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【訃報】“モード界の革命児”ピエール・カルダン

2020年12月30日

 “モード界の革命児”として、ファッション界に偉大な功績を残したデザイナー、ピエール・カルダンが12月29日、パリ郊外の病院で亡くなりました。98歳でした。 
 
 
 ピエール・カルダンは1922年、北イタリアのトレヴィーゾに生まれ、2歳の時にファシスト政権下のイタリアから逃れるためにフランスへ移住。幼い頃からファッションに強い関心を抱き、14歳でヴィシーの仕立て屋の見習いになり、その後パリへ移り住み、クチュリエのジャンヌ・パキャンやエルザ・スキャパレリ、アーティストのクリスチャン・ベラールらとともに、ジャン・コクトーが初めて実写化した映画『美女と野獣』(1946年)の衣装や仮面を手がけました。
 1947年にクリスチャン・ディオールのアトリエに入り、腕を磨いた後、自身のブランドを設立。1953年からオートクチュールに参入し、1954年に手がけた「バブルドレス」で世界的な評価を受けました。1959年にはオートクチュール協会のメンバーとして初めてプレタポルテ・コレクションを発表し、“モードの民主化”の先駆け的存在となります。未来的なデザインが特徴の「コスモコール・ルック」を手がけたほか、デザイナーとして初めてライセンスビジネスを行ない、様々なジャンルのライフスタイル商品をデザインしました。世界で初めて万里の長城でファッションショーを開催したことでも知られています。1983年、フランス政府から国家栄誉賞を受賞されました。

 10月に公開されたドキュメンタリー映画『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』では、カルダンが「私の目標は一般の女性の服を作ることだ」と宣言して多様な人種の女性モデルを発掘・起用したり、スーツ一辺倒だったメンズファッションに新たな装いを持ち込み、初のメンズコレクションを始めたり、日本、ソ連、中国といったモード後進国にも進出するなど、多様性を重んじ、実に革新的であったことがわかります。一方、芸術文化の保護と発展のため、劇場を買収して無名の演出家や役者、作品にチャンスを与えたりもしています。ジェラール・ドパルデューもカルダンに見出された一人でした。
 
 また、この映画でもゲイであると自身で語り、パートナーとの思い出に言葉を詰まらせるシーンもあったように、(数年間、ジャンヌ・モローと同棲していた時期があり、映画の宣伝ではまるでストレートであるかのように見せているフシがあったものの)カルダンはゲイであることをオープンにしていました。
(来日した際、吉野のママのお店を訪れたこともあるそうです)
 こちらの記事によると、カルダンは1945年、ナチスに逮捕されており、(ナチスは同性愛者も虐殺していたので)自分は死ぬと思ったそうです。その難を逃れたとき、カルダンは「自分が地上にいて生きているのは理由がある」と考え、前を向いて進まなければいけないと思ったそうです。
 そうした経験が、裕福ではない人たちや男性たち、人種的マイノリティの人たちなどにもファッションに触れる機会を提供しようとする“モードの民主化”へと向かわせたのでしょう。 
 
 
参考記事:
【訃報】“モード界の革命児”ピエール・カルダンが死去。享年98歳。(VOGUE JAPAN)
https://www.vogue.co.jp/fashion/article/pierre-cardin-obit-cnihub
98歳で現役!一大ブランドの創立者、ピエール・カルダンの知っているようで知らない実像とは?(Yahoo!)
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizukamikenji/20201014-00202527/
ライセンスビジネスを世界で初めて展開した「ピエール・カルダン」(M&A Online)
https://maonline.jp/articles/movie88

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