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【追悼】「ZIP」「ARTY FARTY」のオーナー、ミッキーさん

2015年01月18日

 昨年12月30日にミッキーさんが亡くなったという知らせを年明けに聞き、驚いた方もいらしたと思います。 
 「ZIP(現the ANNEX)」「ARTY FARTY」のオーナーであり、90年代には日比谷ラジオシティで大規模なゲイナイトを開催したり、二丁目でハイセンスな雑貨屋を営んだり、故・川口昭美さんらとともにゲイシーンの発展に大きく貢献した方でした。享年62歳でした。
 小柄ながら、よく日に焼けたスポーツマン的な雰囲気で、大物なのに笑顔で気さくに接してくださる方として、若い人たちにも慕われていました。
 1月7日には社葬が催され、二丁目のバーの方たちなどが参列し、blogやSNSなどにミッキーさんの業績を称えるコメントが綴られていました。
 
 そんななか、東スポにミッキーさんを追悼する異例とも言える記事が掲載されました。その来歴や人となり、業績についてよくまとめられている記事でしたので、ご紹介したいと思います。

 二丁目のパイオニア的存在だった通称ミッキーさんは、若いころ、体操やバンドなどをしていたそうですが、実家が経営する飲食店の地下で喫茶店をやっていた経験を生かし、1980年代半ば、二丁目に(おそらく初めての)ショットバー「ZIP」をオープンします。それまでのスナック的なゲイバーとは異なるおしゃれな内装で(店内のモニターには、マドンナなどのPVが流れ)、二丁目に出始めた若いゲイたちの遊び場としてたちまち大人気になりました。
 1993年、ゴールデンタイムの連ドラで初めて同性愛を扱い、ゲイの間では伝説となっているドラマ「同窓会」(日本テレビ系)が放映されましたが、第1話で主人公の風馬(西村和彦さん)がバイの少年・嵐(山口達也さん)と出会う二丁目のゲイバー「スプラッシュ」が「ZIP」をモデルにしているのも有名な話です。 
「同窓会」の脚本を担当した井沢満さんは、blog上で、風馬がひそかに思いを寄せるノンケの同級生・中(アタリ)を演じた高嶋政宏さんと西村さんを連れて「ZIP」に行ったと書いています。井沢さんはblogに「『同窓会以前・以降』という言葉があるそうで、ドラマが世の中に出てきてから身を潜めていた人たちが二丁目を目指して集まるようになり、オープンになった、と聞きました」とも書いており、いわば「ZIP」がゲイたちを二丁目に“飛び込ませる”きっかけになったのだといいます。
 アメリカへ渡り、本場のゲイシーンに触れたりもしていたミッキーさんは、1993〜97年1月までの3年半、有楽町にあった伝説の大バコ・日比谷ラジオシティで大がかりなゲイナイトを毎月開催していました(終盤、フロアの真ん中がせり上がって巨大なステージとなる大バコならではの演出で盛り上がっていました)。ハントショット・ゲーム(番号をつけ、アタックカードを使ったお客さんたちのねるとんシステム)や歌モノHOUSEがメインなDJのプレイで盛り上がり、ドラァグクイーンやGOGO BOYがフロアを彩り…というスタイルは、その後のゲイナイトの主流となりました。
 また、1993年、二丁目に(BYGSビル裏の駐車場となっている場所に)「ZIP」より広くて踊れるカフェバー「ARTY FARTY」もオープンし、やはり若いゲイたちの遊び場として人気を博しました。その後「ZIP」は「THE ANNEX」としてリニューアルし、「ARTY FARTY」も現在の場所に移転し、GAY MEN ONLYという敷居を取り払ってストレートや外国人の方も楽しめるオシャレなクラブとしてにぎわいを見せています。

 ミッキーさんは二丁目の瀟洒なマンションで一人暮らしをしていたそうで、最近はあまり姿を見せることもなかったようですが、関係者の話によると「ヒザが悪かったり体にガタはきていたが、死因はヒートショック(血圧の急激な上昇や下降)による突然死と聞いてる。暖房の効いた部屋から寒い浴室に移動して倒れたみたい」とのことでした。
 東スポの記事は、「年を取ったゲイの独り身って、そういうことがあるから心配。同居ならすぐ救急車呼べたかもしれないのに。同性婚やパートナーシップ制度といった法整備が進めば、ゲイの老後も少しは良くなるんだけど」という社葬参列者のコメントで締めくくられていました。

 
急逝した“新宿2丁目のパイオニア”が残したもの(東スポWeb)
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/356255/

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