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NHK教育ETV特集「HIVと生きる」〜壮絶に感動しました

7月4日の夜、「HIVと生きる」(NHK教育『ETV特集』)という番組が放送されました。ゲイのHIV陽性者の方たちが何人も顔出しで出演し、たくさんの胸を打つエピソードが紹介され、ある種壮絶な感動を呼びました。この放送の内容をご紹介しながら、その意義について書いてみたいと思います。

NHK教育ETV特集「HIVと生きる」〜壮絶に感動しました

 74日の夜、NHK教育『ETV特集は「HIVと生きる」というテーマで番組を放送しました。
 『ハートをつなごう』HIV特集に続き、そして、TOKYO FM「Think About AIDSに続き、ゲイのHIV陽性者の方たちが何人も、顔出しで登場しました。ちょっと前までは考えられなかったことです。その勇気に強く胸を打たれました。今、時代や社会が大きく変わろうとしている、そんな「波」のようなものを感じました。
 ゲイの人も、ゲイじゃない人も、HIVを持ってる人も、そうじゃない人も、HIVに対する思いを同じくする人たちがつながり、共同し、スゴい作品を作りました。

 残念ながら再放送は行われないそうなのですが、せめて、この番組の内容を、ダイジェストでご紹介してみたいと思います。 

 


TOKYO FM主催の「Think About AIDS
に出演したユウジさん
(写真:竹之内祐幸)
 まず、TOKYO FMが主催する「Think About AIDS」の模様が紹介されました。

 そこに出演していたユウジさんへのインタビューがスタートします。ユウジさんは、感染の告知を受けた日、友達に電話をかけ、一晩泊めてもらったそうです。
 渋谷の街で「ときどき人ごみにまぎれたくなるんです」とユウジさんは語ります。そこにお友達も登場し、居酒屋で飲みながら、当時のことを振り返ります。
 ユウジさんの彼氏さんも(顔は出ていませんが、声はそのままで)出演し、お部屋でご飯を食べながら、いろいろと語ってくれました。

 ぷれいす東京の生島さんは、HIVをめぐる現状として、ある企業から「どうしたら陽性者を合法的に辞めさせることができるか」という相談を受けたというエピソードを語っていました。ふだんは穏やかな生島さんですが、静かな怒りがひしひしと伝わってきました。

 女性の方も(顔や声がわからないような感じで)登場しました。妊娠中に感染がわかり、子どもを産むかどうかの苦渋の選択を迫られました。医師や、ぷれいす東京の方などとも相談し、薬を投与すれば、胎児への感染の確率は1%だと知って、彼女は産む決意をしました。しかし、ダンナさんはどうしても産むことに賛成できず、彼女のもとを去って行ったそうです。
 ひとりで出産し、働きながら(障害者枠で応募しますが、HIV陽性者ということで、何度となく断られたそうです)、娘を育ててきた彼女。3歳になる娘さんの「ママだいすき」「むりしなくていいからね」というメモ書きに励まされながら(感涙)、今日もがんばっています。

 THE HAPPINESS WITHIN』というアメリカのHIV陽性者の方たちの写真集を発表したフォトグラファーの長谷良樹さんが、今、日本のHIV陽性者の方たちの写真を撮っています。街角や、空き地のような所や、いろんな場所で、一人だったり、お友達といっしょだったり、彼氏さんといっしょだったりどれも、とてもいい写真でした。発売されるのが本当に楽しみです。

 千葉に住む荒木さんという女性は、裕幸さんという息子さんを、エイズで亡くしました。今でも仏壇に大好きだったというカレーを供える荒木さんの姿のけなげさ。「息子も病気のことをよく知らなかったし、とても怖かったと思う」「もっと早く病院に行っていれば死なずにすんだのに」と涙を流します。
 お友達の女性や男性が今でもお母さんのもとを訪ね、「いつもグループのリーダー的存在だった」と裕幸さんを偲びます。
 裕幸さんは、病院を診察した時にはすでに発症しており、ウィルスが脳を冒していました。荒木さんは息子さんを実家に連れて帰ろうとしますが、地元の病院にはことごとく断られたそうです。
 千葉に部屋を借りて闘病を決意したお母さん。歩くこともしゃべることもできなくなった息子さんを、3年もの間、看病しつづけます。最初はいやがっていたヘルパーさんたちも、次第に介護に参加するようになり、最終的には18人もの方が、彼の介護に関わりました。「最初は抵抗があったけど、今は関われて本当によかったと思っている」「まるで自分の弟のように思えた」と言うヘルパーさんたち。胸が熱くなりました。


「Living Together Lounge」に出演した
いくさん
 最近、二丁目の「Living Together Loungeでは、顔出しで自身の手記を読む陽性者の方が増えているそうです。いくさんもその一人でした。
 いくさんは感染を知ってからずっと、周りの人に打ち明けることもできず、人づきあいもうまくいかず、悩んでいました。が、すべてを受け入れてくれる彼氏さんとめぐりあり、今はとても幸せそうです。
 いくさんは、ぷれいす東京で電話相談のボランティアの方たちのとりまとめ役をやっていますが、初めはボランティアの方たちとも壁があったそうです。でも、今ではそれがなくなったといいます。そのボランティアの方たち(女性の方もたくさんいます)の表情が、まるで仏様のように、神々しく見えました。
 いくさんは陽性者ネットワーク「JaNP+」に参加し、看護の勉強をしている方などに向けて講演も行っています。「あるSNSで知り合った方が、自分は治療をしない(遠回しに死を選ぶ)という選択をしたことを知り、ショックを受けました。彼は家族にカミングアウトしましたが『死んだほうがい』と言われたのだそうです」と語るいくさん。生徒さんたちも身につまされたような表情でそれを聴いていました。

 ユウジさんは、今回の放送に顔出しで出演するにあたり、ずっと家族に反対されていたそうです。
 でも、ずっと家族に出たいと言い、説得を試みました。「何十年後かに社会は変わってるかもしれない。でも、それまで黙って隠れて生きるってことに耐えられなかったんです」


「エイズ予防のための戦略研究」で
たくさんの冊子が製作されてきました
 アーティストであり、Rainbow RingLiving Together計画エイズ予防のための戦略研究等でアートディレクター的役割をつとめてきた張由紀夫さんへのインタビュー。故古橋悌ニさんから1992年にHIV感染の事実を聞き、とてもショックを受けたといいます…「語らなければ何も変わらない。誰も代わりに語ってはくれない」という張さんの言葉がとても印象に残りました。それはユウジさんの「黙って隠れて生きるってことに耐えられない」という思いにシンクロし、この番組の通奏低音を成していたように感じました。(「g-lad xx」で張由紀夫さんへのインタビューを近日中にお送りする予定です。お楽しみに)

 ユウジさんは、家族の心配(愛)と自身の思い(HIV陽性者としてのプライド)との間でギリギリまで葛藤し続け、結局、家族の反対を押し切る形で顔出しを決意しました。放送のわずか10日前のことだったそうです…

 ナレーターをつとめた中谷美紀さんと松尾スズキさんは、陽性者の手記の朗読もしてくれました。
 最後に、ユウジさんの思いを綴った手記を松尾さんがベンチに座って朗読し、その姿が消えて、ベンチだけが映し出され、BGMもなく、沈黙の中でテロップが流れ、番組は終了しました。
 そのラストシーンは、すさまじいというか、壮絶というか…筆舌に尽くしがたい、鮮烈なメッセージを発していました。

 

 

 ETV特集は「考えるヒントを提供する『心の図書館』」というテーマの番組ですが、教材のようにわかりやすく整理整頓されたパッケージとしてではなく、「答えのない問い」を投げかけて終わりました。ある意味、壮絶な、観る人にもやもやした思いを残すような「作品」でした。
 いろんな意味で歴史に残るような、スゴイ番組だったと思います。素晴らしかったです。 

 今回、何人もの方がゲイのHIV陽性者として顔出しで番組に登場しました。ストレートの女性の方たちはモザイク入りだったということと比べても、それは本当に、ものすごく勇気の要ることだったと思います。ユウジさんが最後までご家族の理解が得られずに悩んでいた、ということもリアルにわかります(ウチの親だって同じことを言うだろうなと思います)

 でも彼らが前に出ていくことができたのは、「自分は顔出しで出る!」という突発的な衝動などではなく、時代や社会が変わったと感じられたからこそ、そして、周りで支えてくれる人たちがいた(何かあったとしても「きっと大丈夫」と思えた)からこそ、ということも言えると思うのです。
 90年代に伏見憲明さんや南定四郎さんのようなアクティヴィストの方たちやパレードなどのムーブメントが社会を大きく変えていったように、2004年頃から二丁目で始まった「Living Together」ムーブメントが、ゆっくりと確実に、ゲイコミュニティや世間の人たちのHIVに対する恐怖心や忌避感を「治癒」してきました。そして、ぷれいす東京のような陽性者支援団体、「JaNP+」のような陽性者ネットワーク団体が、HIV陽性者を支援しながら、HIV陽性者を取り巻く社会環境を少しでもよくしようと(偏見や恐怖心を取り除こうと)努めながら、集まって交流したり、相談しあったり、ボランティアに参加したり、Living Togehter関連のイベントに出演したりしながら、「HIVコミュニティ」と呼べる実質を作りだしてきました。
 そして2008年以来、LGBTのことを積極的に取り上げてくれたNHKの方たちや、Living Togehterムーブメントをより広く伝わる形で展開してくれたTOKYO FMのスタッフの方たちが、メディアの側から、サポーティブなスタンスで彼らを後押ししてくれた、ということもあると思います。
 そんな、様々な人たちが長年生み出してきた宝物のようなもの、番組制作に関わった人たちの熱意(汗と涙)、みんなのHIVに対する思いが1つに結晶して、この素晴らしい番組が誕生したのだと思います。

 この番組につながるすべての人たち(それは、直接番組に出演はしていなくても、冊子に手記を書いたり、二丁目でのコンドーム配布のようなボランティアに携わっていたり、イベントに出演してきたり、様々な人たちも含めて)に、心から拍手を贈りたい気持ちです。 

 この「波」は、決してこれで終わりではなく、始まったばかりだと思います。これからも、いい番組が制作され、あるいはもっと違った形でHIVについての大きな出来事が展開されていく、そんな予感がします。

(後藤純一)