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マドンナが弟のクリストファーを追悼、「彼のような人は決して現れないだろう。彼は今もどこかで踊っている」

2024年10月07日

 10月4日(現地時間)、マドンナの弟クリストファー・チッコーネが膵臓がんのため63歳で亡くなりました。夫のレイ・タッカーや愛する人たちに見守られ、安らかに息を引き取ったそうです。

 
 クリストファーはマドンナがスターになると決めてニューヨークに進出した後、彼女を追うようにニューヨークに向かい、ダンサーや振付師としてキャリアをスタートし、マドンナの初期のステージでバックダンサーを務め、パーソナルアシスタントと衣装係も兼任し、マドンナの初期の曲「Everybody」や「Lucky Star」のMVにも出演しました。1990年の「ブロンド・アンビション・ツアー」のアート・ディレクターや1993年の「ガーリー・ショー」のツアー・ディレクターも務めました。ドリー・パートンやトニー・ベネットのMVのディレクションも手がけています。また、マドンナから当時の自宅のインテリアを任されたことで、インテリアコーディネーターとしての才能も開花させました。
 クリストファーは、初代チャーリーズ・エンジェルとして有名な女優のファラ・フォーセットと仲がよく、2002年の『ヴァニティ・フェア』誌主催のオスカー・パーティに一緒に出席したりしたそうです。
 2016年に英国人の俳優、レイ・タッカーと同性婚していました。
 
 マドンナは7日、最愛の弟とのたくさんのツーショットと長文の追悼メッセージをインスタグラムに投稿し、「クリストファーが逝ってしまった。彼は長い間、私に一番近しい存在だった。私たちの絆を説明するのは難しい。私たちは他人とは違い、社会に従わない私たちは試練を与えられている、という理解から生まれたものだった。お互いの手を取り、子ども時代は狂気の中を踊った。ダンスが私たちを力強く結びつけてくれた。バレエの先生は、名前が同じクリストファーで、彼がゲイであるための安全な場所を作ってくれた」とコメントしました。
 また、二人がニューヨークに移り住んだ頃を振り返って「私たちは飢えた動物のように、芸術と音楽と映画をむさぼり尽くした。(中略)私たちはまた、エイズの流行の狂気を乗り越えて踊った。葬式に行き、泣いては踊り明かしていた」と綴りました。
 しかし、マドンナは2003年にクリストファーをステージ監督の職から解雇…理由は明かされていませんが、クリストファーはアルコール依存や薬物依存を患い、マドンナが彼のリハビリ代を支払ったこともあるそうです。一方、クリストファーは、マドンナの当時の夫ガイ・リッチーを嫌っていたほか、マドンナが1991年の『Advocate』誌のインタビューで勝手にゲイだと言った(アウティングされた)ことを怒っていたそうです。クリストファーは2008年に出版した著書『Life With My Sister Madonna』の中で、マドンナとガイからひどい仕打ちを受けたことなどを告白しており、それが原因で姉弟は完全に仲違いしたと言われています。
 しばらく疎遠になっていたことも認めつつ、マドンナは「画家、詩人であり非の打ちどころのないセンスを持つ先見の明」があったと称賛し、「私たちは、ローマカトリック教会や警察、保守的な大衆など、芸術の自由を邪魔するすべての権力に対抗したけれど、弟はいつもそばにいてくれた」と述懐し、そして「彼が病気になったとき、私たちは互いの存在の大切さを再認識した」と語りました。「私はできる限り弟を生き永らえさせようと最善を尽くしました。彼は最期、とても苦しんでいましたが、再び私たちは手を取り合いました。目を閉じて、一緒に踊りました。弟がもう苦しまなくていいということが嬉しい。彼のような人はもう現れないでしょう。弟はどこかで踊っていると思います」

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参考記事:
最愛の弟が膵臓がんのため死去したことを明かしたマドンナ、「お互いの手を取り狂気の中を踊った」幼少期や仲違いしていた過去を回想【SPURセレブ通信】(SPUR.JP)
https://spur.hpplus.jp/celebrity/celebritynews/2024-10-07-u_9DlA/

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