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COLUMN

伏見憲明の太腕繁盛記:第3回「セクシュアリティの微妙なあわい」

伏見憲明さんの連載「太腕繁盛記」。第3回目は、同性愛/異性愛の二項対立的な枠をはみだして著しく多様化、あいまい化が進んでいるという、エフメゾのお客さんたちのエピソードについて、ちょっとエロティックにお送りします。

伏見憲明の太腕繁盛記:第3回「セクシュアリティの微妙なあわい」

最近、セクシュアリティのメモリが細かくなってきているのを実感します。どうも同性愛/異性愛といった二項対立的な枠で自分をとらえられない人がじんわりと増えているような……

多様化が進む社会ですので当然と言えば当然ではありますが、「一言で自分のセクシュアリティを説明するのが難しい」と語る人、語りたい人のなんと多いことか。それがかつてのように自分のなかのホモ(同性愛)や変態を受け入れられないからジタバタしているという風情ではなく、あるいは、「ゲイ・アイデンティティは近代に作られたものです!!」みたいな「理念的な」反発からでもなく、ホントに微妙すぎてわからないの~!といったニュアンスの人が目立つ。そうした変化を、ゲイバーでお客様と接していると強く実感します。

時代が更新されて、そういう微妙な嗜好の人が二丁目とかに出入りできるようになったゆえもあるでしょう。

ゲイの歴史をひもとけば、隠し仰せようもない欲望を抱えた人から自分を受け入れていった事実があります。ストーンウォールの反乱で最初に暴れたのもドラァグクイーン(女装)だったし、日本で初めて同性愛を文学の主題にしたのも、変態としかいいようがない三島由紀夫でした。そこからだんだんと、平均的?なゲイもカミングアウトするようになり、さらに、よくわからない欲望を持った人たちも多様性を主張するようになっていくわけです。

今日び、ネット上に数限りなくあるエロ動画から、自分のイキどころにぴったりの場面を探し出してマスターベーションを楽しむ世代を考えれば、自分の性的属性がゲイかノンケかというわかりやすさよりも、例えば、「あそこであんな声を上げて射精するイカホモに欲情する自分」という個別性のほうにリアリティが増すのが自然の成り行きです。そうした感性からすると、「ゲイである自分」はより抽象的な帰属なのかもしれません。

ところで、そうした流れはゲイばかりでなく、ノンケ界も著しく多様化、あいまい化が進んでいるようで、エフメゾには「よくわからないセクシュアリティの人」たちがけっこうやってきます。もちろん女子には以前から「レズビアンっていうか、女も好きだし、男もイケる」というタイプは多く、というかむしろそっちのほうが「ふつう」のようにも思えるのですけど、男子でも最近、「ふだんはノンケだし、バイセクシュアルというほどでもないけど、男ともちょっとしてみたい」という嗜好を持った人もときに見かけます。社会のホモフォビアの濃度が薄くなってきたので、自分のなかに薄く存在しているホモセクシュアルな欲望を言葉にしたり、実践しようと思えるノンケ男子が増えてきているのではないでしょうか。あるいは、同性愛を異性愛のスパイス的に味わいたいという新しい欲望なのでしょうか。

この前も、見た目イカホモ好きにはたまらない20代のノンケ男子が来店し、いろいろ話しを伺っていたら、ぽろりと、「もう女でなくてもいいかなって最近思ってきて……。フェラされながら乳首をいじってもらえたら女でも男でもいいかも」とかおっしゃる! 連れてきてくれたノンケの親友もビックリの告白で、実際、近くにいたゲイにふざけて乳首を刺激されたりすると、「ヤバい、ヤバい」と大はしゃぎ。男だったらどんなタイプがいいか?と質問すると、店のなかにいたいわゆる「美形」のゲイを指差して「かわいい」。なるほど、ストレート男子らしく、女性の代替物として「キレイな男子とならデキるかもしれない」という意味なのか。と思ったら、「……彼の胸毛があるところがいい」。そりゃ、いったいどういうこっちゃ!?と首をかしげてしまう伏見ママでありました。

そして先週、ツイッターづたいに来店したノンケ男子がおりました。彼もルックス的にはゲイに受けないはずがないスイートな顔立ちと、筋肉質だけど少しだけ脂肪がのったエロい肌感。「男にも1回だけならやられてみたいんです」と涼しげに語る彼には、同性愛はとくに忌むべき行為ではないようにとらえられている様子でした。彼は、エフメゾの常連である某作家女史のサインをお尻にもらいたくて来店したということで、そう頼まれた某作家女史は女王様然と、「だったら、パンツを脱いでそこに四つん這いにおなり~!」。すると、彼はなんの躊躇もなく、さらりと裸になり、衆人環視のなか膝をついて尻を差し出したのであります。その従順な態度に、周囲のオカマたちの股間はマジにキュンとしたみたいで、みんな携帯のレンズ越しにガン見撮影会!

むかしなら、オカマたちに囲まれて四つん這い撮影なんて、Mでもないノンケの男子には受け入れがたいことだったと思いますが、それがとてもさわやかに行われている光景に、なんだかノンケ男子の沽券や自意識がずいぶん力の抜けたものになってきたことを実感した次第です。その後もくだんの彼はみんなと仲良く酒を酌み交わし、真夜中まで楽しく過ごして帰っていきました。

禁忌の敷居が低くなってくると、そこからいろんな欲望が吹き出すように現れてくるのでしょうか。そしてぼくら自身にもそのことによって変異がもたらされるかもしれません。他人から複雑な欲望を投げかけられれば、その複雑さに自分のなかの微妙な欲望もまた喚起されるからです。例えば、ノンケの魅力に単なる「男らしさ」とは異なる色気が加われば、「イカホモ」とか「マッチョ」とか「スジ筋」とか、わかりやすくありえたゲイの欲望もまた、微妙なあわいを醸し出すことだってありえる。そうした自分自身の「変態」を恐れることなく、骨の髄まで欲望を味わって人生を過ごしていけたら、まさに変態も本望ですね。

 

 

伏見憲明:1963年生まれ。作家。ゲイバーのママ。『プライベート・ゲイ・ライフ』で物書きデビュー。2003年に『魔女の息子』(河出書房新社)で文藝賞。『さびしさの授業』『男子のための恋愛検定』(理論社/よりみちパン!セ)など著書多数。近著に『団地の女学生』(集英社)

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伏見さんがママをつとめるお店「エフメゾ」

ゲイバー「mf(メゾフォルテ)」(東京都新宿区新宿2-14-16タラクビル2F 03-3352-2511
毎週水曜日のみ、伏見さんがママをつとめます
17時~カフェタイム/19時~バータイム

エフメゾUstライブ
7/28(水)ゲスト:枡野浩一(歌人)
8/11(水)「日本のゲイの未来!?」パレードの直前、日本のゲイの今後について「サラリーマンしばり」のパネリストたちで大議論! 司会は赤杉康伸さんの予定

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