COLUMN
『週刊現代』9月4日号で大橋巨泉さんが「人の死に“同性愛者”はふさわしくないのか?」と今野雄二さんを追悼
80年代を代表するような文化人であり、NYのゲイクラブシーンを日本に伝え、「ゲイカルチャーはカッコいい」というイメージを広めた功労者でもある今野雄二さん。その死を悼む大橋巨泉さんによる追悼エッセイの中で、とても重要なことが語られていました。
80年代に活躍した映画・音楽評論家、翻訳家、小説家である今野雄二さん。石井明美『CHA-CHA-CHA』の日本語訳詞や舘ひろし『泣かないで』の作詞、伝説的なTV番組『11PM』への出演、小説集『きれいな病気』(NYやサンフランシスコのゲイクラブなどを舞台とした作品。浅田彰が絶賛したそうです)などでも知られています。
また、ブリティッシュ系のサブカルチャーに造詣が深く、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックを世に広めた方でもあります(ブライアン・フェリーの『Tokyo Joe』という曲は今野雄二さんがモデルだと言われています)
同時に、伝説の「バラダイス・ガラージ」を中心としたNYのゲイクラブ・シーンを日本に紹介した方でもありました(著書『天国の車庫』は「バラダイス・ガラージ」へのオマージュであり、ハウスの時代とその空気感を余すことなく描いた傑作と讃えられています。残念ながら、現在、入手困難ですが…)
今野さんは最先端のゲイカルチャーを日本に輸入することで、世間に「ゲイはカッコいい」というイメージを与えることに貢献した、とも言えるのではないでしょうか。それが90年代ゲイブームにつながる1つの大きな水流になったのでは?とも思うのです。
そんな今野雄二さんが8月2日、66歳で亡くなったというニュースは、各メディアで一斉に取り上げられました。(自殺だったそうです。いったいどうして…。胸が痛みます)
ニュースの見出しでは「ゲイカルチャーに造詣が深く」という形容がなされていましたが、今野さん自身がゲイかどうかは語られずじまいでした(ご本人は公には自身のセクシュアリティについては語っていなかったのです)。が、この月曜日に発売された『週刊現代』9月4日号で大橋巨泉さんが今野さんの追悼記事を書いていて、その中で重要な発言をしていました。
blog「フツーに生きてるGAYの日常」の記事によると、『週刊現代』9月4日号での大橋巨泉さんの連載エッセイ「今週の遺言」(102~103ページ)で「人の死に"同性愛者"はふさわしくないのか? 日本にはタブーが多すぎる」というタイトルで、フジテレビ『スーパーニュース』からコメントを求められた巨泉さんとフジテレビ側のやりとりが明らかにされています。
巨泉さんは人気深夜番組「11PM」の司会者でしたが、今野さんは月曜日によく出演していて、そうした縁でコメントのオファーがあり、巨泉さんはすぐに、「彼の同性愛者らしい細やかなセンスを買っていただけに残念」というコメントをカナダからFAXしました。
そのまま就寝し、翌朝目覚めた時に東京の(巨泉さんの)事務所の弟さんから、このようなメールが入っていたそうです。
「もうお休みになっていると思うのでメールで失礼します。フジテレビから電話があり、“文章の中の『同性愛者』という表現が、死んだ人に対する表現としては使えないので、それを取って『彼らしい細やかなセンスを…』とさせていただきたいのですが”ということです。私は『兄は同性愛者に偏見を持っていないのでそう書いていて、同性愛者特有の細やかさを表現したいので困ります』と言いました。すると、“上司と相談したところ、やはりある程度同業者の中では知られていても一般的な事ではなく、人が亡くなった時という特殊な時期なので、今回はその表現を控えさせて頂きたい”と言って来ました。すでにお休みであれば仕方がないですが、もし『それなら全部載せるな!』と言うことでしたら、メール下さい」
それに対し、巨泉さんは「もう寝た後の話でどうしようもありませんでしたね。こちらは一向にかまいません。ただこのことは週刊現代に書くつもりです」と返事をしました。
そうして、このやりとりが『週刊現代』連載コラムで暴露されたわけです。
おそらくフジテレビの方も、故人が墓場まで持って行こうとしたことを死後に暴くわけにはいかない、という判断があったのでしょう。それはメディアとして、人としての倫理感なのだと思います(北丸雄二さんのblogで、実際そうだったというフジの方のコメントが紹介されています)
しかし、たとえば、「故人は本当に優しい心の持ち主でした。たとえば、友人にこんなことをしてあげたり…」といった話は、亡くなった後でも(本人の同意なしに)たくさん語られます。それが美談だからです。そのフジテレビの方にとっては、ゲイだと言われることは美談どころか「恥」でしかなく、だからこそ「伏せておくべきだ」と判断したのでは…それが透けて見える文面だったからこそ、巨泉さんもこの記事を書こうと思ったのはないでしょうか。
一方、生前、公にカミングアウトしていなかった方について、亡くなった後で「ゲイだった」と言うこと(いわば「アウティング」)が憚られるのは、僕らゲイの側も同じです。「フツーに生きてるGAYの日常」のakaboshiさんも「当時、僕はこのブログではその(個人的な)思いを『書かない』ということを選択してしまいました。なぜなら彼は、いわゆる欧米のアクティビズム的な発想・思想で言うところの『カミングアウト』を、自ら社会に対してしていたのかどうかが定かではないからです。もし、それをしていなかったとしたら『アウティング』に近いことになってしまうのではないか? 当事者的な感覚では、そこは非常にナーバスなところであり、『触れないでおいた方が得策』と思ったことは事実」と書いており、僕も同様の感覚で、あえて今野さんの追悼記事は載せていませんでした。
しかし、巨泉さんは、今野さんの細やかなセンスや才能・活躍は、ゲイであることと切り離せない、という気持ちで、ゲイへのリスペクトを込めながら、追悼の気持ちを捧げたのです。
巨泉さんは続いて、藤村有弘さん(通称パンサ。NHK『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの声で有名なコメディアン)のことに触れています。
「実は彼は数少ないミュージカルのできるコメディアンだった。だから日テレの名プロデューサーだった井原高汰忠さんが手放さなかった。『光子の窓』や『あなたとよしえ』で、ボクは作家、作詞家、時には共演者として、彼と親交を重ねた。彼は自分がゲイである事を隠さなかったし、ボクは全く偏見がないので、本当に楽しい交遊が続いた。だから彼が'82年、48歳の若さでこの世を去った時も、真っ先に葬儀に駆けつけた。そして、スピーチの中でボクは、『パンサは彼がゲイである事を隠さなかった。しかし日本にはまだ同性愛者に対する強い偏見がある。だからボクは今夜、藤村有弘を立派な同性愛者として送ってやりたい』と言った。場内は騒然となった。会場にはゲイの人も多く来ていて、”よく言ってくれた”という声も聞かれたが、マスコミは黙殺したようだ。翌日の夕刊紙(フジだったか日刊ゲンダイだったか)が取り上げただけであった」
きっと、もしその場にいたら、感涙…ですよね。コメディアンやミュージカル俳優として活躍し、ゲイであることを隠さずに接していた友人の藤村さんを「立派な同性愛者として送ってやりたい」と送り出した、そんな巨泉さんの心意気に胸を打たれたはずです。
akaboshiさんも「こうした悔しい経験が今回の今野さんの件の『暴露』にもつながっているのでしょう」と書いていますが、この藤村さんのことがあって、今回のことがあって、巨泉さんは「まだ日本は変わっていないのか…」という思いを抱いたんだと思います。
巨泉さんは続いて「あれからそろそろ30年の月日が流れた。しかし日本は変わらない。徳川時代からの鎖国が続いているようだ」と語ります。
「外国に住んでいると、人々が同性愛者や障害のある人達とどう接しているかがよく解る。日本と同じ立憲君主国であるイギリスでは、同性愛者であることを公表し、パートナーの存在さえ明らかにしている歌手、エルトン・ジョンに女王はナイトの称号を授けた。彼はサー・エルトンである。芸能人ばかりでなく、欧米にはホモセクシャルである事を公表している大臣や国会議員が数多く居る。彼らは非難も迫害もされない。そういう事をするのは超保守派か差別主義者である」
その他にも、先日のカリフォルニアの同性婚禁止をめぐる連邦地裁の判決を紹介したりもしています。
おそらくは最もホモフォビアの強そうな年代の男性たちに向けて、ここまで「ゲイプライド」ということについて説得力のある語りをしてくれた「アライ(支援者)」の方は、そうそういなかったと思います。巨泉さんが「鎖国状態」と嘆いたような「臭い物に蓋」的な日本社会を変えていくような、大きな意義を持っていると言えるでしょう。拍手を贈りたいと思います。
『週刊現代』9月4日号はまだ書店に並んでいますので、ぜひ読んでみてください。
そして、入手困難ではありますが、機会があればぜひ、今野雄二さんの著作に触れてみてください。「80年代にこんなスゴイ仕事をしたゲイの人がいたんだ」と、今の僕らへとつながる本当に大事な人だったんだと実感できるはずです(著作ではありませんが、ラリー・レヴァンへのインタビュー記事をこちらで読むことができます)。本当に惜しい方を亡くしました(一度お話を聞いてみたかったです…)。心からご冥福をお祈り申し上げます。
(後藤純一)
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