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ゲイ用語の基礎知識

レッドリボン


 レッドリボンは、HIV/エイズと共に生きる人々への支援や、亡くなった方への追悼のシンボルとして、全世界で使われています。


 パトリック・オコンネルは80年代のほとんどを、エイズで亡くなった友人を弔うための喪服で過ごしました。
 1991年、オコンネルは「かけがえのない命のために何かをしなければいけない」と感じ、世界にゲイコミュニティを破壊しつつあるエイズのことを意識してもらうためのささやかな方法として、レッドリボンを思いつきました。
 オコンネルは『ニューヨーク・タイムズ』紙で、こう語っています。
「湾岸戦争に出征した兵士のためのイエローリボンがそこらじゅうに見られた。私たちは、人々がイエローリボンを見て『海外で戦死した若い命への追悼』から『ブッシュを支持する』までいろんな意味を読み取ることに気づいた」
「私たちのコミュニティにもそのような、『エイズと共に生きる人々への支援』から『現政権への反感』まで意味するような余地のあるものがほしいと思った」
 そうして彼はレッドリボン・プロジェクトを立ち上げました。
 「それは血のシンボルだ」と、彼はBBCに語っています。オコンネルにとって赤という色は「人々を奮い立たせるような色」であり、「情熱の色」であり、「生き生きとして注目を集める色」でした。
 彼はレッドリボンをエイズ・アクティヴィズムの確固とした挑戦的なシンボルだと考えました。
 1991年のトニー賞授賞式の2週間前から、「VISUAL AIDS」※の15名のアーティストが監督し、何千ものレッドリボンが製作され、トニー賞の会場に届けられました。結果、司会をつとめたジェレミー・アイアンズが胸にレッドリボンを着けている姿が、全米の家庭に放送されました。
 翌年のアカデミー賞授賞式では、エリザベス・テイラーをはじめ多くのセレブがレッドリボンを着けて会場に現れました。郵便切手になったり、UNAIDS(国連合同エイズ計画)のシンボルマークにも採用され、レッドリボンがあちこちにあふれるようになりました。

 ゲイであり、40年もエイズと共に生き、「VISUAL AIDS」の創設に携わり、レッドリボンプロジェクトの立役者であったパトリック・オコンネルは、2021年3月23日にエイズ関連の原因により亡くなりました。67歳でした。


※1989年、ニューヨークで結成されたアート団体。レッドリボンプロジェクトだけでなく、喪に服したり何か行動をするようにアート界に呼びかける「Day Without Art」、街のランドマークなどの灯りを消す「Night Without Light」などのプロジェクトを企画し、アートとエイズコミュニティをつなぎ、人々がエイズへの関心を高めるよう働きかけ、HIV/エイズと共に生きるアーティストを支援してきました。

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