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【追悼】 50年代からカムアウトし、世界的な画家となり、名声を博し続けたデイヴィッド・ホックニー

2026年06月12日

 英国で最も重要で人気ある画家の一人であり、現存する最も偉大なゲイアーティストの一人であったデイヴィッド・ホックニーが11日、自宅で亡くなりました。88歳でした。
 同性間の性交渉が違法とされていた時代からゲイであることをカムアウトしつつ、世界的な(現代美術の最高峰とまで言われるような)画家となり、賞賛を集め、晩年まで絵を描き続け、人気を博し、愛されてきた方でした。
 
 
 BBCによると、チャールズ国王は個人的な声明で、「芸術と絵画の世界における巨人であり、生粋のヨークシャー人であり、そして非常に多くの人々にとって親しい友人でありインスピレーションであった人物」の死去を知り、自身とカミラ王妃は「深い悲しみに包まれている」と述べました。
 チャールズ国王は声明の中で、2022年のメリット勲章の授与式の昼食会に、ホックニーが型破りな履物を着用して出席したことなどを振り返り、「デイヴィッドは、人生における真に独創的な人物の一人であり、宮殿での行事を明るくしたあの愛用の黄色いクロックスのように、その天才性を軽やかに身にまとっていた人物だった」と語りました。
「彼がそのまま次の世界へと安らかに歩みを進めることを願っている。我々がその抑えがたい魅力、才能、絶え間ない革新によって強く惜しまれる人物を悼む一方で、そのまばゆい創造性は世界中の美術館や博物館で生き続けている」

 英国のキア・スターマー首相は、「英国で最も称賛される芸術家の一人」の死去を受け、「悲しんでいる」と述べました。
 首相官邸の報道官は、ホックニーの「鮮やかで一目でそれとわかる作品は、世代を超えて芸術家たちに影響を与えた。首相は、彼の友人と家族に思いを寄せている」と付け加えました。
 
 テート・ブリテン美術館のアレックス・ファーカーソン館長は、ホックニーを「極めて重要な人物」であり、「独自の世界観を持った、果てしなく創造的な芸術家」と評しました。館長はホックニー氏を「作品においても人生においても、常に完全に、そして勇敢に自分自身であり続けた人物」として記憶すると語りました。「彼は、私たちに見る喜びを教え、大勢が見逃していたものを見ることを教えてくれた。その機知に富んだ鋭い観察は、作品の中でも個人としても、常に存在していた」「美術界にとっての損失は計り知れない。デイヴィッドの死は、絶え間ない再創造によって特徴づけられた、並外れた作品群の一つの区切りを意味する」「その驚異的な才能、芸術と人生への愛、そして深遠で型破りな洞察」を称賛し、「彼の作品は美術界をはるかに超え、私たちの文化に影響を与え続けている」 
 テート・ブリテンでは来年、大規模な回顧展などを予定しているそうで、今後もホックニーのチームと協力を続けるそうです。

 また、先に退任を発表したアップルのティム・クックCEOはXに、ホックニーは「創造性に限界がないことを示し、iPadを現代で最も鮮やかな芸術のためのキャンバスへと変えた」と投稿しました。「彼のレガシーは、私たち全員が世界を少し美しく見るように促し続けるだろう」

 
 デヴィッド・ホックニー(1937年〜)は、ヨークシャーのブラッドフォードという街の労働者階級の家に生まれ、子どもの頃は新聞や雑誌などの余白部分に絵を描いていたそうです。当時、英国ではソドミー法(同性間の性行為を違法とする法)がまだ残っていて、アラン・チューリングなどは逮捕され、女性ホルモン投与による化学的去勢を受け、自ら命を絶ちました…そんな時代であったにもかかわらず、少年デヴィッドは10代の頃からゲイであることをカムアウトしていました。ご両親はそんなデヴィッドを受け容れ、「他人の言ってることは気にするな」と励ますほどリベラルでヒューマニストだったそうです(素晴らしいですね)
 地元の美術大学の後、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに進み、23歳(1960年)のときにカムアウトし、「若手現代芸術家展(Young Comtemporaries)」に出展、その後ポップ・アート運動に参加しましたが、初期の作品は表現主義的で、1961年、《私たち2人の少年はいちゃつく》というホイットマンの同性愛の詩を引用した作品などを発表しています。
 1963年にNYに渡り、アンディ・ウォーホルにも会いました。この年、シャワーを浴びている男性の背中をもう一人の裸の男性が流している様を描いた《ドメスティック・シーン》という絵を描いています。翌年、ホックニーはLAに移住し、有名なスイミング・プールの作品群を作りました(2018年、そのプールの作品の一つ《芸術家の肖像 ―プールと2人の人物―》が7000万ポンド(約150億円)で落札され、存命の芸術家として最高額を更新しました)。1966年、ホックニーがUCLAのサマースクールで教鞭をとっていたとき、学生のピーター・シュレシンジャーと出会い、二人は恋に落ちました。ピーターはホックニーのミューズであり、ホックニーはピーターをモデルにした絵をたくさん描きました。《芸術家の肖像 ―プールと2人の人物―》でプールサイドから泳いでいるホックニーを見下ろしているのがピーターです。《ニックの家のプールから上がるピーター》という絵も大変有名です。二人は、ロンドンに移り、一緒に住むようになりましたが、1970年代前半には別れてしまいました。ホックニーの《芸術家の肖像》製作時の葛藤や、ピーターとの別れに苦悩する姿を描いた映画『デヴィッド・ホックニー/彼と彼 とても大きな水しぶき』(1973年)は、今やクイア映画のランドマークとして、またドキュメンタリーとフィクションの手法を組み合わせた意欲的な作品として評価されていますが、当時まだ同性愛への風当たりが強かった米国社会では拒絶反応を引き起こし、英国では上映禁止になったそうです(逆に、ものすごく観てみたいです…)。監督のジャック・ハザンはこの映画に関して、「今ではこういった映画が、受け入れられるようになったんだ。以前は、同性愛者の生活をノーマルなものとして描くことは、とても挑発的だった。かつては(映画で)男性器を見ることは、本当に挑発的なことだったんだ」と語っています。ホックニーはこの映画の撮影について、ハザンがいつ撮っていたかもよくわからないような感じだったようで、完成した映画を観て衝撃を受け、3週間引きこもり、ネガフィルムを買い取らせてくれと言ってきたそうです。友人たちがこの映画の素晴らしさを説得し、最終的にはホックニーも受け入れたとのことです。
 1971年、ホックニーはグレゴリー・エヴァンスに出会い、74年から交際、その後数十年にわたる関係を築いています。恋人でなくなった後も、マネージャーとして働いていたのです。ホックニーは彼をモデルにした肖像画などを多数、描いています(今回の個展でも数点、観ることができます)
 1990年、ホックニーはロンドンでの昼食会でジョン・フィッツハーバートに出会いました。シェフであるジョンは、ホックニー氏に手紙を書き、ロサンゼルスで料理人として彼のチームに加わることができるかと尋ねたそうです。二人はホックニーが母ローラのために買ったヨークシャーの家に犬と一緒に住んでいましたが、2009年に関係が終わりました。別れた後もジョンは引き続き家の管理をしていました。2013年、そのヨークシャーの家で、23歳のドミニク・エリオットが急死する事件がありました。もともと薬物乱用者だったドミニクが、誤って漂白剤を飲んだためです。ドミニクはジョンの恋人で、ホックニーのアシスタントでもありました。ジョンはこの事件で薬物を隠蔽していたとして逮捕されています。ホックニーは関与していなかったのですが、ショックで4ヵ月もの間、鬱状態に陥り、制作ができなかったそうです。この家は売却されましたが、ホックニーは今でもジョンと友人だそうです。
 ホックニーの現在のパートナーはフランス人のフォトグラファー、ジャン=ピエール・ゴンサルヴェス・デ・リマです。ヨークシャーを離れた後、ホックニーはリマと一緒にLAに移り住み、リマはスタジオのチーフアシスタントを務め、制作風景の写真を撮るなどしていたそうです。
 

 なお、デイヴィッド・ホックニーと日本との関係は深く、1971年に初来日を果たし、日本画や浮世絵、日本庭園などに大きな影響を受けていると言われています。ホックニーは第1回高松宮殿下記念世界文化賞も受賞しています。2023年、⁠東京都現代美術館で大規模な回顧展が開催されたのも記憶に新しいところです(レポートはこちら

 


参考記事:
英現代画家ホックニー氏が死去、国王も追悼(BBC)
https://www.bbc.com/japanese/articles/cwy0ex51pl9o
デイヴィッド・ホックニーが88歳で逝去(美術手帖)
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/32647
訃報:デイヴィッド・ホックニーが88歳で死去。「見ることの喜び」を示したアーティスト(ARTnews JAPAN)
https://artnewsjapan.com/article/76761
伝説の画家デヴィッド・ホックニーが死去、88歳 現代美術の巨匠(The Hollywood Reporter Japan)
https://hollywoodreporter.jp/news/208142/

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