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【追悼】人間的にも不思議な魅力を放っていた映像作家、大木裕之さん

2025年10月20日

 10月17日、ANOMALYという品川のアートギャラリーが大木裕之さんの訃報を伝えるとともに、朝日新聞にも訃報が掲載されました。9月から体調を崩して療養していたなか、10月14日に急逝されたとのことでした。
  18日には高知県立美術館が、このような追悼コメントを出しました。
「当館所蔵作家・大木裕之さんの訃報について
 高知県高岡郡中土佐町に住民票を持ち、全国で活動する当館所蔵作家、大木裕之さんはかねてより療養中でしたが、2025年10月14日に逝去されました。
 当館製作の映画作品「HEAVEN-6-BOX」(1994-95年)の監督を務めていただいたほか、現在まで独自に活動を継続されてきたプロジェクト「M・I」の発端となった映像ワークショップ(2000、02年)、当館開館30周年を記念した上映会「大木裕之 監督作品上映」(2023年)を開催させていただくなど、長きにわたってお付き合いをさせていただきました。また、当館で個展を開催する構想を進めている最中でした。
 謹んで哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りいたします」


 大木裕之さんは1964年、(てっきり高知だと思っていたのですが)東京都生まれで、東京大学工学部建築学科に在学していたときから映画を制作しはじめ、1990年に『遊泳禁止』でイメージフォーラム・フェスティバル1990審査員特別賞を受賞、1995年に『HEAVEN-6-BOX』でベルリン国際映画祭NETPAC賞を受賞しました。既存の映画の枠にはまらない大胆な作風で話題を呼び、国内外で高い評価を受けながらも、自身のセクシュアリティをオープンにし、ゲイポルノ映画も製作していました。1994年、ENKプロモーションのゲイポルノ映画として『あなたがすきです、だいすきです』という初の商業映画を製作、(2022年の国立映画アーカイブの特集上映「1990年代日本映画──躍動する個の時代」の紹介文によると)「若者のヴィヴィッドな心の揺れが舞台となった高知のロケーション撮影や手持ちキャメラによってみずみずしく切り取られている」作品でした。1995年には4人家族のそれぞれの悩みを性愛と絡めて描く(同性愛も描いています)『エクスタシーの涙 恥淫』というピンク映画を製作、1分のワンシーンワンカットが61集まって構成されるコンセプチュアルな異色作でした(なんと、音楽はジョン・ゾーンでした)。1996年にやはりENKの制作で撮られた『たまあそび』は野球少年たちの淡い性愛を印象的に映し出した作品で、1997年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でも上映されました。1999年製作の『心の中』は浜辺で死へと向かって横たわるゲイのカップルの心象風景を幾重にも重ねられた映像で描く作品で、これも東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映されました。2000年代以降は映像だけでなくドローイングやペインティング、ライブ上映、インスタレーション、身体パフォーマンスなど、多岐にわたる表現活動を展開し、現代美術家として認知されるようになりました。ANOMALYによるプロフィールでは「カメラを手に、世界各地に自らの身体を動かし続けながら、移動と生活と哲学の相関関係を探り、動的ネットワークで複雑に構成される世界を描き出す。膨大なイメージが次々に重ねられていく独特で詩的な映像表現は国内外から高い評価を受け、数多くの国際展、映画祭にも数多く参加している」と称されています。

 90年代、“ゲイブーム”があったとはいえ、まだまだカミングアウトが困難だった時代に初めからゲイであることをオープンにして映画製作を行なっていた大木さん。高い評価を受けながらも権威主義的に振る舞わず、上野の傑作劇場などのいわゆる薔薇族映画館で上映されるゲイポルノ映画を撮っていて(逆に「薔薇族映画」を観に来た方たちには新鮮な衝撃を与えたと思われます。私もそうでした)、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にも参加し、『バディ』誌のインタビューにも登場するなど、ゲイシーン、ゲイコミュニティとも良好な関係を結んでいた方でした。
 たしか、ご自身も野球をやってたと記憶しているのですが、背が高く、ガッチリしていた方でした。いつもジャージとか短パン姿で、よく日焼けした肌、少年のような瞳、くしゃっとした笑顔…まるでゲイビデオに出ている体育会系のノンケさんのような魅力を放つ方でした(2020年には『BRUTUS』の表紙を飾っています)。高知に住所を置いて撮影をしていると聞いていましたが、2000年代前半は二丁目や阿佐ヶ谷によく出没し、路上に座り込んで行き交う友人と話したりする姿をよく見ました。
 最後にお会いしたのは、2022年の国立映画アーカイブの上映のときでした。以前と全く変わらない笑顔で「よお!」なんて言ってニコニコしていて。

 気づいたら近くにいるし、気づいたらいなくなってるような人でした。
 
 世の中に「変人」ってたくさんいますが、大木さんの場合は、例えば「月のうさぎ」の逸話みたいな(ボロボロの服を着た老人だと思ってたら実は神様だった)、不思議な「変」さがあって。「無頼派」というか、孤高のアーティストだったのだと思いますし(パートナーさんはいらっしゃいますけど)、「不世出」という言葉がこれほどピッタリくる人もそういないだろうと思います。大木さんのような人にはもう二度と会わないだろうな、と確信します。近年はそんなにゲイコミュニティにはかかわってはいなかったし、その現代アート作品もわかりやすいものではなかったけれども、大木さんを知っている、会ったことがある方は、きっと、彼がこの世からいなくなったことをとても寂しく感じるでしょうし(私も今、そういう感情です)、不思議な魅力がある人だったな、と思い出すことでしょう。
  
 2023年に今泉浩一さんが一緒に上映会を行なっていましたが(行かなかったことが悔やまれます)、また過去の作品を上映する追悼上映などもどこかで行なわれるのではないかと思いますので、その際はまたお知らせいたします。その才能を偲びましょう。
 
(後藤純一)


【追記】2025.10.23
 11月14日(金)〜16日(日)にザムザ阿佐谷で開催される「今泉浩一というポルノ製造機」還暦祝+ピンク映画デビュー35周年記念 全監督作 + 出演作 + α 上映会で、急遽、大木裕之さんの『たまあそび』の追悼上映も行なわれることになりました(上映をご快諾いただきましたENKプロモーション様に感謝申し上げます、とのことです)。詳細はこちらをご覧ください。

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