸福備忘錄』(2003)という作品を製作しました。作家として、自身が育った複雑な家庭環境を綴った『台北爸爸,紐約媽媽(台北の父、ニューヨークの母)』を2011年に発表し、ベストセラーになりました。この作品は舞台化もされました。2018年12月に51歳で永眠しました(ですので、『台北アフタースクール』の冒頭、死期が近い先生を見舞うシーンは、2017年〜2018年頃のことだと推測されます)
 劇中で、シャオジー先生がゲイの映画監督としてテレビに出演して語っているのをチャン・ジェンハンたちが観て、目を丸くするシーンがありますが、シャオジー先生は90年代にカミングアウトしてゲイのリアルを伝える映画を撮り、台湾社会を変えることに貢献した、台湾LGBTQ史における偉大な人物だったのです。
 
 いつかミッキー・チェン監督の作品をまとめて観ることができたら…と願うものです。日本で特集上映の機会が設けられる日を夢見ます。


 なお、最初にも少し書きましたが、この『台北アフタースクール』がこのようなクィア映画であるということに気づいたのは、上映も終わりかけの時期でした。毎日のようにゲイとかLGBTQとかクィアというワードで検索し、情報収集しているにもかかわらず、です。
 このような素晴らしい映画を配給してくださったこと自体は本当にありがたいのですが、配給会社もしくは宣伝会社は、この映画のメインテーマであるクィアということを周到に伏せた(言い方は悪いですが、隠蔽した)のではないかとの疑念を拭えません…。本来、最もこの作品に感情移入できるはずのクィアピープルにそのことが知らされず、(あまりヒットしなかったせいで公開から1ヵ月も経たないうちに)上映が打ち切られ、本当だったらもっとたくさんの人たちが泣いたり笑ったりできたはずなのに、かけがえのない映画との出会いの機会が失われてしまったのです、もしかしたら永遠に…。そう思うと、クィア映画であることの隠蔽は実に罪深いと思いますし、怒りにも似た気持ちを覚えます。
 『マティアス&マキシム』の宣伝ポスターでゲイカップルを男女に置き換えた事件や、『MONSOON モンスーン』のもともとゲイ2人が写っていたポスターを日本版でわざわざ1人削った事件など、海外のゲイ映画が日本で公開される際にゲイの表象が不可視化される事件が過去何度も起きています。映画の宣伝に携わる人たちは「これはゲイ映画です」と言えない病気にでもかかっているのでしょうか(逆に2000年代、「これはゲイ映画です」と大々的に宣伝されて観に行った映画で、ゲイではなく、ストーリーと全く関係ない男女のセックスのシーンが延々と流されて怒りを覚えたことがありました)。映画業界の人たちの多くはいまだに「シスジェンダー・異性愛=ノーマル、クィア=特殊でかわいそうな人」というような性規範を内面化し、クィア性をまるで「穢れ」であるかのように見なし、それを前面に打ち出すのをマイナスに感じているのではないでしょうか。『台北アフタースクール』の製作陣や出演者の人たちは、少しでも世間の人がゲイやトランスジェンダーに対して支援的になってほしいという思いで映画製作に臨んだはずなのに、そのことを隠してしまうのは映画を作った人にも失礼なのでは…と感じます。

「映画は社会を映す鏡」とよく言いますが、映画界もまた然りです。日本で映画製作や配給や宣伝に関わる方たちが台湾並みのアライに変わってくださったらどんなにいいだろう…と夢見ます。

(文:後藤純一)

 

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