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台湾の同性婚実現の立役者である活動家の祁家威氏に総統文化賞が贈られました

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蔡英文総統から賞を贈られた祁家威氏
 11月14日、台湾における市民社会や民主主義の発展に貢献した個人・団体に贈られる「総統文化賞」の授賞式が台北市内で行われ、5部門のうち社会改革部門に同性婚実現の立役者である活動家の祁家威(チー・ジアウェイ)氏が選ばれました。

 総統文化賞は2001年から2年ごとに選ばれ、今年で9回目。チー氏のほか、チャリティ部門で長年台湾での地域医療や国際的な人道支援などを行ってきた米国人医師、サミュエル・ノーアードホフが、青年部門で台湾先住民であるアミ族のミュージシャン、スミン(舒米恩)らが受賞しました。
 式に出席した蔡英文総統は、「台湾社会をより多様に、より平等にした」と述べ、チー氏のこれまでの取組みを高く評価した。
 受賞コメントに臨んだ祁氏は、法改正について、政府や社会が民法改正か特別法制定かで揺れている現状を念頭に、「民法改正をするべき。特別法は20世紀の産物だ」と強調し、政府のさらなる努力を希望しました。

 チー氏は台湾メディアによって「台湾一有名な同性愛者」「台湾で初めてカミングアウトした同性愛者」「エイズ患者支援活動家」などの称号を与えられた有名人で、彼の人生は、台湾の同性愛史そのものだといっても過言ではないそうです。(勲章をもらったことも含めて、「台湾のハーヴェイ・ミルク」といった感じでしょうか)
 
 TAIWAN TODAYは、チー氏の活動家としてのヒストリーを紹介しています。彼は「子どもの頃から今まで、同性愛に反対する人に出会ったことがない」そうです。家族にカミングアウトした時も1分も経たないうちに受け容れられ、兵役中や社会に出てからも排斥されたことはないと感じています。「神様は自分を同性愛者解放運動に取り組むべき人間に選んだのだろう」 
 
 クーリエの記事によると、まだ台湾が戒厳令体制下にあり、反政府活動やデモは弾圧の対象とされ、自らの性的指向はおろか、基本的人権について語ることすら許されていなかった時代です。そんな1986年3月、まだ28歳だったチー氏は、世界に向けて、自分がゲイであることをカミングアウトするため、記者会見を開きました。会場に選んだマクドナルドには、AP通信、ロイター、AFPなどといった名立たる海外メディアが詰めかけました。
 さらに同年8月、婚姻届が受理されなかったという理由で、チー氏は立法院(国会)に訴えを起こしましたが、立法院は「同性愛は少数の変態だ。情欲を満たしたいだけの彼らは、公序良俗に反する」と回答、チー氏は5ヵ月の禁固刑に処せられ、思想教育を受けさせられました。「収監された日の夜、私は初めて恐怖というものを感じた」(今でも彼の携帯は常に公安局に盗聴されているそうです)
 1987年に厳戒令が解除されると、台湾でフェミニズム運動が起き、「性的に平等な権利を獲得する」という理念に共鳴したレズビアンたちがそれに加わるようになると、LGBTの権利向上を求める活動も盛り上がっていきました。
 1990年代に入ると、民主化運動や社会活動も活発化し、同志(同性愛者)を支援する組織が次々と誕生。「同志文学」と呼ばれる文学のジャンルも生まれました。
 そのころチー氏は、夜市でエイズの予防と治療のための募金活動を行っていました。注目を集めるために、童話の登場人物やミイラに扮したり、ときには全身にコンドームを貼り付けたりと奇抜な恰好をしていたため、その姿がたびたびニュースに取り上げられたそうです。
 また、彼は悩めるLGBTのための電話相談を始めました。自分の電話番号をメディアに公表し、いつ誰からかかってきてもいいように、24時間体制でスタンバイ。「毎日多くの同性愛者から電話がかかってきました」 
 1994年、台北市の女子高生カップルが自殺する事件が起きました。命を絶つ前日の彼女たちもまた、チー氏に電話をしてきたそうです。「まさかあんなことになるなんて……今でも命が救えなかったことを悔やんでいます」
 状況は徐々に改善されていたとはいえ、台湾の同性愛者への風当たりはまだまだ強く、チー氏もよく嫌がらせを受けたといいます。あるとき、大手新聞社の記者が彼に「あなたはネコですか? タチですか?」と悪意のある質問をしましたが、チー氏は涼しい顔で「あなたに合わせますよ、どちらでもお好きに」と答えたそうです。
 2000年、15歳の葉永鋕(イエ・ヨンヂー)少年が学校で授業中に姿を消し、その後トイレで血だらけになって倒れているのが発見され、翌日病院で亡くなるという事件が起きました。事件の真相は未だに不明ですが、彼は「女みたいだ」という理由で同級生から「パンツを脱いで男だと証明しろ」などといういじめを受けていたといいます。これによって、台湾では急速に性的マイノリティの権利を擁護する動きが加速しました。2004年には、学校教育における性的指向の尊重や差別の禁止を規定した「性别平等教育法」が施行されました。リベラルな教育を受けた若者たちは、台湾社会を変える新たな原動力になっていきました。時を同じくして、2003年には台湾で初めて大規模なプライドパレードが開催され、すぐにアジア最大級の規模に成長することになります。

 同性婚合法化までの道はとても険しいものでした。1986年から、チー氏は何度も訴えを起こしてきましたが、無視され続けてきました。
 2013年10月には、NGO「台湾伴侶権益推進連盟」が同性婚を含む「多様性のある結婚」を立法化する草案を立法院へ提出し、第一読会を通過して話題を呼びましたが、それ以上の広がりはありませんでした。むしろ、一部の宗教団体がこの動きに反対する数万人規模のデモを行い、台湾は分断の危機にさらされました。
 しかし、2016年、就任前から同性婚支持を表明していた蔡英文が総統に就任し、また、同性愛者の大学教授、畢安生(ビー・アンション)が長年連れ添ったパートナーをガンで亡くし、パートナーの遺品すら受け取れず、飛び降り自殺を図るという事件が起き、同性婚の必要性を社会に知らしめることになりました。
 こうした出来事によって、同性婚の合法化は追い風に乗り、2016年12月に再び同性婚を認める民法の改正案が提出されると、立法院での審議を通過、2017年3月に同性婚に対する憲法解釈の口頭弁論が行われると、その模様がインターネットで中継されるなど、大きな注目を集めました。
 チー氏は台北市などと共に同性婚の合憲性判断についての申し立てを起こし、2017年5月24日、司法院大法官会議(憲法裁判所)が同性婚の法整備を2年以内に実施するよう求める判断を下しました。チー氏は「41年6ヵ月と24日、この日を待ちわびていました。嬉しさのあまり、鳥が羽ばたくように私の心も飛んでいきそうです」と喜びを語りました。
 
 この憲法解釈の結果が出た後、同性婚を特別法で保障すべきか民法で保障すべきかが社会で議論されることになりました。チー氏は、立法院には委員会審議を終えた民法改正案があるが全く審議されておらず、政府は特別法の制定に傾いているのでは?と指摘、その上で、自分を含む一部の同性愛者団体はこれを受け入れない、特別法が成立することは望んでいないとの立場を示しました。ただし、この考えは全ての同性愛者団体が支持するものではなく、特別法か民法かを問わず、1日も早く同性婚が認められることだけを望む方たちもいらっしゃいます。
 
 チー氏は、今後は同性婚カップルが養子をもらうための法整備に尽力するつもりだそうです。
「私はこれまで疲れを感じたことがありません。いまでも毎朝目覚めると、同性愛者の権利向上のために戦うぞというやる気に満ちています。この30年間、それだけは変わっていません」

 



同性婚合法化を目指すLGBT活動家、総統文化賞を受賞/台湾(Yahoo!ニュース / フォーカス台湾)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171115-00000007-ftaiwan-cn

総統文化奨シリーズ(5):同性愛者解放運動30年の祁家威さんに待ち望んだ成果(TAIWAN TODAY)
http://jp.taiwantoday.tw/news.php?unit=148,149,150,151,152&post=125107

台湾がアジアで初めて「同性婚合法化」を実現!|献身した「ある偉人」の30年の物語(クーリエ)
https://courrier.jp/news/archives/92227

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