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【追悼】ロックンロールの創始者の一人であり、ゲイだったリトル・リチャード

「トゥッティ・フルッティ」「ロング・トール・サリー」などのヒット曲で知られるロックンロールの創始者の一人であり、人種差別やゲイに対する差別が激しい時代にカミングアウトしていたリトル・リチャードが5月9日、ガンで亡くなりました。享年87歳でした。

 13歳の時、ゲイであることを許せなかった父親に勘当され、白人家庭に引き取られ、育ての親がクラブを経営していたことから、リトル・リチャードの音楽的才能が世間に知られるようになったといいます。Specialty Recordsに移籍したのち、曲はそれほど売れませんでしたが、思うように進まないレコーディングの休憩中、ドラムを真似て「ア・ワッバム・ルマップ・ロン・バンブーン!」と気晴らしで歌ったところ、プロデューサーに気に入られ、このフレーズで始まる「トゥッティ・フルッティ」が1955年に大ヒットしました。この曲はロックンロールの原型のひとつとされ、後にエルビス・プレスリーやビートルズ、クイーン、エルトン・ジョンら無数のアーティストにカバーされました。その後も「ロング・トール・サリー」「リップ・イット・アップ」「ルシール」「グッド・ゴリー・ミス・モリー」などのヒット曲を連発し、全世界で計3000万枚以上のレコードを売り上げました。こうした楽曲は、彼のシンプルなポンピング・ピアノと、ゴスペルの影響を受けたヴォーカル、色気に満ちた(しばしば意味不明な)歌詞によって駆動していました。
 ロックンロールの創始者であるリトル・リチャードは、熱烈な叫び声、激しく叩きつけるようなピアノ演奏、派手な衣装、ゲイらしい陽気な性格で、新しい芸術のスピリットとサウンドを体現し、時代の寵児となりました。
 1986年には「ロックンロール名誉の殿堂」入りを果たしました。

 ミネソタ州の若いミュージシャンとしてリトル・リチャードのバンドに参加することを夢見ていたボブ・ディランは、訃報に接し、「リトル・リチャードのニュースを聞いて、とても悲しんでいる。 彼は私がまだ子供だった頃から輝く星であり、自分を導いてくれる光だった。彼は私が何をするにしても、私を突き動かしてくれた根幹となるスピリットだった」との追悼文を捧げました。

 ローリング・ストーンズのミック・ジャガーは、「リトル・リチャードの訃報を聞いて、とても残念に思っている。彼は10代前半だった頃の俺にとって最大のインスピレーション源だったし、彼の作り上げた音楽は1950年代半ばに初めて音楽シーンを駆け抜けた時と同じように、今でも生々しくてエレクトリックなエネルギーを備えている」と追悼、同じくキース・リチャーズも「昔からの友人であるリトル・リチャードが亡くなったと聞いてとても悲しい。彼はロックンロールの真の精神を体現していた」との追悼コメントを発表しています。

 エルトン・ジョンは、「音楽、ヴォーカル、ヴィジュアルの面で、間違いなく彼は僕に最大の影響を与えた。10代のとき彼のライブを観たのは、当時、僕の人生で最もエキサイティングな出来事だった」「彼の曲はいまでも新鮮で、『トゥッティ・フルッティ』のオープニングのサウンドは音楽の歴史における最大の革命だ」「多くの人に影響を与えたかけがえのない人。真のレジェンド、アイコン、自然の力。RIP」と追悼の言葉を寄せました。

 他にもリンゴ・スターやナイル・ロジャース、ブライアン・ウイルソンなど多くの大物ミュージシャンが追悼コメントを発表しています。



【追記】
 『Rolling Stone』誌のロブ・シェフィールド氏が書いた『リトル・リチャードはなぜ偉大なのか? レノン、ディラン、ボウイも愛した反逆児の功績』という記事が、リトル・リチャードの人物像や偉大さを実に生き生きと、鮮やかに描き出しているので、抜粋してご紹介したいと思います。
 
「反逆、憤怒、スキャンダル、性欲旺盛で自己中心的、乱痴気騒ぎ、乱闘騒ぎ、巨大な髪にマスカラ――これら全て、リトル・リチャードがロックンロールにもたらしたものだ。彼は50年代ロックのパイオニアたちの中でも特に騒々しく、ワイルドで、無作法だった。一番の問題児で、誰の手にも負えない自由人だった。彼はロックスターの生みの親。だからこそ、リトル・リチャードが87歳でこの世を去り、世界中が悲しみに暮れているのだ。「女はそれを我慢できない」「トゥッティ・フルッティ」「スリッピン・アンド・スライディン」「グッド・ゴーリー・ミス・モーリー」「ヒービー・ジービーズ」――これらの曲は、これまで反逆児たちのハートを魅了してやまなかった。1970年、ローリングストーン誌のジャン・S・ウェンナー記者に音楽の嗜好を訊かれたジョン・レノンは、ただ一言「A-wop bop-a-loo-bop, a-lop bam boom」と答えた」
「1955年、例の雄たけび――「トゥッティ・フルッティ」のオープニングのシャウト――がリトル・リチャードのキャリアの始まりを告げた。それはジョージア州マコンの貧しいゲイの黒人少年が、ファルセットの叫び声を炸裂させ、ピアノをかき鳴らし、高さ6インチものリーゼント頭で、俺様の時代が来たと世界に宣言する声だった」
「世界中の誰もがリトル・リチャードの叫び声を聞き、これだ、と言った。物憂げなロンドンの街では、デヴィッド・ジョーンズという名の少年が「神のお告げだ」と悟った。それがきっかけで、彼はデヴィッド・ボウイとなった(彼が子供時代に持っていたリトル・リチャードの写真は、巡回回顧展『デヴィッド・ボウイ・イズ』でも展示された)。「リトル・リチャードはとにかく現実離れしていた」と『Rolling Stone』誌にも語っている。「この世のものとは思えない。そうだろ、あんなの誰も今まで観たことない」」
「リバプールでは、若きビートルズがあの声を研究しながら青春時代を送っていた。「荒々しい、しゃがれた声で叫ぶんだ」と、ポール・マッカートニーも伝記『メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』の中で当時を振り返る。「幽体離脱体験みたいなものだよ。今この瞬間の感覚をすべて脱ぎ捨てて、頭上1フィート辺りまで飛び出して歌わないと、ああは歌えない。自分の殻の外に飛び出さないと」ボブ・ディランは高校の卒業文集に、将来の夢は「リトル・リチャードとの共演」と書いた」
「ビートルズの「アイム・ダウン」に始まって、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「トラヴェリン・バンド」、プリンスの「ベイビー・アイム・ア・スター」まで、数えきれないほど多くのアーティストが自分流の「A-wop bop-a-loo-bop, a-lop bam boom」を生み出そうとしてきた。1966年、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークで行われたビートルズ最後のコンサートのトリを飾ったのは「のっぽのサリー」。遡ること10年前、ジョンの気を惹こうとしたポールが最初に演奏した曲だ」
「多くの偉大なるロックのパイオニア同様、彼もまたジェンダーの壁を壊す反逆児だった。もっとも、彼は誰よりも突出していたが。彼が歌のお手本にしていたのは主に女性たちだった。「ウー・オォオォー、という俺のシャウトはマリオン・ウィリアムズという女性を真似たんだ」と、1990年のローリングストーン誌とのインタビューで語っている。「それからルシール・アァーってやつ――あれはルース・ブラウンからいただいた。『ママァー、彼ったらあなたの娘にひどい仕打ちをするのよ』って彼女の歌い方が好きでね。全部取り入れた」 彼が小銭稼ぎで最初に聴衆の前で歌った曲は、シスター・ロゼッタ・サープの曲「Strange Things Happening Every Day」だった。彼は自らStrange Things、つまり摩訶不思議な存在になることに生涯を捧げた」
「リトル・リチャードは一夜にしてスターになった。『女はそれを我慢できない』にカメオ出演した同じ年、彼は映画『Don’t Knock the Rock』にも出演し、存在感をアピールした(裏街道のドラァグクイーンに捧げた頌歌「のっぽのサリー」を熱唱)。一躍スターになっても、彼の破天荒な性格は変わらなかった。80年代にはかの有名な台詞を残している。「俺がデカマラより好きなものがあるとすれば、さらに特大級のデカマラだ」」
「1988年のグラミー賞で、授賞式側は愚かにも最優秀新人賞のプレゼンターを彼に依頼した。TVの生放送でリトル・リチャードにマイクを渡すことは、アナーキーに印籠を渡すに等しいこととは知らずに。彼は期待通り長々と説教を垂れ、賞の授与を拒んだ。「最優秀新人賞は……俺! 俺は今までひとつも賞ももらってない! お前たちは俺にグラミーをよこさなかったじゃないか、何年もずっと歌ってるってのに! 俺がロックンロールを作ったんだぞ!」観客も初めのうちは喜んだ――「ああ、やっぱり彼だ!」――だが、次第にこの男が本気であることに気が付いた。彼は封筒の中身を読む気も、誰かにスポットライトを譲る気もさらさらなかった。共にプレゼンターを務めたデヴィッド・ヨハンセンは困り果てたように立ち尽くしていた」

 最後に、1988年のグラミー賞でのリトル・リチャードのおしゃべりに字幕をつけた動画をご紹介します(オネエ言葉になっていますが、リトル・リチャードがそういう口調でしゃべっているのですから、適訳だと思います)




参考記事:
リトル・リチャードさん死去、ロックンロールの草分け(TBS)
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3976025.html
リトル・リチャードさん死去 ロックンロール草分け、87歳(共同通信)
https://this.kiji.is/-/units/39166665832988672
リトル・リチャードさん死去=ロック創始者、「のっぽのサリー」(時事通信)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020051000011
リトル・リチャードさんが死去 ロックンロールの草分け(日経新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58919910Q0A510C2CZ8000/
ロックンロールの創始者、リトル・リチャードさん87歳で死去…ビートルズにも影響(読売新聞)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20200510-OYT1T50001/
ロックンロールの先駆者、リトル・リチャードさん死去 ビートルズにも影響(BBC)
https://www.bbc.com/japanese/52603528ロックンロールの創始者、リトル・リチャードが87歳で死去(Rolling Stone Japan)
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33825
リトル・リチャードが生前に語った、ロックンロールの夜明けと過小評価されてきた生涯(Rolling Stone Japan)
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33826ロックンロールのパイオニア、リトル・リチャードが死去(BARKS)
https://www.barks.jp/news/?id=1000182365
ボブ・ディランがリトル・リチャードを追悼「輝く星であり、導いてくれる光だった」(Rolling Stone Japan)
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33829
ミック・ジャガーがリトル・リチャードを追悼「最大のインスピレーション源だった」(Rolling Stone Japan)
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33827

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