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映画『プレシャス』〜泣けるツボも笑えるツボもゲイ

メディアがこぞって絶賛するアカデミー賞映画『プレシャス』。どん底としか言いようのない不幸な境遇に置かれたプレシャスが、教師やソーシャルワーカーの助けを得て少しずつ人生に希望を見いだしていくという物語です。まちがいなく泣けますが、まるで『ドリームガールズ』のようでもあり、観終わった後は晴れ晴れとした気持ちに。ゲイ監督だからこそのテイスト、きっと気にいるハズ。

映画『プレシャス』〜泣けるツボも笑えるツボもゲイ

 GW前に公開され、メディアがこぞって絶賛したアカデミー賞映画『プレシャス』。この世の不幸を一身に背負い、どん底としか言いようのない暮らしを余儀なくされているプレシャスが、教師やソーシャルワーカーの助けを得て少しずつ人生に希望を見いだしていくという物語です。
 まちがいなく泣けます。しかし、観終わった後に重くてつらくて苦しい気持ちになったりはせず、晴れ晴れとした気持ちで映画館を後にすることができます。意外にもエンターテイメントなシーンもちりばめられ、音楽も素晴らしく、ゲイ監督だからこそのテイストにきっと満足できる作品です。【後藤純一】

 

プレシャス』PRECIOUS: BASED ON THE NOVEL PUSH BY SAPPHIRE
2009年/アメリカ/監督・脚本:リー・ダニエルズ/原作:サファイア/出演:ガボリー・シディベ、モニーク、ポーラ・パットン、マライア・キャリー、レニー・クラヴィッツほか/配給:ファントム・フィルム
(C) PUSH PICTURES, LLC



■愛に飢え、苦境に立ち向かう女たちの物語

 走ることもできないくらいの巨体で、炭のように黒い肌のプレシャス(ガボレイ・シディベ)は、犯罪と貧困の街ハーレムに育ち、実の父親にレイプされ、障害を持った子どもを産み、母親(モニーク)からは「お前が夫を奪った」と暴力を受け、学校もろくに行けず、読み書きもできず、あまりにも悲惨な…この世の不幸を一身に背負ったような女の子でした。
 しかし、プレシャスは決して絶望したり、グレたりしませんでした。ふつうの女の子のように恋をしたり、スターになったりすることを夢見て、おおらかに生きていました。そんなプレシャスの気だてのよさを見込んで、彼女が抱える問題に向き合い、彼女が這い上がるチャンスを与えてくれたのは、フリースクールの教師レイン(ポーラ・パットン)やソーシャルワーカー(マライア・キャリー)でした。
 教師レインは、凛とした真っ直ぐな目でプレシャス(や同じように恵まれない境遇にあった女生徒たち)を導いていきます。口うるさいことは言わず、過保護にもならず、人としてやってはいけないことは厳しく叱り、いざという時には助けます。素晴らしい教師です。
 プレシャスは決して聡明でも活発でもありませんが、不思議な明るさと強さを持っていました。プレシャスがフリースクールで「近親相姦(incest)」を「昆虫(insect)」と間違え、クラスメートに笑われるシーンがあります。「近親相姦」なんてプレシャスにとって最も忌まわしい言葉であるはずなのに…笑い飛ばしてしまうのです。スゴイです。
 やがて、プレシャスは、もっともっと厳しくて残酷な事実を突きつけられます。それまで決して泣かなかったプレシャスが、初めて「もう疲れた…。誰も私なんか愛してくれない」と泣きじゃくります。しかし、レインは潤んだ目でプレシャスを見上げ、「私はあなたを愛している」と言うのです…

 この映画は女性たちの視点で見た世界、女性たちの物語です。
 プレシャスをレイプする顔の見えない「バンパイア」や、プレシャスが憧れる高校の数学の先生や、セクシーな病院のナース(レニー・クラヴィッツ)や、様々な男性たちが登場しますが、彼らは恐怖や憧れの対象として遠くにいる存在です。決してその内面は描かれないのです。
 厳しい現実の中でもがき、愛に飢え、傷つき、それでも力強く生きていこうとする女性たちへの讃歌。
 決して希望を捨てず、愛に生きようとするその姿は、本当に美しく、かけがえのない輝きを放つのです。


 

■ゲイ&レズビアンが救いに
 
 『プレシャス』は女たちの物語であり、そこに男は描かれていない、と書きました。男と女の(恋愛)関係を描くのが映画のキホンだとすれば、これはある種、風変わりな(クィアな)作品だと言えます。
 プレシャスやその母親の前に立ちはだかった「男」の姿は、ゲイにとってのそれと同じではないでしょうか? 世の男たちは、自分たちを辱める恐怖の対象であるか、あるいは、性的な憧れの対象ではありえても、決して自分たちと同じフィールドで生きているわけではないのです。ゲイもまた、男たちが作り上げた社会から疎外されるがゆえに、(差別という名の)虐待を受けたり、HIVに感染したり、様々な苦しみを味わいながらも、ゲイどうしで支え合い、強く生きていこうとしてきました。この映画の女性たちにシンクロし、深く心を揺さぶられるのは、そういう意味もあるのではないかと思うのです。
 原作の力もあるでしょうが、やはりこれは、ゲイの監督でなければ生み出せないような作品なのだと思います。

 もう1つ、さすがゲイの監督!と拍手したくなるポイントがあります。
 プレシャスは殴られて気絶したり、ひどくショックな出来事に出くわすと、条件反射的に妄想のような白昼夢の世界へとトリップします。(実際にガボレー・シディベがそうなったように)女優としてレッドカーペットを歩き、大勢のファンに囲まれたり、モデルとしてフォトシューティングに臨んだり、大物歌手として拍手喝采を浴びたり…その様はまるで『ドリームガールズ』のジェニファー・ハドソンのよう。とってもキュートで、キャーキャー言いたくなります(その夢がゴージャスであればあるほど、ショックの大きさを暗示するものではあるのですが…)。まぎれもなくゲイテイストなシーンです。
 ともすると重く、苦しく、深刻な気持ちになりそうな映画を、こうしたシーンが救ってくれています。人生にはこうしたユーモア(キャンプな感覚)が必要なのさ、と言っているかのようです。

 それから、ゲイだけでなく、レズビアンもこの映画のさりげなく重要なポイントになっています。
 父親にレイプされてできた二番目の子を産み、母親に殺されそうになり、行き場を失ってたどりついた教師レインの家で、プレシャスは彼女の同居人の女性にも親切にしてもらいます。そして、二人が恋人どうしであることに気づくのです。プレシャスの独白(ナレーション)が入ります。「ママは同性愛は罪だと言ったけど、そうじゃない。彼女たちはレイプもしないし、勉強のじゃまもしない。あたたかく私を受け入れてくれたもの」。本当にいいシーンです。
 
 そして、この映画の原作『push』を書いた女性サファイアも、オープンリー・レズビアンです。彼女は実際にハーレムのフリースクールで子どもたちに読み書きを教えていました。レイン先生のモデルは彼女なのです。

 

■オスカーを獲得したモニークの痛ましい過去 

 アカデミー賞助演女優賞に輝いたモニーク。ふだんはコメディアンである彼女が、娘を虐待する母親の役を演じてオスカーを獲得したわけですが、それは、虐待っぷりがすさまじいから、というだけではありませんでした。

 生活保護の支給の鍵を握る福祉課のソーシャルワーカーの前で、プレシャスの母メアリーは虐待の事実をついに認めます。彼女は悪びれることなく「プレシャスもその子どももあたしのものじゃない」と言い放ちます。ひどいとも何とも思っていません。そればかりか「私の恋人を奪いやがって」とプレシャスを逆恨みまでしている様子。でも、ソーシャルワーカーにたしなめられ、最後には、本心を吐露しはじめます。「だって、彼の言うことを聞かなかったら、去っていくわ…。そうしたら、いったい誰が私を愛してくれるの?」 メアリーもまた、深く愛情に飢え、苦しんでいたのです。
 このシーンがなかったら、きっとアカデミー賞もなかったでしょう。
 グサリと胸に突き刺さるような、何かをえぐりとられるようなシーンでした。モニーク、素晴らしかったです。

 そんな名女優モニークですが、実は、その演技の裏には、彼女自身の痛ましい過去が隠されていました。
 「Timewarp」の記事によると、映画『プレシャス』のプロデューサーでもあるオプラ・ウィンフリー(アメリカで最も力を持つアフリカ系女性です)のトーク番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」(日本で言う「徹子の部屋」)に、4月19日、モニークの兄ジェラルド・アイムス氏が出演し、幼い頃、モニークに性的虐待を加えていたことを告白したのです。
 少女へのわいせつ行為で逮捕されたこともあるジェラルドは、モニークが7歳の頃から2年間に渡って性的虐待を繰り返したと明かし、「本当にすまないと思っている」と涙ながらに謝罪しました。「いつの日か、兄妹たちが家族としてまた絆を深めることができるように願っている。ごめんよ、モニーク、ごめんよ」
 
 そのことを知ったうえでこの映画を観ると、あの壮絶な演技がいっそう、真実味を帯びたものに見えてくるし、感動が深まるのではないかと思います。

 

■リー・ダニエルズ監督の次回作は?
 

 黒人として史上2人目のアカデミー監督賞ノミネートの栄誉に輝いたリー・ダニエルズ監督。日本ではほとんど報じられていませんが、オープンリー・ゲイの方でもあります。パートナーと二人の養子といっしょに暮らしているそうです。

 ダニエルズ監督は、人種についての偏見を扱った『チョコレート』の他、幼児虐待を扱ったケヴィン・ベーコン主演の映画『The Woodsman(原題)』、そして『プレシャス』と、社会的マイノリティや傷つけられてきた人々へのまなざしを映画作品にしてきた方です。
 その背景には、モニーク同様、監督自身の壮絶な過去が関係しているようです。
 ダニエルズ監督はフィラデルフィアの低所得者向け公営住宅で育ちます。彼の父親は警官で、息子が強い男になることを望んでいましたが、リーが5歳のとき、母親の赤いハイヒールを履いているところを父親に見つかり、「お前はゲイで何の価値もない」とゴミバケツに放り込まれ、その後もずっと父親から殴られていたそうです。父親だけでなく、黒人のコミュニティにはホモフォビアが根深くはびこり、彼はいつも孤立していたそうです。
 ダニエルズ監督は「自分の心を癒すため、そして観る者の心を癒すために『プレシャス』を製作した」と語っています。二重三重の疎外を経験してきた彼だからこそ、『プレシャス』を映画化することができたし、決してお涙頂戴ではない作品に仕上げることができたのです。

 そんなリー・ダニエルズが次に製作するのは、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアを主人公とし、キング牧師が指導者的役割を果たしたアメリカの公民権運動について描く『セルマ』という作品。1965年にアラバマ州セルマで起きたデモ隊と警察との流血の惨事「血の日曜日事件」や、セルマからモンゴメリーへの3度にわたるデモ行進を中心に展開するそうです。この作品にはヒュー・ジャックマン、ロバート・デ・ニーロ、リーアム・ニーソン、そして『プレシャス』にも出演したレニー・クラヴィッツといった豪華なキャスティングが決定しているそうです。
 この5月には撮影が開催されるそうです。今度こそオスカーをねらえるのでは?と期待しながら、完成を楽しみに待ちたいと思います。

 

■原作も文庫版で発刊
 
 『プレシャス』の原作は、『push』という小説。オープンリー・レズビアンの詩人であるサファイアというアフロアメリカ人女性が実体験をもとに書いた作品で、世界的ベストセラーになりました。
 
 この小説が日本語に訳され、映画に合わせて『プレシャス』というタイトルで、文庫版として刊行されました。
 プレシャスとレイン先生との往復書簡という体裁をとっており、初めはたどたどしい言葉遣いだったプレシャスが、読み書きを学び、前向きに人生を切り開いていくにつれて、その言葉遣いも生き生きとしてくるという作品になっています。 
 
 プレシャスがこのうえなく過酷な現実に直面し、打ちひしがれ、教室で泣きじゃくり、レイン先生やクラスメートが励ましますが、プレシャスは「もう疲れた…」と言って、日記に何も書けなくなります。そんなプレシャスに、レイン先生は、「書きなさい。ここで立ち止まるわけにはいかないのよ。ふんぱりなさい(push)」と言います。これが原題の『push』につながります。
 読み書きができない人がほとんどいない日本ではあまりピンとこないかもしれませんが、学ぶとは何か、人間の尊厳とは何か、ということをものすごくリアルに伝えてくれる作品です。

 そして、この小説では、黒人社会で同性愛者がどのように疎外されていたか、ということも描かれています。当時、黒人社会で力を持っていたスポークスマンはルイス・ファラカンというイスラム系の指導者で、プレシャスもまた、その影響を受けていたので、初めは「同性愛はよくないこと」と思っていました。
「学校で、『カラー・パープル』よんでる。あたしには、すごいむずかしい。ミズ・レイン、やさしく説明しようとするけど、ほとんどのとこ、自分じゃ読めれない。でも、ほかのみんな、リータはべつだけど、だいたい読めれる。でも、ミズ・レインのおかげで、だんだんストーリーわかってきた。泣けた、泣けた、泣けたよ。だって、あたしとすごい似てて、ただ、あたしはセリーみたくレズじゃない。でも、そのことしゃべろうとして、“五パーセント会”やファラカン師なんかがレズのことなんて言ってるかしゃべろうとして、そしたら、ミズ・レイン、こう言った。あなたがレズビアン好きじゃないなら、わたしのこと も好きじゃないのね、わたしはレズビアンだから、って。あたし、ぶったまげた。そいで、しゃべるのやめた。ファラカンの名前、出すんじゃなかった。けど、 アラーやらなんやら、あたし、まだ信じてる」

 映画を観て心を動かされた方は、この原作小説もぜひ、読んでみてください。
 

プレシャス
サファイア:著/東江一紀:訳/河出文庫/798円

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