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【追悼】70年代からカミングアウトして活躍したプロレス界のレジェンド、パット・パターソン

2020年12月10日

 WWE初代インターコンチネンタル王者で、WWE殿堂入りも果たしている往年の名レスラー、パット・パターソンが12月2日、79歳で亡くなりました。パット・パターソンは最も早くからゲイであることをカミングアウトしていたプロレスラーでもありました。

 パット・パターソンは1941年、カナダのモントリオールに出まれたフランス系カナダ人で、アメリカで活躍したプロレスラーです。1958年にプロレスデビューし、NWA、AWAで主要タイトルを獲得、1979年、WWF(現WWE)に参戦し、初代インターコンチネンタル(IC)王者となりました。IC王者となるや、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンで3ヵ月連続、WWF王座に挑戦したという経歴も。1968年に初来日し、ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんらとも対戦しました。以降もたびたび来日し、日本のプロレスファンの間でも愛される存在となりました。
 1984年に現役を引退。1996年にWWE殿堂入りしました。引退後はWWEのクリエイティブ・コンサルタントを務め、毎年1月のPPV大会で開催される「ロイヤルランブル戦」も考案しています。
 
 そんなパット・パターソンは1970年代初めにゲイであることをカムアウトし、そのままプロレスラーとしてキャリアを重ねました。メディア上で初めて語ったのは2014年(73歳の時)、WWEのリアリティ番組「Legends’ House」に出演した時でした。
「私は生まれた時から、何もなく、家族もなく、金もなく、WWEのヴィンス・マクマホンとの仕事こそが、私にとって人生で最大の達成となった」
「しかしそれにはもっと意味がある。今日ここで、私はこれまで決して言おうとしなかったことを語る」
「人生がもう一度やり直せるなら、私は自分自身でありたい。ゲイであることを切り抜けて生き延びた」
「私は50年以上もこのことと格闘してきた。40年連れ添ったパートナーもいたが、心臓発作で亡くなった(パートナーのルイ・ドンデロは1998年に逝去)。そして私は一人ぼっちになった。しかし生き延びた。私はタフガイだが、これは相当タフだった」
「私はビジネスに身を投じた、後悔はしていない。残りの人生をハッピーに送りたい」
 思わず胸がいっぱいになるような、切ないお話です…パットはその後、ハッピーに生きられたのでしょうか…。
 
 パット・パターソンの訃報に接し、WWEは声明で「彼はプロレス界の真の先駆者だった」と追悼しました。
 ヴィンス・マクマホンの娘でありWWEの経営に参画しているステファニー・マクマホンは、「私は、WWEの殿堂者であり初のインターコンチネンタル王者であり、ロイヤルランブルの生みの親であり、彼の世代では初のオープンリー・ゲイのレスラーであるパット・パターソンとともに成長しました。そのことに深く感謝しています」「物事をあまり深刻に受け止め過ぎないようにするやり方を教えてくれてありがとう」


 パット・パターソンというパイオニアが道を切り開いた後、ダレン・ヤングクリス・カニヨン、今年同性結婚式を挙げたマイク・パローマット・ケイジなどの選手がカミングアウトを果たしています。昨年秋には、WWEが初めてオープンリー・ゲイのレスラー、ジェイク・アトラスとの契約を発表したことがニュースになりました。
 
 


参考記事:
‘First Gay Wrestling Star’ Pat Patterson Dies at 79(Advocate)
https://www.advocate.com/sports/2020/12/03/first-gay-wrestling-star-pat-patterson-dies-79
WWE legend Pat Patterson, who became wrestling’s ‘first gay superstar’ after 50 years hiding his truth, has died(Pink News)
https://www.pinknews.co.uk/2020/12/02/wrestlings-first-gay-superstar-wwe-legend-pat-patterson-died/

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