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第7回「東京プライドパレード」レポート(4)連帯の可能性

第7回「東京プライドパレード」レポート第4弾は、パレード前夜に開催された公式プレイベント「コミュニティ・サロン」についてお伝えしたいと思います。赤杉康伸さんがレポートしてくれました。

第7回「東京プライドパレード」レポート(4)連帯の可能性

 第7回東京プライドパレード前日である2010年8月13日(金曜)の夜、新宿二丁目の「バー九州男」で開催されたパレード公式プレイベント「コミュニティ・サロン」に参加してきました。

 実は筆者、2006年・2007年の東京プライドパレード(2006年は東京レズビアン&ゲイパレード)で、前日交流会イベントの企画・運営に携わっていました。当時の交流会イベントでは、いわゆるセクシュアルマイノリティの各種団体/NPO系の参加者が多かったという記憶があります。それに対して今年は、20~30代の友人グループが参加者の中心層をなしているのが印象的でした。また、今回の「コミュニティ・サロン」では、中村うさぎさんと伏見憲明さんが「連帯の可能性と不可能性」というテーマで対談を行なったのですが、その対談テーマに惹かれたと思しきフェミニストの方々も会場では見受けられました。

 「コミュニティ・サロン」はドラァグクイーン・ジュヌヴィエーヴさんのLADY GAGAショーでスタート。「Bad Romance」「Telephone」と身体を張った完コピで喝采を浴びました。その後、ジュヌヴィエーヴさんのMCで場が和んだところへ中村うさぎさんと伏見憲明さんが会場前方に登場し、対談が始まりました。

 対談は、二人の出会いを振り返るところからスタートしました。9年前の東京レズビアン&ゲイパレード(以下「TLGP」)2001当日。パレードのパブリシティということでパレード実行委員会から参加依頼を受けていたうさぎさんは、クレオパトラの衣装に身を包み、パレード先頭で行進開始を待っていました。そこへ、プレス登録していた伏見さんが「そこ(注:パレード先頭)はゲイやレズビアンの人たちが歩く場所だから、あなたはよけるべき」とうさぎさんに注意したのです。

 伏見さんにしてみれば、パレードを企画・運営する実行委員たちへの労りの気持ちから出た言葉であったものの、「プレスの人たちも、私が先頭を歩く事情は知っているはず」と思っていたうさぎさんは大いに困惑。うさぎさん・伏見さんともに声を揃えて「出会いの印象は最悪(笑)」だったということです。お二人曰く、その後和解したのは「時間が経過して、お互いに年を取った」のが理由とのことですから、時の流れも粋な演出をするものです。

 さて、対談は本論である「連帯の可能性と不可能性」の核心に迫っていきます。20年間、日本のゲイムーヴメントに携わり続けてきた伏見さんは「社会的な『敵』が明確に定まらない中、例えばセクシュアルマイノリティ内部でも差異が明らかになってくると、みんなが一緒という前提の『ザ・運動』みたいなものはなかなか難しい。色々な立場や在り方があり得る中で、僕個人としては『小さく個人的な連帯』を進めていきたい」という趣旨の発言をされました。この発言を受けて振り返ると、伏見さんが毎週水曜日に営業しているゲイバー「エフメゾ」もまた、「小さく個人的な連帯」の一つなのではないでしょうか。「エフメゾ」はあくまでゲイを中心としながらも、ノンケや女性も加わり、平場のコミュニケーションが活発に交わされています。そんなコミュニケーションを通じて、お客さんどうしで今までにない新たな友情や繋がりができつつあると、筆者自身エフメゾに足を運ぶたびに感じています。

 他方うさぎさんは、最近携わろうとしている『シングルマザーとゲイの交流会』のお話をしてくださいました。「自分のためだけに今まで生きてきたが、それだけでは行き詰まってしまう。いわゆる『運動』に今まで携わったことはないけれど、やはり誰かのために何かをやりたいなと感じるようになってきた。そんな時に『シングルマザーとゲイの交流会』という企画を知り、主宰者に連絡を取った」のだそうです。一緒に子どもを育てるパートナーがいないシングルマザーと、そのままでは子どもを産み育てることができないゲイ男性。そんな両者が、子育てという「体験」を共有することで生まれる連帯があるのではないかと、うさぎさんは考えているのです。そして、「体験」を他者と共有することが難しい現在、パレードという「体験」の共有もまた、連帯にとって重要なきっかけになるのではないかという問題提起はさすがと感じました。

 さて、お二人の話を聞きながら、筆者は10年前である2000年のことを思い出していました。2000年8月に開催されたTLGP2000にあわせ、ゲイ雑誌『バディ』の出版元であるテラ出版さんが都内の某旅館を借り切り、『バディ』読者や全国各地のゲイ団体・グループメンバーを招待しました。関係者の間で今でも「バディ旅館」と語り継がれているこの旅館に、当時札幌在住の筆者も宿泊しました。パレード運営関係者、全国の団体やグループ関係者、そしてゲイメディア関係者などが食事時に一同に会する様子は壮観で、まさしく「体験共有の場」であったように思います。また、バディ旅館ではTLGP2000の実行委員長であった砂川秀樹さんが挨拶をし、伏見さんも顔を出されていました。ジュヌヴィエーヴさんもスタッフとしてバディ旅館にいらっしゃいました。

 あれから今年で丸10年。10年ぶりにパレード運営体の代表を務める砂川さんと、「コミュニティ・サロン」でお話をする伏見さん。そして、「コミュニティ・サロン」でオープニングアクトを務めるジュヌヴィエーヴさん。各々立場や状況は異なりますが、お三方は常に「ゲイコミュニティ」にコミットしてきたのだなぁと感じました。また、うさぎさんは先頭で歩いたTLGP2001から9年の時を経て、「コミュニティ・サロン」翌日の東京プライドパレード本番では、伏見さんたちと一緒に沿道でパレード参加者への応援を行ないました(筆者も沿道応援チームに参加しました)。歩く人にとってだけでなく、応援する人や携わる人全てにとって、パレードが「体験共有の場」であることを個人的に実感できる夏となりました。
(赤杉康伸)


赤杉康伸さんのプロフィール
1975年生まれ。北海道札幌市出身。
大学で政治学を学び、HSA札幌ミーティングでの活動を経て、「レインボーマーチ in 札幌」の実行委員を務めながら、2001年4月に上京。 同年5月にパートナーの石坂わたる氏とともに東京メトロポリタンゲイフォーラム(TMGF)を結成、東京のゲイに関する情報の発信や、選挙の度にゲイ視点での政策について候補者アンケートを行ってきました。
また、All About[同性愛]でも「ごく私的・政治観測」「女スパイ赤杉康伸の口紅政治情報」といった連載で、ゲイと政治の関わりについて書いてきました。
2006 年には、同性パートナーの法的保障を考える全国リレーシンポジウム「RainbowTalk2006」の最終回(東京)で構成・総合司会・コーディネーター役をこなし、また、東京レズビアン&ゲイパレードの実行委員も務めました(その後、2008年まで東京プライド理事を務めました)
共著書に『同性パートナー―同性婚・DP法を知るために』(社会批評社)があります。
個人サイト「NOV'S BLOG

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