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COLUMN

伏見憲明の太腕繁盛記:第6回「液状化するノンケのセクシュアリティ観」

伏見憲明さんの連載「太腕繁盛記」。第6回目は、実の子がゲイかどうかより自分のセックスレスのほうを気にするノンケさんをはじめ、エフメゾに集うお客さんたちの興味深いエピソードをお届け!

伏見憲明の太腕繁盛記:第6回「液状化するノンケのセクシュアリティ観」

 エフメゾに来るお客様には伏見ママと同世代の熟女もいて、彼女たちは大方結婚していて、すでに子どもが20歳前後になっていたりする(「すでに」と書いたのはぼくが自分の年齢を実感していないからで、47歳なら子どもがいて「当然」と本来記すべきところ。その感覚のズレは長いことゲイとして生きていることの副作用っすね)。

 そんな世代の女性が先日も来店して、自分の悩みを口にしていた。
「……いくら20年も暮らしているからと言って、まったく夫婦生活がないのもね。私だって、したくてしようがないわけじゃないんだけど、多少はあってもいいじゃない。なのに、うちの夫ときたらまったくその気がないんだから」
 今日日、既婚女性でなくてもアラフォー以上の女性の悩みの上位には、女としてセックスを得ることができない、という項目がランクインしている。
「セックスしたかったら、べつに夫でなくてもいいじゃない。そんなに長く一緒に生活していたら、夫だって、そりゃ、勃起なんてしないでしょ」と一刀両断にする伏見ママ。
「そういうものなのかしら……」小首をかしげる女性客。
「そうよ、オカマなんて長いパートナーがいても、ほとんどセックスは外で済ましているものよ。お宅の旦那だって、したくなったら不倫か風俗でやってるでしょ、ふつう」
 ノンケ界ではまだ結婚における性的排他性は幻想として生きているようだ。彼女はアリエナイとばかりに首を振った。
「浮気なんてちょっと考えられない。うちの夫はそういうタイプじゃないもの」
 専業主婦って世間知らずなんだなあとビックリして、彼女に少し意地悪な質問をしたくなった。
「ねえ、夫が不倫しているのと、自分の子どもが実は同性愛者なのと、どっちが嫌なこと?」
 すると、彼女はこともなげにこう言った。
「あ、うちの娘は女の子が好きみたいなの。高校生なんだけど、同じクラブの女子と付き合ってるんだって」
 今度はこっちが目を丸くする番だったが、彼女は話しをすぐに元に戻して、
「でもね、うちの夫はまじめで、学生時代から恋愛とかには淡白なほうだったから………云々」
 娘のセクシュアリティより自分のセックスレスを大問題のように話す彼女の反応に、なんだか今という時代の一端を見る思いがした。

 そう言えば、その前にも、常連客の女性が自分の息子がゲイだったことがわかったという話しをしていたことがあった。
「それがうちの息子がゲイだったのよ! この夏の間、高校の生徒会の役員同士で付き合っていて、もう別れたっていうんだから、衝撃で」
 店に入るなり彼女は高揚しながら報告してくれた。そして、その「衝撃」というのは、腐女子の彼女にとっての少しロマンティックな思いと自慢が入っているようなニュアンスで、昔みたいに、子どもにカミングアウトされた親が抱く「うちの子どもが同性愛者だなんて、いったいどうしたものか!?」という不安や不満とは無縁に思えた。

 エフメゾにはその半年前にも自分の娘がゲイバーデビューするのに付き添ってきた親がいた。レズビアンはいいが繁華街の二丁目は心配だからついて来たとのことだった。そのときも、子どもが同性愛者だということにとくに問題を感じている様子はなかった。

 これらのケースが平均的な像ではけっしてないはずだが、今後こうした感覚の親が増えていくことは間違いないだろう。その実感の根拠は、伏見ママが同世代のノンケの友人たちと話しをしていても、「まあ、自分の子どもがゲイとかでもいいけどね」と話す連中は少なくないからである。ぼくの青春時代のように、性的少数者であることは、本人ばかりでなく、親も不幸のどん底に陥れてしまうことになる、といった悲壮感はじょじょに過去の情景になりつつあるようだ。 

 性的マイノリティを持った親の受容がこんな感じだから、当然、若い世代の性をめぐる感覚、「男らしさ」「女らしさ」の内実もずいぶん変容している。エフメゾに来るノンケの大学生たちを観察(失礼!)していても、男の子がマッチョなんていう様子はほとんど見かけられず、むしろコミュニケーションの主導権は女子が握っていて、性的にも男子よりアクティブだったりする。その世代の男子には童貞が少なくないし、女子に性的な話しでからかわれて赤面してしまうような草食系がほんとに多い、多い。
 だからフェミニズムが批判するような「抑圧的な男性性」とか「ホモソーシャルな紐帯」とかを見つけるのはかえって難しい。もちろん、「ゲイバーに来る若いノンケ」という時点でサンプルに偏りがあるのだけれど、それにしても、家父長制的な意識を感じさせる男子を見かけることはほとんどない。

 だから、先日、ノンケの女性客に連れてこられた会社の上司という男性の態度に、久しぶりに「オヤジ」を見た思いがした。
 その背広姿の「オヤジ」は店に入ってくるなり、
「ここって何なの? まあ、いいや、ビールくれよ」
と横柄な態度で、大きく足を開いてタオルで額を拭った。
 いつもはこういう手合いは入り口のところで入店を阻止するのだが、何度か来たことのあるお客様と一緒だったので、侵入を拒めなかった。しかし、
「ゲイバーなのに女いるじゃん。あのブスはレズなの?」
と女性客を指差して言うに至っては、さすがにノンケにやさしい伏見ママも怒って、「あのね、ここはそういうことを言う人が飲む場所ではないので」とじっと目をにらんだ。
 すると、その「オヤジ」は言い返すどころか、手のひらを返すように謝ったのである。
「あ、申し訳ない。許して。許して。ビール、お願いね。いやあ、ママ、面白いね」
 そういうふうにあっさり態度を変えられて友好を示されると、帰すに帰せなくなってしまったのだが、不快が収まらないママは、しっかり飲ませてお金をふんだくったけどね(笑)。ふつうエフメゾは「一杯いただくわね」という接客は絶対しないのだけど、まあ、「オヤジ」には「オヤジ」対応で、「いただきまーす!」と。
 しかし、ある意味で、日本の「オヤジ」のマッチョ度もこんなものだと言えばこんなものなのかもしれない。こちらがおとなしくしていればつけあがるが、ちゃんと抗議をするとたちまち弱腰になる。まあ、これが集団になるともっとたちが悪くなることはよく知っているが、ただ、それも世代が下っていけばいくほどやわらかくなっていく。そうして草食系というより植物性の男性が増えていっているのが現状だ(そんな時代に、ジェンダーやクィアを語るアカデミズムの言葉は相当ピントが外れているし、差別を語る運動系の人々の仮想敵も、実際の姿を見誤っていることがしばしばある)。週に1日ゲイバーから見ていても、時代と社会の実態は液状化するように変容を見せていると思う。

 そういえば、この前は、ノンケのバイト君に上裸で働いてもらっていたのだけど(エフメゾはエロいバーを目指しています)、接客についた彼に何気なくタッチするのはゲイ客ばかりではなく、若い女子もそれは同じだった。「肌キレイ~」とか言って楽しそうに若い男子にお触りをしている様子に、女性の欲望も解放されていい時代になったなあと。だけど、うちはホストクラブではないので、
「小娘の分際でゲイバーで店子に手を出すんじゃないよ! 濡れた椅子を雑巾で拭いて帰りやがれ~~!!」
と説教した伏見ママは、はたしてリベラルなのか、保守反動なのか。

 

伏見憲明:1963年生まれ。作家。ゲイバーのママ。『プライベート・ゲイ・ライフ』で物書きデビュー。2003年に『魔女の息子』(河出書房新社)で文藝賞。『さびしさの授業』『男子のための恋愛検定』(理論社/よりみちパン!セ)など著書多数。近著に『団地の女学生』(集英社)

公式サイト http://www.pot.co.jp/fushimi/
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ツイッター http://twitter.com/fushiminoriaki

 

伏見さんがママをつとめるお店「エフメゾ」
ゲイバー「mf(メゾフォルテ)」(東京都新宿区新宿2-14-16タラクビル2F 03-3352-2511
毎週水曜日のみ、伏見さんがママをつとめます
17時~カフェタイム/19時~バータイム

11月3日(祝)のエフメゾは「ハロウィン&ピンクベア聖誕祭」!
15:00~ハロウィン営業でスタッフもコスプレ調(コスプレ、仮装でお越しのお客様にはママから一杯)。営業内バザーや(集まったお金をHIV啓発活動に寄付します)、HIVをテーマにしたトークなども企画しています。ぜひ遊びに来てください!

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