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【追悼】レズビアンのパフォーマー、イトー・ターリさん

2021年09月22日

 オープンリー・レズビアンのパフォーマーであり、「パフスペース」の設立者としても知られるイトー・ターリさんが亡くなりました。
 
 イトー・ターリさんは1951年、東京生まれ。1970年頃の学生運動に参加し、1973年から身体表現に関心を持ち、パントマイムを学ぶために単身、オランダに渡り、活動します。1996年に作品『自画像』でレズビアンであることをカミングアウトしました。パフォーマンスと並行してジェンダーやセクシュアリティについてのプロジェクトに積極的に参加し、女性と女性の活動をつなぐポータルサイト「ウィメンズアートネットワーク」を立ち上げたほか、2003年にはセクシュアルマイノリティをはじめ多様な人々を支援する「パフスペース」を設立しました(パフスペースを拠点として性的マイノリティのQOLを高めるための学びの場「パフスクール」が活動し、日本のレズビアンの歴史に焦点を当てたトークイベント「日本Lばなし」などが開催されてきました)。多くの当事者に感動を与えてきた2007年の書籍『カミングアウト・レターズ』では、お母様との手紙のやりとりを公開しています。2008年にはNHK『ハートをつなごう』に出演したりもして、同性愛者の可視化に貢献してきました。著書に『ムーヴ あるパフォーマンスアーティストの場合』(インパクト出版会)があります。
 
 LGBTERのインタビュー「私は誰?————それが原点」によると、「ターリ」という名前はジャン・コクトーの詩に登場する喜劇と牧歌を司る美の女神に由来するそうです。
 学生時代にレズビアンであることを自覚しましたが、佐良直美さんの痛ましい事件があって、誰にも言えませんでした。
 1982年、パントマイムを学ぶために単身、オランダに渡り、ゲイやレズビアンが自由に生きている様に触れて自己肯定できるようになり、初めての恋もして、パフォーマーとしても成長できたそうです。
 帰国後、パフォーマーとして認められ、様々なフェスに参加し、海外公演も行なうように。1990年、トロントで出会った方と恋に落ち、超遠距離恋愛に。カナダと東京を往復している時期に、家族へもカミングアウトすることができました(お母様は全力で応援してくれたそうです)。しかし、カナダの彼女とは破局してしまいます。
「恋愛はダメになってしまったけれど、これまでの経験で、自分がレズビアンだということがはっきりしたし、この頃から、私の中ではすごく自分が解放されたというか、ようやく自分を肯定することがでるようになってきたんです。それが、とても嬉しかった」
 そうした自分の心の動きと向き合うなかで『自画像』という作品が生まれ、1996年、レズビアンであることを公にカムアウトしました。観客の中には、終演後楽屋を訪ねてきて、「私も実はレズビアンです」と言いに来る人もいたそうです。
 2003年、精力的にパフォーマンスやワークショップを続けるなか、「パフスペース」という多様な人々が交流できる場を早稲田に開設しました。
 2007年の(日本で初めて同性愛者であることをカムアウトした議員である)尾辻かな子さんの参院選もお手伝いしていました。
 2014年に入院し、脊髄性筋萎縮症という難病を患っていることがわかりました。車いすを利用する生活になっていったそうです。
 
 今年4月には1年半ぶりにパフォーマンスを行なっていました(LOVE PIECE CLUBの北原みのりさんがレポートしています)

 ご冥福をお祈りします。

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