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COLUMN

杉田議員問題(2)「日本のストーンウォール」となった抗議集会

7月27日(金)、永田町の自民党本部前で杉田議員の辞職を求める抗議デモが開催され、約5000人が詰めかけました。たくさんのLGBTの方が交代でマイクを握り、真っ直ぐに思いを語り、胸が熱くなりました。

杉田議員問題(2)「日本のストーンウォール」となった抗議集会

7月27日(金)19時〜21時、永田町の自民党本部前で杉田議員の辞職を求める抗議集会が開催され、約5000人が詰めかけ、たくさんのLGBTの方が交代でマイクを握り、真っ直ぐに思いを語り、胸熱な集会となりました(同時に、札幌や大阪、福岡などでも抗議集会が開催されました)。その集会のレポートをお伝えします。そして、この夜の出来事の意味を、自分なりにまとめてみました。(後藤純一)








 杉田議員問題の寄稿や動画での発言がSNSで炎上し、マスコミでも取り上げられはじめた頃、平野太一さんというゲイの方が「他者に対して「生産性がない」と発言した杉田水脈は、未だ謝罪せず反省の色すら見せていません。そして自民党も全くなんの対応もしていません」として7月23日、#0727杉田水脈の議員辞職を求める自民党本部前抗議というハッシュタグを作り、抗議集会への参加を呼びかけました。あっという間にTwitterでたくさんの賛同の声とともに拡散され(トレンド入りも果たしました)、毎年パレードで素晴らしいフロートを出走させてくれているTOKYO NO HATEや、東京レインボープライド、LGBT法連合会なども参加表明し、さらに広がりを見せていきました。TRP共同代表の山縣さんは、「憤怒と恐怖が、私たちを抗議へと突き動かしました」「杉田水脈議員の論考は、保守とかリベラルとか、右とか左とか、それでどうこうという次元の話ではなく、人間の尊厳や存在を否定する、絶対に許すことのできないものでした」「『Pride』という歴史的にも重みのある言葉を冠する団体として、ここで抗議の声をあげなければ、その存在価値を見失うのではないか。そんな危機感もあり、TRPとして、今回の抗議行動に連帯することにしました」「これをきっかけに、セクシュアルマイノリティへの理解が進み、法整備も含め、差別が解消されていくことを願います」と述べて、参加を呼びかけました。

 杉田議員の発言は本当に許せないし、議員辞職を求めるというのも賛成だけど、正直言って、パレードのようなお祭りならともかく、抗議集会、しかも自民党本部前って気が引ける…そもそも「政治的」なことが本当に苦手…という方、とても多いと思います(僕もそうでした)。金曜の夜の過ごし方として、こんなに気乗りがしない選択肢もなかなかありません。しかし、東京レインボープライドが抗議集会への参加を表明し、これは歴史的な意味を持つイベントになるかもしれないと予感し、見届けようと決めました(また、ニュースで杉田問題のことを知って憤った母親から連絡があり、今晩抗議集会があると言ったら「(足が悪くて行けない)私の分まで行って来なさい」と背中を押されました)
 重い足を引きずって永田町に向かいました。
 折しも、毎日のように酷暑が続く(23日には日本歴代最高気温を更新)ぐったりするような週でしたが、7月27日(金)は台風襲来の前日で、奇跡的に涼しくなり、雨も降らず、絶妙なコンディションとなりました。
 
 駅の出口を出ると、お巡りさんの指示で、だいぶ遠回りさせられたのですが、何とか現場に着きました。広場みたいな場所ではなく、本部の向かいの歩道に横に広がって立っている状態。歩道は、工事現場で使うパイロン(コーン?)で車道側と壁側に仕切られて、真ん中は通行できるようになっていて、取材者としては、中心で何が起きているのか見届けたいという気持ちで、歩いて行ったのですが、いろんな友達に会って、ハイタッチしたりして(パレードっぽく。笑顔で)、ちょっと安心感が生まれてきて。で、2001年にパレードの実行委員をやったとき以来の友達が「ここに入りなよ」と場所を空けてくれて、運よくそこはマイクでスピーチしている場所の近くで、みなさんのお話を聞くことができました。
 22歳のレズビアンの方は、ほとんど泣きながら、あの発言で本当に傷ついたと、思いを熱く語りました。「あなたの一言でどれだけ傷ついたか」「当事者だけじゃない。家族も友人も敵に回している」「私は女の子で女の子を好きだということを止めさせない」「これが私のプライド」「レインボーはただの飾りじゃない」「人権無視する議員はやめろ」
 それから、早稲田政経の小原教授がアライとして登壇。「どうしてこんな弱き者を踏みつけにできるのか」「どうして私たちの声が届かないのか」と語りました。
 ここで増原裕子さんが登壇しました。率先してメディアに登場し、2010年代のLGBTムーブメントの立役者となり、現在は勝間和代さんのパートナーでもあります。「怒っています。恐怖に震えています」「杉田議員を許容する自民党に、失望しました」「私は本来素敵なことである同性が好きということで、10歳から22歳まで孤独に悩んでいました」「今回の発言で、時計の針が何十年も前に戻ってしまった」「子どもたちが傷ついています。これ以上子供たちを苦しめないで」「LGBT法連合会が作成したLGBTの困難の事例リストに、公人によるヘイトスピーチという項目を追加しなければならなくなりました。そして、LGBT差別禁止法の必要性を痛感しています」
 富山から駆けつけた大学教員の方のスピーチは、特に感動を呼びました。「背筋が凍りました。一体どれだけたくさんの命を見送れば、世の中は変わってくれるんだろう。差別の言葉がなんでダメなのか、それはその時耳に刺さるだけじゃないんです。その言葉は、心の中にずっと残るんです。「あなたは必要とされてない」ってその一言、それが寝ても覚めて繰り返されてしまうんです」「(富山で)カミングアウトなんかしたら私は生きて行けないって、ずっと自分の中で言い聞かせてきた。でも、この1週間、知りました。黙っていると、もっと怖い事が起きるんだって。だから、私はここで言います。私は、ゲイだ!(声援と拍手)それが、どうした!(声援と拍手)私たちはここにいる!THIS IS PRIDE!!」
 東京レインボープライドで理事を勤める堂本直樹さんは、「私たちはSOGIによって差別されない社会を目指しています。ここ数年、本当に支援してくださる方が増えて、うれしく、胸が熱くなる思いでした」「杉田議員の論考は、生きる価値のある人間と価値のない人間を選別するものです。女性、子どもがいない方、老いた方、障がいを持った方…」「苦しさに寄り添い、救済するのが政治家の役目なのに、杉田議員こそ、マイノリティを不幸にしています。国会議員の資格が問われます」「自民党の理解増進委員会や理念、全ての方の努力を踏みにじるもので、 憲法や国連の方針にも反しています。厳正な処分を求めます」  
 築地本願寺で同性結婚式を挙げたという七崎さん(「おめでとう」と言われていました)は、「本来、私はこういうところに来るような人間ではありません」「学生時代にいじめられ、鉛筆を刺された傷がまだ残っています。でも、その時の傷よりも、杉田議員の言葉で傷つきました」「人権を無視したヘイトスピーチを行った杉田議員の辞職を求めます」「そして、婚姻の平等を求めます」「私はこれからも胸を張って生きていきます」
 明治大学の鈴木賢教授が登壇しました。「LGBTのことは、ようやく公共政策の入り口にさしかかったばかりです。日本ではまだ、同性カップルに対する法的保障が一切ない。婚姻も、在留資格もない。六法全書には性的指向という言葉すらない。私たちはいないことになっているのです」「杉田議員、LGBTは生産性がない、支援のために税金を使う必要がないと主張するが、これは失言ではない、信念に基づいて発言してる。優生思想です。そんな人間に国会議員の資格はない。彼女を比例上位で当選させたのは自民党です。札幌や大阪、福岡でも自民党への抗議が行われるが、こんなグロテスクな思想の持ち主に議席を与えたのは自民党なんです。二階氏は「いろいろ人生観がある」と容認しているが、杉田議員は弁護に値するのか?直ちに除名し、辞職させなさい」「足を踏まれたら痛いと言います。さもなければ歴史が許さない」
 お名前を失念しましたが、シスジェンダーストレートの大学院生の女性の方。「私たちは国の道具と見なされた」「人間に生産性という物差しを使うな」「やまゆり園の事件にも通じる思想です」「こんな危険な思想を擁護する人も同罪ではないか」「これはLGBTだけの闘いじゃない、私たち全てが当事者です」「私たちは生きてていい」
 MtFトランスジェンダーの活動家、畑野とまとさん。「杉田議員の発言には、驚いていない。彼女は前からこういうことを言っていた人」「忘れてはいけないのは、彼女は杉田の名前ではなく、自民党比例代表で当選しているということ。この責任は自民党が取るべきです」
 このようにスピーチが次々と行われ、合間に「議員をやめろ」「人権守れ」「THIS IS PRIDE!!」といったかけ声(コール)が行われました。(ネット上で「安倍やめろ」というコールがあったというデマが流れているようですが、真っ赤な嘘、デタラメです)
 21時になり、最後に、LGBT法連合会の神谷さんが「今日は5000人もの方が集まってくれました。ありがとうございます。今日が始まりだと思います。ここからです。ほかの人権の課題も、いい形で広げていきましょう」とご挨拶し、ほのぼのした雰囲気で解散となりました。
 
 5000人というのは、大げさじゃないと思います。ものすごくたくさんの人の、長い長い横の列になっていました。友人・知人にもたくさん会いましたし、TRPに参加しているような、あるいは、二丁目やクラブで遊んでるようなゲイの方も見かけました。こういう抗議集会とか初めてだけど、杉田議員は許せないって思って、居ても立っても居られなくて、とか、勇気を出して来てみた、という感じでした。ちなみに5000人というのは平日の(労組の動員とかじゃない)抗議集会としては最大級だそうです。

 なお、7月27日(金)から28日(土)にかけて、札幌、福岡、大阪などでも杉田議員の辞職を求める抗議集会が開催されました。札幌ではドラァグクイーンの方たちも参加していました(こちら。素晴らしくカッコいいです)
 
 2011年に石原都知事(当時)が 「(同性愛者は)どこかやっぱり足りない感じがする」と発言し、シンポジウムデモが開催され、それぞれ数百人の方たちが集まり、有意義な催しになっていましたが、今回はもっと大規模に、全国で一斉に集会が開催され、以前とは何かが違う、新しい意義を感じさせました。その辺りのことを、次の章でお伝えしてみます。
 


日本のストーンウォール〜PRIDEの誕生〜

 以前から「日本には明確なゲイ差別がない」ということがコミュニティ内でも言われてきました。海外のように宗教の人が「地獄に落ちろ」的なアンチ活動をぶつけてくることもないし、石を投げられることもない、正面からあからさまに差別する人がいない、あえて言うなら「真綿で首を絞めるような差別」だと。だから欧米型の抗議デモみたいな形じゃなくて、もっとこう、日本的な、仲良くしましょ、的な巻き込んで行くような運動のほうが合ってるかもね、という話です。それはそうかもしれないな、と僕も思っていました。
 今でも「日本に差別なんてない」と言われることがあると思います。そう言う方は、運よく、たまたまイヤな思いをせずに済んできたのでしょう。でも、だからと言って「日本に差別なんてない」ということにはならないと、今ははっきりと言えます。異性のカップルは婚姻届さえ出せば税制優遇や相続など約1000もの権利のパッケージを与えられますが、同性カップルは、40年以上連れ添ったパートナーの火葬に立ち会えず、共同経営の会社も親族に奪われパートナーを殺されても犯罪被害遺族給付金の支給が認められず20年以上連れ添ったパートナーが国外退去を命じられ…といった数々の理不尽、ひどい差別に直面しています。
 
 80年代までは、ゲイがゲイとして生きていくのが困難でした(世間体のために女性との結婚を余儀なくされた人がほとんどでした)が、今は、本当に好きな人と一緒に暮らしたり、親や職場にカムアウトしたり、ということが夢ではなくなりました。法的権利こそないけど、自治体によっては証明書ももらえます。結婚式だって挙げられます。素晴らしい進歩です。それは、何もせずに降って湧いたものではありません。
 もし、大塚隆史さんがラジオでゲイのことを発信したり、伏見憲明さんが本を書いてカミングアウトしたり、南さんがパレードを立ち上げたり、アカーが広辞苑の「異常性欲」という記述を改めさせたり、府中青年の家での差別待遇に対して裁判を起こしたり、尾辻府議がカムアウトして参院選に出たり、ということがなかったら、いまのようなっていただろうか…と。毎年パレードを地道に開催して(本当にたくさんの血と汗と涙が流れました)、勇気を出してパレードを歩いてきたたくさんの方たち、ディズニーランドで結婚式を挙げたレズビアンカップルや、杉山文野さん、松中権さんなどのように率先してメディアに出て世間に発信してきた方たち、たくさんの、いろんな方たちの思いと行動が結実して、社会が変わってきたのです。
 
 日本の社会の特殊性なのだと思いますが、抗議するという振る舞いに対して、どうしてもアレルギー的な拒絶反応を示す方が多いと思います(正直、僕も苦手でした)。でも、そうは言ってられない状況、というものがあります。まさに今がそうなんだと感じます。
 例えば、クラブでのダンスが禁止されたり、ある種の漫画が規制されたり、乱交が摘発されたり、別に大して危険じゃないモノが禁止されたり、いろんな理不尽な規制がかけられる(権利が奪われる)ことがありますが、抗議せずにいるとどんどん不自由に、息苦しくなります。そのうち、「生産性がない」という理由で公然と差別されたり、同性間の性行為が違法になったり、事実上、生きていけなくなってしまうということになっても、それでも黙っているのでしょうか?という話です。
 誰だって、声を上げ、社会を変えて行こうなどとする面倒臭さや「ダサさ」からは逃れたい、そんなことより1日中寝ていたり、好きな人とデートしたいと思う、けど、民主主義の国に生きる以上は、声を上げる権利があるし、抗議することによって、状況は変わっていきます。今回、そのことがはっきりとわかりました。27日(金)の抗議集会は本当にたくさんのメディアで報道され、世論形成にも影響を与え(こんなひどい発言をしてる国会議員がいるんやな、許せんな、的な)、自民党もこれを無視することはできないはずです。
 
 たぶん現代(戦後)史上初めて、僕らは正面から(公人による)生存を脅かされるような危険な思想に直面し、初めて一斉に声を上げたのです。以前は平和的な、お祭りとしてのパレードしかやったことがありませんでしたが(初期の頃は、ステージに政治家を上げてスピーチさせることすら議論がありました)、今回初めて、押しつぶそう、権利を奪おうとする「大きな者」に対して、黙って押しつぶされるのではなく、歯向い、「NO」と言ったのですから、これは「日本のストーンウォール事件」とも言うべき、歴史的な事件です。
 
 アメリカでは、1969年にストーンウォール暴動が起こって、ゲイ解放運動のブレイクスルーとなり、ゲイの権利を認めろという政治的なデモがたくさんあって、もっと大規模にやろうってことで、1970年6月末に、全米各地で一斉に、ストーンウォール1周年記念の大規模なデモをやって、それがプライドパレードの始まりとなりました。「PRIDE」とは抵抗であり、抗議であり、権利獲得のための行動でした。黙って押しつぶされたりしないぞ、という決意表明でした。OUTし、声を上げていこうとする「私」たちの連帯。私たちはここにいる、私たちはクィアだ、それがどうした?(慣れることね)
 今までは頭の片隅に知識としてメモ書きされていたことが、初めて身体にインストールされた、血肉化された、そんな感覚を覚えました。
 
 日本の今の恐ろしい政治状況を見て、海外に逃げようかな、と言い始めている方もいたりします(賢明かもしれません)。でもあの晩、真っ先に海外に移住できるような資質を持った方たちこそが、先頭に立って、声を上げていました。あの場に来ることができない、声を上げられない人たちの分まで。もしかしたら、警察に逮捕されたりする危険もあったでしょうに…。その気高さ、PRIDEに敬意を表します。
 
 状況がどう動いていくか、わかりません。しれっとスルーされるかもしれません。でも、メディアがこれだけたくさん、抗議集会のことを取り上げ、杉田発言を批判し、大きな運動になっていることは、ものすごいことだと思います。あの日、何かが始まったという感がありますし、一緒に声を上げられる人がたくさんいるんだ、と勇気をもらえました。
 
 
【追記】
 8月2日、自民党は、杉田議員に今後注意するよう指導したと発表、杉田議員も「真摯に受け止め、今後研鑽につとめて参りたい」というコメントを発表するに至りました。しかし、謝罪にもなっていないといった批判の声もたくさん上がっています(「杉田水脈議員、本当に真摯に受け止めたんですか?研鑽って何をするんですか?」)。LGBT自治体議連も謝罪や寄稿文の撤回が必要だと述べています(「杉田議員への指導は「徹底されたとは言い難い」 自民党の対応に批判の声も」)

 そして、引き続き、抗議デモが行われます。8月5日には渋谷ハチ公前で(#0805杉田水脈議員の差別発言に抗議する渋谷ハチ公前街宣)、10日には再び自民党本部前で(#810自民党本部前抗議)。5日は、大阪でも辞職を求める集会があります(#0805杉田辞職しろ大阪街宣

【追記その2】
 その後、東京在住のカナダ人弁護士であるアレクサンダー・ドミトレンコ氏も、杉田議員の発言が広く拡散され、同性を愛する人々に対する差別への意識を高めることになったと、「これは日本版の『ストーンウォールの反乱』なのです」と語りました(クーリエ・ジャポン「日本のLGBTカップルは、どうして結婚しないんですか?」より)
 言葉の綾と言いますか、瑣末なことかもしれませんが、いつか日本のLGBT史をきちんと残そうということになったとき、本当の意味での「日本のストーンウォール」は、杉田発言への抗議だったと記述されることを期待します。

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