COLUMN
「ハートをつなごう」HIV第3弾を観て
6月29日、30日に「ハートをつなごう」HIV第3弾が放送されました。僕らにとってすでにHIVは身近でリアルなこととなっていると思いますが、あらためていろいろと考えさせられるような、同時にとても勇気づけられるような内容でした。
6月29日、30日にNHK Eテレ(教育)で「ハートをつなごう」HIV特集第3弾が放送されました。僕らにとってすでにHIVは身近でリアルなこととなっていると思いますが、地方と都市部の格差ということや「風評被害」など、あらためていろいろと考えさせられるような、そして同時に、ものすごく勇気づけられるような内容でした。
■1日目 地方でのHIV治療の困難
都内で彼氏さんといっしょに暮らすりょうさん。夕食も作るし、要領よくお弁当も作る姿がいいなあ、幸せだなあと感じさせました。
地方都市でHIV感染を知ったりょうさんは、拠点病院(地域におけるエイズ診療の中核的役割を果たすことを目的に整備された病院。各都道府県にあります)を紹介されましたが、通うのに片道2時間かかるところで、とても通えず、「病名を知られたらどうしよう」という不安もあり、近所の方が勤める自宅近くの病院に行くこともためらわれ、やむなく自宅から1時間ほどの別の病院を選びました。しかし、その病院は、HIV陽性者の診療の経験がなく、パーテーション1つで区切られたほかの患者さんにまる聞こえな所で話をしたり、採血の際やカルテにも大きく「HIV+」と赤い字で書かれたり、プライバシーへの配慮がありませんでした。また、風邪をひいても、1時間かけてその病院に行かないといけないということもあり、とても大変でした。
これではダメだと思い、りょうさんはやむなく、それまでの勤め先を辞めて、東京に引っ越す決意をしました。東京の病院では、お医者さんも看護師さんもふつうに接してくれるし、手帳をとるために区役所に電話をしてくれたり、あまりの対応のよさに驚いたといいます。
りょうさんは「歯医者に行くにしても眼科に行くにしても、ふつうに治療ができるようになってほしい」と語ります。
スタジオに出演していた「JaNP+(ジャンププラス)※」の事務局長をつとめる高久陽介さんは、「JaNP+では拠点病院だけでなく、一般の病院にもHIVの診療ができないかどうかと働きかけていますが、スタッフの方がやる気があっても院長さんがNOと言ったり、HIV診療をやっていると言うと風評被害で患者さんが来なくなるのでは?という心配をもっている」と話していました。大阪の国立病院機構大阪医療センター医師の白阪琢磨さんは「今までたくさんの陽性者の診療にあたってきましたが、風評被害で患者さんが減ったということは一度もなかった」と強調していました。石田衣良さんは「人々の心の中の恐怖心がそういう自粛につながっていたんですね」とたたみかけました。
また、陽介さんは「講演会を行って受講した方たちに感想を聞いてみると、今までHIVに対して抱いていたイメージががらっと変わった、ふつうの病気なんだなと感じられるようになったと言っていただけることが多い」とも語っていました。
※JaNP+
HIV陽性者がふつうに暮らせる社会をめざし、長谷川博史さんを代表として2002年に設立された団体。昨年8月にNPO法人として認められ、「特定非営利活動法人 日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス」となりました。
JaNP+は昨年、全国のエイズ治療拠点病院へのアンケート調査(PDF資料→こちら)を行い、地域のHIV診療の実態を明らかにしました。また、HIV陽性者の診療が一部の拠点病院へ集中していること、歯科、外科、産科、人工透析科など、高い頻度の通院を必要とする他科受診では患者の日常生活に多大な負担をかける結果となっていること、地域において他科を受診しようとするときに実質的な診療拒否も起こっていること、医療者の中に存在するHIV/AIDSへの偏見が地域医療でのHIV陽性者の受診の障害となっていることなどを改善するよう、厚労大臣に要望書を提出しています。スピーカー派遣(講演会)活動や交流会などもコンスタントに行い、成果を挙げています。(2010年の活動報告書より。PDF資料→こちら)
■2日目 高校1年で感染を告げられ…
武田飛呂城さん(33歳)は、血友病とHIVとB型肝炎とC型肝炎を持っている方です。
高校1年のとき(1994年)にHIVに感染していることを両親に告げられ、自分はあと3~4年しか生きられないと思ったそうです。が、1年たって、同じブラスバンド部の親友に打ち明け、意外にすんなり(「あ、そう」という感じで)受け入れてもらえて、本当に楽になったそうです。もともと飲んでいた薬が効かなくなってきたこともあり、大学を卒業する頃(1999年)にはCD4が1桁にまで下がり、とても深刻な状況だったそうですが、あるワークショップに参加して「病気で苦しんでるのは自分だけじゃない」と励まされ、希望をもつことができました。今は慢性疾患をもつ人のためのワークショップを開催するNPO法人で働き、生き生きと暮らしています。
武田さんは血友病とHIVとB型肝炎とC型肝炎という、1つだけでも大変な病気を4つももっているにもかかわらず、とにかく明るく、強い方で、TV画面からもパワーが伝わってくるような感じでした。「HIVをもっていたとしても幸せになれるし、もっていなくても幸せになれるし、そんなにちがわないのかな、と思います」という言葉が、やせがまんとかじゃなく、本当に心からのキモチとして出てきたことに、胸を打たれました。
スタジオの高久陽介さんは、「HIVに感染すると、世の中にはマイノリティとマジョリティがいるのではなく、マイノリティの人がたくさんいるんだということに気づかされましたよね」と語っていました。僕らはついつい「マジョリティ」に文句を言ったり、「マイノリティ」であることをひがんだりしてしまいがちですが、そうではなく「みんながマイノリティ(誰もがどこか他人とちがっているし、悩んでいたりもする)」ということに気づけば、世界はぜんぜん違って見えるんだと思います。
石田衣良さんは「武田さんが、義務感でいやいや飲まされるのではなく、これをやりたいから薬を飲むんだと思ったときに自分が変わってきた、という言葉がすごく響きました。いろんな障害をもった方がいらっしゃいますが、自分はこれがやりたいんだと、少しモードを切り替えられたら、きっといい方向にいくと思います」と語っていました。
「こんなに大変、とてもつらい…」というお話ではなく、まったく逆で、ものすごく励まされ、生きていく力をもらえるような内容でした。
■番組を観て——人々の恐怖心を癒していくこと
2日目には、武田さんの親友の鏡さんという方が登場しましたが、今は茨城で農家をやっていて、震災後、風評被害で作物を出荷できない時期があり、大変だったと語っていました。でも、武田さんの励ましで、何とかなると思えたそうです。
それは震災後だからたまたまそういうエピソードがつけ加えられたというよりも、そういう話がHIVをめぐる状況とすごくシンクロしてするものがあるのでは?というメッセージのように感じられました。
東日本大震災後、被災地(のセクシュアルマイノリティ)支援活動などを通じて、地方と東京の格差、あるいは目に見えないものの恐怖が引き起こす差別ということが浮き彫りになってきたと思いますが、それはHIVについても同じようなことが言える、根っこは同じようなことだという気がします。今までHIV団体の方や活動家の方たちはずっとそういうことに取り組んできたんだな…と思うと、頭が下がる思いです。
昨年、検査を受ける人が減り、新規エイズ患者数が過去最多となったというニュースがありました。(詳しくはこちら)
JaNP+が陽性者の方に行ったアンケートでは、約6割もの方が、検査前において「HIV=死」のイメージを抱いていたことがわかりました(2005年以降に感染がわかった人でも同様)。「この結果からは、HIVの予防啓発が本当に必要な人たちに未だ届いていない現状もうかがえます」
そして「HIV陽性者が当たり前に生きることのできる社会でこそ、つまり感染告知後の治療と支援がバランスよく提供されてこそ、早期発見早期治療の効果は発揮されるものです」とも述べられています。(2010年の活動報告書より)
二丁目で「Living Together」という素晴らしいムーブメントが誕生し、陽性者の方たちの声が手記を通じて届けられ、世間にも広がりを見せるようになってきました。が、まだまだたくさんの人たちがHIVに死のイメージを抱いているというのが現状のようです。人々の心の中の恐怖心を取り除いていく(「治療」していく)ために、「Living Together」を続けていくこと、そして、JaNP+の方だけでなく僕らひとりひとりがスピーカーとなって、HIVのことを身近な人たちに語っていくことも大切なのではないかと思います。
「ハートをつなごう」HIV第3弾は、7月6日(水)7日(木)12:00~12:29に再放送されます。まだご覧になってない方はぜひ、録画してみてください。(後藤純一)
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