g-lad xx

FEATURES

レポート:「さよなら RADIO CITY! 俺達の青春ゲイナイト!!」

12月1日(日)、日比谷の「CLUB DIANA」で「さよなら RADIO CITY! 俺達の青春ゲイナイト!!」が開催されました。あの場所での(そしてあの頃のノリの)最後のゲイナイトをみんなで楽しみ、超絶ハッピーに盛り上がって、最高の、かけがえのない「ラスト・ダンス」となりました。

レポート:「さよなら RADIO CITY! 俺達の青春ゲイナイト!!」

2019年12月1日(日)、もうすぐ再開発で建物自体がなくなってしまう日比谷の「CLUB DIANA」(旧「RADIO CITY日比谷店」)において、一夜限りのフェアウェル・パーティとして「さよなら RADIO CITY! 俺達の青春ゲイナイト!!」が開催されました。かつて「ラジオシティのゲイナイト」を楽しんでいたであろう大勢の方たちが再集結し、あの場所での(そしてあの頃のノリの)最後のゲイナイトを楽しみ、超絶ハッピーに盛り上がりました。控えめに言って最高の一夜でしたし、掛け値なしに素晴らしい「ラスト・ダンス」でした。レポートをお届けします。(後藤純一)
 




 地下鉄の日比谷駅から直結している「CLUB DIANA」。そうそう、この入り口!って思った方も多かったと思います。今回は、長いこと「Shangri-La」のドアガールをつとめていたことでもおなじみのドラァグクイーン、レイチェルさんが立っていて(高さがありすぎて頭の羽根が天井に当たってました笑)来られた方を元気よくお出迎えしてくれました。
 中に入ってちょっと行くと、下の階のダンスフロアの盛り上がりが見えてきます。左手のVIPエリアで優雅に過ごしている方たち、右手のソファのスペースでくつろいでいるカップル、手すりから下のフロアを見下ろしている方たちなど、思い思いに過ごすみなさんを横目に見ながら、早速ばったり会った同年代のお友達と一緒に、下のフロアに向かいました。
 階段を降りると、バーンと大きなDJブースがあって、その向こう側のフロアで、かつて「ラジオシティ」のゲイナイトを楽しんでいたであろう年代の方々や、今現在クラブシーンで活躍してる方々がひしめき合いながら一緒に盛り上がっていました。ちょうどGOGOショーが始まるタイミングで、今をときめくGOGO BOYSのみなさんがお立ち台に上がって、セクシーに盛り上げてくれました。GOGOさんがステージを降りると、今度はドラァグクイーンの方々がお立ち台に登場。そのうち、クイーンの方々がフロアの方たちを引っ張って上げはじめ、お客さんたちがお立ち台で鈴なり状態に(その中にスッピンのエスムラルダさんや私も混ざっていたのは内緒です)
 レジデントDJのKo Kimuraさんは、「Relight my fire」(もちろん、みなさん同じところで手を叩きます)、LOVE TO INFINITY「Keep Love Together」(90年代を代表するハッピーなアンセム。パレードのフロートとかゲイナイトで必ずかかってました)、Gloria Estefan「Everlasting Love」、Richard Travis「Come And Rescue Me」などなど、懐かしのゲイアンセムをこれでもかとかけ続け、フロアは熱狂的な盛り上がりを見せていました。
 GOGO BOYSのみなさんも何度も登場し、目を楽しませてくれましたが(今年いっぱいで引退するSASUKEさんは、衣装であるゴールドのボクサーパンツの下にわざわざ黒のTバックを穿いてチラ見せするというサービス精神。さすがです)、アラフィフのゲイの方たちがお立ち台に上がってイェイイェイしたり、フロアでも両手を挙げて踊り狂ったり、合唱したり…みんな笑顔で、キラキラ輝いていて、「こんなにゲイナイトでハッピーに盛り上がる光景って久しく見てなかったかも」って思って、なんだか泣けてきたりもして…。
 パーティが終了の時間となり、それでもまだたくさんのお客さんが残っていて、アンコールでさらに数曲かかって、24時近く、オーガナイザーの吉田さんが「今日はこんなにたくさんの方に集まっていただいて、本当にありがとうございました」とご挨拶し、お開きとなりました。
 
 私は終電の時間だったので帰りましたが、同年代のお友達は「もう、今日は帰らなくていい」とか名残り惜しそうに言ってて。本当にみなさん、心から楽しんでたと思います。
 控えめに言って最高の一夜でした。掛け値なしに素晴らしい「ラスト・ダンス」でした。感謝しかありません(みなさん、同じ気持ちだと思います)
 
 通常のパーティと違ってお客さんがお立ち台にたくさん上がって楽しむことをよしとしていたのは、「あなたたちが主役ですよ」という、また、「あの頃のラジオシティのままですよ」というメッセージだったと思います(今は内装が変わってなくなったのですが、ラジオシティの時は、フロアの真ん中がせり上がってステージのようになって、その上に(計算して)立っていた方たちがGOGOよろしく踊ってみんなの注目を浴びる、というのが恒例になっていました)。その心意気にも胸が熱くなりました。
 
 いろんな方に、ラジオシティの思い出やなんかをヒアリングしたのですが、例えば、学生時代、日曜日の夕方に合コンをやったあと、アフターでラジオシティのゲイナイトにみんなで来て楽しんだのが本当にいい思い出だよ、とか、あの時代はネットもアプリもなくて、みんなこのナイトに照準を当ててジムに行ったりオシャレしたり気合いを入れてて、本当に楽しみにしてたんだよね、とか、いろんな話がありました。
 ネットがない時代、大勢が集まるゲイナイトこそが、貴重な出会いの場であり、文字通り「お祭り」でした。もしかしたらいい人と出会えるかも?というドキドキ感と、キラキラでハッピーな空間のワクワク感がないまぜになった楽しさ、ゲイナイトの原点がここにありました。あの頃を知っているみなさんが大切な思い出として胸の中であたためていた、忘れがたい青春の思い出が、この日、一夜限り、奇跡的によみがえって、花火のように打ち上がったように感じました。




 振り返ってみれば、今年は、平成から令和に変わったというだけでなく、『バディ』誌が25年の輝かしい歴史に幕を下ろすという、たいへん大きな出来事がありました。ゲイシーンが歴史の転換期にさしかかっている感があります。そんな中で、このナイトが開催されたことには、大きな意味を感じます。
 平成の90年代を通じて、世間でもゲイブームが起こり(それこそ吉田さんが出演する『ジョニー』のようなゲイの番組がフジテレビで放送されたり)、コミュニティの側も、ハッピーゲイライフを謳う『バディ』誌に牽引されるかたちで、オープンに前向きに変わっていって、同時に、「ラジオシティ」や「リキッドルーム」や二丁目の『Delight』や『GAMOS』で、いろんなゲイナイトが開催されるようになり、2000年代のパレード&レインボー祭りの盛り上がりへとつながりました。
 まだゲイナイトというものが本当にワクワクでドキドキな、出会いへの期待があふれる超重要イベント(一大事)だった時代です。番号札を貼って、イケる人に投票し、お互いにマッチしたら電話番号(当時は携帯じゃなくてPHSだったり)を交換して…というのが本当に盛んでした。そこで一夜限りの恋の相手を見つけたり、「大切なアイカタ」ができたりもして。たくさんの忘れられない夜があって、そこにいつも音楽がありました。クラブの音楽は週末のワクワク感の記憶と一体で、イェーイって盛り上がって踊っていいのか、でもあまりはじけすぎるとモテなくなるかな…とためらったりしながら、いいや、はじけちゃえ、みたいな。
 今回、あの場所で踊ってて、そんな時代のことがフラッシュバックしてきて、懐かしさと同時に、一抹の切なさを覚えました。もう、みんなでこうやって盛り上がることは、二度とないんだな…って。古き良き時代のゲイナイトがまさに今、終焉を迎えようとしているんだな…って。せめてお別れはハッピーにって。 


 ちょうど2年前、Shangri-Laが15年の輝かしい歴史に幕を下ろしましたが、Shangri-Laというビッグイベントをプレゼントしてくれた吉田さんは、ずっと前から一貫して、親愛なるゲイの仲間たちのために、楽しくてハッピーな時間を届けてくれていました。今回のナイトもそのような「贈り物」(しかも最高の)でした。と同時に、吉田さんはきっと、ゲイナイトというものの楽しさやゲイシーンへの「愛」のような気持ちを、若い世代にバトンタッチしたい、受け継いでいきたいと思っていて、このナイトは、そういう「心意気」の表れでもあったと思います。みんな、この光景を忘れないでいようねって。これがゲイナイトだよって。
 
 ぼくらのゲイシーンは、これからも、新しいものが生まれたり、ちょっとずつ変わっていくことでしょう。以前あったものがなくなり、寂しさも覚えることも多々あるでしょう。でも、今回のようなナイトの記憶が新しい世代に受け継がれていく限り、「きっと大丈夫」って思えます。いちばん大切なものは何かということを思い出させてくれた、そういう意味でも「さよなら RADIO CITY! 俺達の青春ゲイナイト!!」は素晴らしかったし、永遠に語り継がれると思います。本当にありがとうございました!


※写真は「さよなら RADIO CITY! 俺達の青春ゲイナイト!!」のオフィシャルPhotoをお借りしました。全写真のアルバムをこちらからご覧いただけます。

INDEX

SCHEDULE