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レポート:『道をつくる2023』トークイベント『「ゲイのみなさん、元気でやってますか?」タックさんの生きる技術』
9月23日、渋谷GAKU(PARCO9階)で開催された『道をつくる2023』というクィアイベントの1プログラムとして、大塚隆史(タック)さんが登壇して『「ゲイのみなさん、元気でやってますか?」タックさんの生きる技術』というトークイベントが行なわれました。70年代末からゲイとして発信を続けてきたタックさんが今もなおクィアで素敵な進化を遂げていることに感慨を禁じえませんでした。
2023年9月23日・24日、GAKU(渋谷PARCO9階)で開催された「道をつくる2023」というイベントは、今年で2回目なのですが、東アジアの性的マイノリティ(クィア)の体験を聞くことで、若い世代と上の世代をつなごうとするもので、映画上映&トーク&本の販売というスタイルのカルチャーイベントでした。初日の最後のプログラムは、『「ゲイのみなさん、元気でやってますか?」タックさんの生きる技術』と題し、TANさんという若手の方が大塚隆史(タック)さんにお話を聞くトークイベントでした。このようなイベントでタックさんのお話をじっくり聴く機会もひさしぶりで、若い方に70年代末からゲイとして発信を続けてきたタックさんのことが伝わるというだけでも素敵だと思っていましたが、それだけでなく、タックさんが75歳になった今もなお、クィアで素敵な進化を遂げていることを知って、感慨を禁じえませんでした…。このイベントの模様のレポートをお届けします。
大塚隆史さん(タックさん)は、1970年代に一世を風靡したラジオ番組『スネークマンショー』に参加し、ゲイのポジティブな生き方をリスナーに向けて発信し、その後も造形作家として活躍しながら、1982年にバー『Tac's Knot(タックスノット)』をオープン、1990年代には別冊宝島のゲイ三部作『ゲイの贈り物』『ゲイのおもちゃ箱』『ゲイの学園天国』のを責任編集をつとめ、『2丁目からウロコ』(翔泳社・刊)、『二人で生きる技術--幸せになるためのパートナーシップ』(ポット出版・刊)といった著書も発表、また、『バディ』誌で「やっぱり♥ふたり」「アイノカタチ」などの連載も行なっていました。ひとことで言うと、LGBTQのなかで最も古くから活動してきた方の一人であり、一貫してゲイのポジティブな生き方や「幸せ」を追求し、世間にもコミュニティに広めてきた方です。
最初に「スネークマンショー」1979年2月28日放送の「青春の光と影」をみんなで聴きました。トム・ロビンソン(1970年代からゲイであることをカムアウトしてプライドソングを発表していたロック・ミュージシャン)がデヴィッド・ボウイに助けられたという話があったけど、タックさんにとって大切な音楽 はジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」という歌で、それは、私は雲を両面から見たけど結局雲のことはわからない、人生も両面から見たけど結局わからない、人生って何かを失って何かを得ていくもの、といった歌詞で、タックさんはゲイとして、周囲の人たちのようにしたくない結婚をするのではなく、ゲイとして生きていきたいと願いながら、でもそれは怖いことだった、この歌の歌詞でモヤモヤが吹っ切れた、と語りました。そして、ゲイに生まれて「ソン」をしていると考える人へ、必ずプラスもあるよ、物事には両面があるんだよとメッセージを送りました。
ここからTANさんが、タックさんにいろいろ質問し、お話を聞いていきます。
――どんな経緯で、この「スネークマンショー」という番組に出演することになったのですか?
僕が『ポパイ』誌で「シスターボーイの千夜一夜物語」というコラムを連載していたのを見て、音楽プロデューサーの桑原茂一さんが出ませんかと言ってくれたんです。「スネークマンショー」は小林克也さんと伊武雅刀さんが黒いジョークを言ったり、パロディ的なコントで笑わせたりするような番組でした。僕は「いいですけど、ゲイだってこと自体がジョークになるのはいやなので、ゲイはおかしくないってことしか言わないですよ」と返事をして、それでいいですよ、と。それで毎週水曜日の「Snakeman Show / Wednesday Special」を担当することになりました。1年半やって、スポンサーの関係で番組自体が打ち切りになるまで、一回も「それはやめて」と言われたことがありませんでした。
――こちらから聞いていったのですが、恋愛相談だったり、ポルノの話などもあったりして、とても自由な感じでしたね。
おおげさだったり、結構危ないことも話したりしたのですが、何も言われなかったですね。というのは、桑原茂一さんは音楽が好きで、いい曲を聴かせるために、若い人が好きそうなギャグと組み合わせてこの番組をやっていて、音楽以外の部分はあまり気にしていなかったようなんです。実は番組内で「タックがお送りした」ということになっている音楽も全部桑原さんが選んでいました。今回かけた「青春の光と影」も、本当は僕はジュディ・コリンズの「青春の光と影」が好きだったんですけど、当日行ってみたらジョニ・ミッチェルのバージョンになっていて。
――本当にかけたかったほうではなかったんですね。
ジュディ・コリンズの「青春の光と影」が好きで、どんなことを歌ってるんだろうと思って調べてみたら、明るい曲調なのに、とても深いことを言っている。そこにジーンときたんです。ジョニ・ミッチェルのほうは大人っぽく歌ってる感じですよね。
――好き放題おしゃべりができたとはいえ、当時、セクシュアリティをオープンにしてゲイに向けて発信するということに不安などはなかったのでしょうか。
ここから話が長くなります(笑)。僕は小学校の頃から男の子が好きっていう自覚があって。高校生のとき、たまたま本屋で『homosexual explosion』という洋書のペーパーバックを見つけて。英語だったんですが、辞書を引きながらなんとか読んでいって。そこには、同性愛者は古来から世界中どこにでもいて、しかし、病気だと見なされて”治療”を強制されたりしてきた、今は仲間が集まって運動してますよ、といったことが書かれていて。その本が発売されたのは、ストーンウォール・ライオットの前だったんです。まだゲイリブの核ができていない、「ホモファイル」と呼ばれる活動の時代で。最後に、団体の住所などが紹介されていて。小冊子をお送りできます、と。僕は3つの団体に手紙を書いて送ったんです、僕は極東に住むゲイの少年で、とかなんとか。そしたら、その1つから冊子が送られてきました。そこにパンツ一丁のお兄さんの写真が載っていて、もう何度それで抜いたかわからないくらい(笑)。で、書いてある文章も読んでみたら、プライドを持てとか、世間にアピールして、といったことが書いてあって。アメリカに行ったらそういうものを買い漁って。とにかくカミングアウトしなきゃと思うようになっていた。威勢のいい時代だったんです。
――だから、タックさんのお話にもプライドやコミュニティ意識が表れていたんですね。
この回、最初に「今夜はホモホモ」って言ってるんですが、いやでいやでしょうがなかったんです。こう言ってくれと当てがわれた言葉だったんですが、何回かやって変えてもらい、「ゲイのみなさん、元気でやってますか?」に落ち着きました。
――実際にリスナーからはどんな声が届いたんでしょうか。手紙の回を聞いてみましょう。
――いろんなお手紙、ラブレターもありましたね。
とても心に残るお手数があって。そこの壁際に展示してある、ラジオを抱いている男の子の絵があるんですけど。
その手紙をくれた人は富山に住んでいて、「スネークマンショー」って関東圏だけなのに、電波の関係で富山でもなんとか聞こえることがあって、夜中に布団をかぶって聴いてくれてたんだそうです。
僕は、スタジオでマイクに向かってしゃべっていても、果たしてこの声がどれだけに届いてるのかな、という感じだったので、こうして地方のゲイの人からお手紙が届いたことに感激したんです。とてもうれしかったです。
――先ほど聞いていただいたお手紙の最初の男の子から「女なんかにゲイの気持ちはわからない」という話があって。女の子からもたくさんお手紙が届いていたんですね。
当時は、なぜ女の子がゲイに興味を持つのか、よくわからなかった。あの時すでに80%くらいが女の子からの手紙で。「新時代の男の子なのね」みたいな美化されたイメージがあったみたいなんですが、とにかく聴いてくれてて、「タックは興味ないよね、ごめんね」っていうのが多かった。世の中にそんな番組ひとつもなかった時代で。実はラジオ聴いてる人って高校生や大学生かと思ってたら、小学生が聴いてて、お母さんに「ゲイって何?」って聞いたりしてたみたい。よくわからないまま聴いてた人もいたんですね。
――タックさんの、リスナーへの距離感がいいなと思いました。「お近づきの印にこの曲を」なんて。レズビアンの方からも「大変なんだよタック、みんな頑張ろうね」なんて手紙が来てて、タックさんがそれに「proud to be gayだよ」って返したりして。
当時のアメリカでは「gay」はLGBTQを総称するような大きな傘のような言葉で。今で言うクィアみたいな使われ方で。それはそれで悪くなかったかなと思ったりして。リスナーに女の子たちが多いっていうのは、桑原さんが紹介する新しい音楽に断然女の子が反応していたっていうこともあると思います。トム・ロビンソンのライブにも女の子が結構たくさん行ってました。そのライブのパンフレットの最後のページにはGAY団体の連絡先が書いてあってすごいと思った。
――当時の心の支えになるアーティストだったんですね。タックさんは今、御年75歳だそうですが、この40年でどんな変化がありましたか。
後期高齢者になって、いろんなことが変わりました。体がついていかない。勃たないっていうことが大きな出来事。おしまいなのか? いやいや。男の人はバイアグラを飲んだりして頑張るけど、逆に僕の場合、新たな世界が開けた気がして。勃ってる時はそれに振り回されていた。シャケが繁殖のために川を上るような、おちんちんにはそういう威力があると思うけど、勃たなくなった今だったら、そういうことを気にしない女の人ともセックスできるかもしれないとすら思うようになって。
最近、自分はノンバイナリーだと思うようになったんです。昔から女の子っぽいところがあったんですけど、いろんな人が語っているのを読んで、そう思うようになって。以前は「ゲイ」というよく切れるナイフを使って、自分の女性性にふたをしてた部分があったんですが、今は30%くらい女性かな、と思うようになって。変えてくれたきっかけはサム・スミス。サム・スミスの歌ってとても女々しい歌詞だったりして、すごく惹かれてた。そんなサム・スミスがノンバイナリーですとカムアウトして、僕もそうかもしれないと思うようになった。2年前に宇多田ヒカルさんも、自身のジェンダーアイデンティティに合う言葉を見つけた、ノンバイナリーに該当するって最近知ったと語って、その感覚ってわかる、と思った。ノンバイナリーって、(男か女かというバイナリーに)疲れた時にちょっと腰かけて休めるような、都合がいい、具合がいい言葉だと思うんです。いろんなことが楽になりました。75歳になってこんな揺らぎが。面白いです。これから楽しみです。
――逆に僕も自分がゲイだと思ってるけど、何をもって男とするかは曖昧で、不確かだと思っていて。
ただ、今この時点で、ゲイって言ってたことが間違ってるとは言わない。あの時はゲイって言葉のおかげでずいぶん助かった。過去は過去で大事。ゲイって言葉にこだわらなきゃいけない時があっての今だと思います。
――この40年の間、LGBTQシーンがどう変わったと思いますか。
活動してる人たちはまだ法案もできていないと厳しく見るかもしれないけど、でも、僕が初めて二丁目に出て来た頃は、30代40代の人たちはみんな結婚してて、若い子たちに「早く結婚して子ども作れば遊べるよ」と教えてたんです、それがロールモデルだった。外でこう遊べという教育。そこから比べると隔世の感がありますよ。
もう一つ、若い頃、どうして結婚したいの?って聞くと「子どもがほしい」って返ってきて、それ以上突っ込めないものがあって。子どもがほしいって言われると何も言えない。エクスキューズになっていて。だから、自分の生き方としては、子どもがほしいと思ったら負けだと、ほしいと思わないようにしてきたんです。でも、ちょっと前に、うちの店のバイトが、パートナーといっしょに子育てがしたいって話していて、時代が変わったと思ったんです。僕は「子どもを持つ夢を奪われてきた」と気づいた。子育てという夢を見ることができる時代になったんですよね。
――今もう一度ラジオやるとしたら、どんなことを伝えたいですか。
それが、何もないんです。以前はラジオで言いたい放題言えた、牧歌的な時代。今はSNSでどんな反応が…と考えてしまう。バーをやってて、そこで個人的に話すことは、ある種のプライベートな空間で安全が保たれているけど、ラジオでLGBTQに何を言えるか
というと…。僕はSNSの時代だからこそ、個人的に話すことのほうが大事になっていくのではないかと思っています。
――ちなみに、タックさんが『Tac's Knot(タックスノット)』に入っているのは何曜日ですか?
今は金曜日だけです。バーの経営者なのに週に1回しか入っていない(笑)
――今後挑戦したいことはありますか?
寄り道とは言いませんが、すっとゲイリブをやってきたので、これからはもっと自分を応援するような、作品づくりとかをやっていきたいです。今日販売している「タックのクィア・タロット:33本のおちんちんのある大アルカナ」という作品集があるんですが、その作品なんかもお店で展示したいと思っています。
――最後に一曲、タックさんがみなさんにお送りする曲を紹介してください。
トドリック・ホールの「ソーリーバービー」をお届けします。『バービー』っていう映画が公開されましたよね。僕は子どもの頃に初代のバービーを買ってもらってて、大人の顔でとても好きで。バービーってゲイが騒ぐものだと思ってたんですが、映画では全然ゲイが出てこなくて、バービーを歓迎するゲイの人が登場してもよさそうなものなのに…。と思っていたんですが、トドリック・ホールがこの曲で、ごめんねバービーって言ってケンを奪って、バービーには「あなたはそんなにキレイなんだからいくらでも。なんなら女の子とも試してみたら?」って歌ってて、とても面白かった。
――最後にみなさんにひとこと。
僕はおしゃべりなので、まだまだ話しきれてない気がします。よかったらお店に話に来てください。
* * * * * *
1時間半くらいのトークセッションでしたが、なんだかあっという間に感じるような、楽しい時間でした。
間にコロナ禍もあって、タックさんにお会いするのも結構ひさしぶりだったので、ぜひ会いに行こうという気持ちで出かけたのですが、75歳になってノンバイナリーかもしれないというジェンダーの揺らぎと向き合っている姿の柔軟さや若々しさに驚かされましたし、今の若いクィアの方たちがタックさんのお話をじっと聞いている姿にも、なんだか胸を打たれるものがありました。
終了後は、Hugestさんの音楽を楽しみながら、販売されてる本を手に取って見たり、タックさんとお話したり、写真を撮ったり、お友達どうし語り合ったり、思い思いに過ごしていました。
このような素敵な場を設けてくださったNormal Screenとloneliness booksのみなさんに感謝!です。
また来年もあるのかな?と思いますが、都合が合えば、またおじゃましたいです。
(取材・文:後藤純一)
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