PEOPLE
東京プライドの新代表になった門戸大輔さんへのインタビュー
今年1月、東京プライド会員の選挙で代表に選ばれた門戸大輔さん。いったいどんな方なのか、そして、今後の東京プライドをどのように運営していこうと考えているのか、インタビューしてみました。パレードをはじめとするイベントの今後の予定についてもお聞きしました。
昨年の東京プライドパレード
東京ではどうなのでしょう? まず、1994年にゲイ雑誌『アドン』の南定四郎さんが初めてパレードを開催し、1996年まで大規模に行われていました。そして、2000年8月27日、ぷれいす東京の砂川秀樹さんが東京レズビアン&ゲイパレードを開催し、二丁目のゲイバーの方たちに恊働をお願いして後夜祭的な位置づけでレインボー祭りというお祭りも始まり(二丁目に花火が上がり、多くの人たちが号泣)、「コミュニティの誕生」「日本のストーンウォール」とも言われるような、大きな感動を呼ぶ記念碑的なイベントとなりました。そこから、2001年には福島光生さん、2002年には関根信一さんを実行委員長として開催されてきましたが、スタッフの消耗が激しく(毎年スタッフが入れ替わり)、きちんとした体制づくりをするための充電期間に入り、砂川さんを代表として東京プライドという団体が設立され、2005年、2006年におかべよしひろさんを代表として、2007年には中田たか志さんを実行委員長としてパレードが開催されました(2007年に名称が東京プライドパレードに変わりました)。しかし、2008年に内部の体制上の問題からパレードが中止となり、主要なスタッフが辞任。砂川さんが再び東京プライドを建て直し、2009年5月に東京プライドフェスティバルを(NHK教育『ハートをつなごう』の公開収録も)、2010年8月に東京プライドパレードを開催しました。
東京でパレードをやるということは、シーンに大きな影響を与え、たくさんのセクシュアルマイノリティの方たちに勇気を与え、本当に大きな意義をもつものであったと同時に、運営する側は、無償で本当に大変な仕事をやらなくてはいけないという問題がありました(だからこそ、NPO法人化をめざして団体が設立されたのです)。見事に東京プライドを再建した砂川さんですが、昨年のパレードが終わったあと、故郷の沖縄に帰ることを決めていたため、誰が後を継ぐのか、あんな大変な(肩の荷が重い)仕事を誰が引き受けるのか…ということを気に病んでいたようです。今年1月、東京プライドの総会で、会員による代表選挙が行われ、昨年来事務局長をつとめていた門戸(もんこ)大輔さんが代表に選ばれました。門戸さんは、これまでの代表の方のような、コミュニティで活躍してきた有名人ではないかもしれません。いったいどんな人なんだろう?と思う方も多いことでしょう。そこで、その人となりがわかるようなお話から、東京プライドへの思い、そしてこれからのビジョンまで、さまざまお聞きしてみました。(聞き手:後藤純一)
門戸大輔さんとはどんな人なのでしょう?
——門戸さんが東京のパレードに初めて参加したのはいつですか?
2001年です。
——じゃあ、前日祭「GLORY」とかも見てました?(注:2001年は、土曜日に前日祭、日曜日にパレードという2日間の日程でした。「GLORY」はゲイインディーズ・ミュージシャンやドラァグクイーン、ショーパブのニューハーフの方たちなど、合わせて100名近いパフォーマーが出演するイベントでした)
女装に夢中だったので(笑)。UPPER CAMPの「3B政策」とかすごいカッコいいなあと思ってて(注:「3B政策」は1999年に肉乃小路ニクヨさんがレインボーマーチ札幌の集会で発表。場末、貧乏、ブスのイニシャルを取ったもの)
——もともとドラァグクイーンのショーを見るのが好きで、じゃあパレードも行ってみようかな、という感じ?
その時つきあっている人がいて、その人と行こうと思いました。その人と青空の下で歩くことは意味があると思って。
——二人の関係性にとってすごくプラスになるというか、素敵なことだと?
というより、社会に対して、一人でいてもゲイだとはわからないけど、恋人と手をつないで歩けば、まぎれもなくゲイだとわかる。
——アピールってことを考えたんですね。そういう思いで歩いてみて、どうでした?
けやき並木のところで待つ時間が長くて。もともと僕自身は親しい人たちにはカミングアウトしていたんですが、もっとパブリックなものなんだと考えると、ちゃんと彼と話し合いはしたけど、隣にいる彼にとって、本当は厳しいことを強いてるんじゃないかと考えると、目の前が真っ暗になるくらい緊張しました。ただ、歩きはじめて、UPPER CAMPの人たちがああいう感じだったので(注:2001年は、UPPER CAMPの方たちが女性政治家に扮してパロディで笑わせるというフロートを出してくれました)、ああ!って。リベレーションっていうのはこういう経験なのかな、と。ストンと腑に落ちましたね。こういうことなんだってわかった感じ。
——素敵な体験ですね!
たぶん、あの頃のUPPER CAMPの人たちがどういう思いでいたかは別として、今マツコ・デラックスさんがテレビで見せる、大切な何かのために何かを引き受けているような態度はすごくつながっている感じがします。
——門戸さんは、もともとは二丁目の有名人とかではなく、どこにでもいるようなリーマンゲイだったのかな?
リーマンゲイとは少し違っているかも。音楽が好きで、岡崎京子の漫画に出てくるようなクラブシーンにどっぷり浸かってて。1990年代後半から2000年代初頭の関西のクラブとか。
——ゲイナイトとかではなく。
ロックとか、テクノとか。そういうところではずっとカミングアウトしてて、みんな僕がゲイだってことを知ってる。東京でも音楽好きの友達を作っていて、特にゲイシーンにお世話になっていたわけではなく、ドラァグクイーンすごい面白いじゃん!と思って、二丁目に行くようになったんです。
——なるほど。クラブ好きの若い子で、そういうルートで「ArcH」に来るようになった人とかけっこういそうですよね。
今39歳ですけど、若いときは正直、ゲイバーで会話しなきゃいけないっていうのがちょっと苦手だった。しゃべらなくても一体感がもてるクラブのほうがラクだったんです。しかも、ドラァグクイーンが出るようなゲイナイトってもっとそれが濃い感じがありますよね。ドラァグクイーンを介在してみんなその場を共有しているような感じが。
——わかります(笑)。パレードのボランティアとかはしてました?
2007年にボランティアをやりました。それと、東京プライドの会員制が始まったときから、会員になっていました。会費を払って、総会に出て。
——そうなんですね。ほかに何か、コミュニティ活動には携わってきました?
「シングルマザーとゲイつながろう」というイベントを2年前に始めました。僕が母子家庭で育っていて、かつ妹がシングルマザーになったときに、いろいろ話していて、シングルマザーが社会資源から引き離されがちであるということと、ゲイも家族の話をできるようになってきているよね、ということで、お互いのニーズが合ってるんじゃない?という話をして。それで思いつきました。
——子どもが好きだけど自分では子どもをつくれない(かといって養子もとれない)ゲイと、子育てがたいへんなシングルマザーの人たちが交流を持ち、うまく回っていったらいいなと。素敵なイベントですね。門戸さんはご家族にカミングアウトしてるんですね?
はい。高校生のときに。親が離婚して母子家庭になって。家族という親密な集団を維持していくためには、隠し事はできないな、ちゃんと話さなきゃと思ったんです。高校生なりに、きっとそのことを受け入れてくれる人たちだとわかっていた気がします。
——とはいえ、20年前だから、まだ世間で免疫がある人はそう多くはなかったですよね…お母さんはビックリしてなかった?
その後おりおり家に帰ってしゃべったりするけど、わかりきらないところもあるし、わかるところもある。僕は誰かとつきあうと、必ず実家に連れて行って紹介するんです。最初は戸惑う感じがあったという話をだいぶあとになって打ち明けられたりしました。家族とはいっても違う人間なので、ゲイのことだけじゃなく、いろんなことがお互いにわからなくて、それを話し合っていくことによって、集団は成り立つのだと思う。
——話していくなかで、だんだん理解したり、慣れていったり。門戸さんはもともと関西出身。就職で東京に出てきた感じ?
関西の大学に通っていて、失恋をしたので、中退して、その痛みを忘れるために日本各地を転々とする仕事をしていて。東北にも何年かいました。あるとき、東京に来て、好きになった人ができて、それで東京に住み始めました。
——意外と「恋に生きる人」なんですね。
自分が大切にしたいのは「親密な関係」なんです。
——家族とか恋人とか、友達とか。
逆に言うと、それ以外に大切なものは、そんなにないです。その延長で、パレードの代表っていうのもあります。パレードに関わっている人に親しみを感じているので、引き受けている。それは一貫しています。
——今、とてもキュンとくる言葉を聞いた気がします。では、そのあたりをお聞きしてみたいと思います。
東京プライドの代表に
——そもそも、どのように門戸さんが代表になったのか、その経緯というか、流れを教えていただけますか?
去年の1月に、砂川さんが「今回のパレードが終わったら、自分は沖縄に帰ります」とブログかTwitterに書いていて。僕は、一人のゲイの市民としてこういった団体は必要だと思っていたので、会員として支えてきたつもりではあるけど、砂川さんの仕事を誰が引き継ぐんだろう?(東京プライドはどうなるんだろう?)と思って。それで、何かできることを…事務方を手伝おうと思って、申し出たんです。で、いざやってみたら、誰も彼の仕事をフォローしてないことがわかって。
——理事の人とか誰も?
評議員ですね。理事ではなく。
——そっか、2009年以降、体制が変わったんですね。
評議員の人たちは、代表と一緒に実務をおこなうことが求められているわけではなく、会の活動へのアドバイスを行ったり、運営上のいくつかのことについて承認する立場なんです。幾人かの人たちが代表をサポートしていましたが実務は、砂川さんがほとんど独りでやっているように見えました。僕が関わりはじめた時、東京プライドのメールボックスを確認すると、砂川さんは、たった独りで、お詫びと協力のお願いのメールをこれまでのボランティアの方に1通ずつ送っていました。ずっとこの人は独りでやってたんだと思って…。こういう話は浪花節でいやなんですけど(笑)、彼の仕事を見ておかないと、と思いました。それで、誰かに会うときは呼んでくださいとか言って、パレードが終わるまでしつこくくっついていました。そのあと、事務局長やる?って言われて。
——パレードの後なんですね。それまでは、秘書というか、砂川さんのサポートをしていた。砂川さんを尊敬していたし、東京プライドがなくなったらどうしようという思いもあって。
これまで砂川さんがやってきたことに対する感謝の気持ちはどう伝えればいいんだろう、と。その前に中田さんとかおかべさんとか、延々と続いてきた流れ、団体の顔になってきた人たちの孤独さとか。彼らはそれと引き替えに、何かを、レズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、その他の人たちに与えてきたと思うので、それを考えたときに…。砂川さんにべったりくっついてたのは僕だけだったので、じゃあやろうと。
——たぶん、そういう内部のことは、僕も今初めて知ったし、みんなよくわからなかったと思います。もし門戸さんがいなかったら、砂川さんが沖縄に帰ったあと、また、東京プライドの体制が脆弱なものになってたかもしれない…けど、たまたま門戸さんが気づいて、何とかしようとアクションを起こしてくれたおかげで、彼も安心してバトンを渡せたと。
たぶん、事務局長にならない?って言われたのがパレードの終わったあとだということを考えると、そのバトンを渡すのを彼は相当悩んでいたと思う。そのバトンは、苦しいバトンなんです。
——安心して託せるというよりは、重荷すぎて渡すのが心苦しい。
いっそ解散してもいいかもしれないね…という話もしてました。でもとりあえず事務局長はやりますよ、と言って。そこから年末まで、選挙に出るかどうか、相当悩みました。
——今までの代表は、選挙で複数候補の中から選ばれるというよりは、この人がやります、承認してくださいね、だったと思います。今回、選挙になったのは、対抗馬がいたから? それとも、まず選挙にしようというのがあった?
砂川さんが選挙にしようと。たぶん、次の代表になる人を、昔のようにコミュニティ内で話し合って決めていくというプロセスでは決められないと思ったんじゃないでしょうか。曲がりなりにも会員制で、定款があって、そうやって回していくには、選挙というかたちだと。
——いまやNPO法人を目指しているようなきちんとした団体。公平に選挙をやりましょうと。
でも、本当に重い仕事なので、候補が一人出ることさえ、悲観的でした。9月頃は。
——あんな仕事を誰がすすんで引き受けるのか、と。
だから選挙を。やりたい人がやったほうがいい。僕も本当にギリギリまで悩みました。迷惑かけるかもしれない、セクシュアルマイノリティの人たちが期待している東京プライドをおじゃんにしてしまうかもしれない…と。
——コミュニティだけじゃなく社会との関わりもすごく出てくるし、本当にたくさんの人が関わっているのを調整していくのも大変だし、さまざまな人たちの思いを反映していくことも問われるし、ものすごく大変な仕事。当然、できるかと言われたら、躊躇する。しかし、いざ選挙をやることになったら、もう1人、田端長久さん(昔からボランティアスタッフをやってきて、現在は評議員をつとめている方)が立候補して、意外に選挙らしくなったんですね。
会員向けに2人の候補が出ましたとアナウンスをして、公報というか立候補への思いを書いた文章を出して、総会の場で5分ずつスピーチして、投票というかたちでした。そのやり方について、いろいろ、スマートじゃなかったというような批判があったんですが、当時の力としては、あれがせいいっぱいで…。
——ともかく、公正に選挙が行われて、門戸さんが選ばれて、おたがいよく闘いましたね、これからいっしょにがんばりましょうと納得した…わけですよね。ここからは、これからのビジョンとか、抱負についてうかがいたいと思います。
これからの東京プライド
昨年は中西圭三さんらも登場!
——いろいろ悩んだ末に、砂川さんの仕事を引き継いでやっていく決意をしたわけですが、今後どのように東京プライドを運営していこうと思っていますか?
僕は、パレードは器みたいなもので、みんなが便利に使えればいいなあと思っています。何かを表現するとしたら「東京プライドは器なんですよ」ということを表現しないといけない。その器を作るために、大きい意味で、社会から信頼される組織でなくてはならないし、そういうお金の流れも作っていかなきゃいけない。そういう部分で仕事をしていかなきゃいけないのかなと思ってます。
——そのなかで自由に表現してね、というハコであると。うちらが裏方でお膳立てはするから、あなたステージで輝いてね、という感じ?
そうですね。それと、昨年のパレードの後、TwitterでFTXの人だったかな、自分の居場所がなかったという感想を見て…セクシュアルマイノリティのなかでもマイノリティとされている人たちには、小さいグループでもいいから、2人いれば横断幕を持てるし、自分たちの居場所をつくって、私はここにいますよとアピールできるということを伝えたいです。パレードがそういう場所であればと思っています。もしかしたら、小さいグループの作り方っていうワークショップをやっていくといいのかな?とかも考えていますね。
——自由に表現はできるけど、そうは言っても参加しづらい方もいるだろうから、なるべく入りやすいように。これまでの理念とか方向性みたいなものを引き継ぎつつ、だと思いますが、何か門戸さんなりに、もっとこうしていきたいということがあれば教えてください。
たとえば、今日もウガンダ大使館でお話してきましたけど(注:ゲイ・アクティビストが殺害された事件、同性愛者を死刑にすることのできる法案が提出されていたウガンダ国会での動きについて、6日27日、ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京、アフリカ日本協議会、東京プライドらが共同で、在京ウガンダ大使館に申し入れを行いました)、組織として何かを発言したりしていくことも、これからもっと重要になってくるだろうと思います。
——ただパレードをやるだけではなく、もっと広く、セクシュアルマイノリティの人権擁護ということに取り組む。
今のパレードにもつながるようなある方に相談しに行ったとき、「何のためにパレードするの?」って聞かれて。その答えはちゃんと出していかなきゃいけないだろうなと。歩くことが楽しいとか、歩くことで解放感を味わえたとか…
——「ゲイでよかった」と思えるような。
そうそう。それが参加者にとってはもちろん、一番大事です。組織としてはそういう器を存在させるために、もっと広く、社会に向けて、パレードが必要な理由をちゃんと言葉で示していかなきゃいけないだろうな、と思うんです。
——札幌にしても関西にしても、何のためにパレードをやるかっていうことはしっかり書いてあって、東京も同じだと思います。でも、東京だと、別に中央だからエライとかじゃなく、事実上、日本を代表して、みたいなところがあると思います。
震災以降、地方とどうつながるかということをずっと考えていて、東京目線ではなるべくしゃべりたくないと思っています…が、東京には首都機能があって、海外の人もまず東京にアクセスしてくる。そういうことは無視できない。
——行政に働きかけたりしやすい環境にもあるので、法制度を変えるとかいう活動みたいなのも期待されているかもしれませんが、そういうことも視野に入れている?
法律とか社会的なものが、あまりみんなが思ってるように変わっていかないのであれば、海外とかともコミュニケーションをとって、動かしていかないといけない。ニューヨークで結婚の機会の平等に関する法律が認められたということだけじゃなくて、死刑の法案が提出される国ともつなげた上ではじめて、普遍的な人権問題なんだと社会に訴えることができる、そういうことがあるからパレードも必要なんですよね、と言っていけたらと思います。
——なるほど。今、震災以降、地方とつながることを…というお話がありましたが、何か被災地の支援をやっていこうとか考えていますか?
まだ公にできる段階ではないのですが、被災地に住むマイノリティとつながるような事業を企画しています。東北に住んでいる人たちと、東京に住んでいる人たちの関係を築いていきたいと思っています。
——門戸さんはGWに仙台で開催されたゲイナイトにも足を運んでいましたね。
本当にいいパーティでした。最後は泣けてきてしかたがありませんでした。今は仙台の人たちに相談に乗っていただきながら企画を練っています。僕は、あまり支援という言葉は使いたくなくて…これは尊敬するセクシャルマイノリティの政治家の人に教わった言葉ですが…伴走者でいたい。お互いがお互いの伴走者になれるような事業が実現できたらいいなと思う。
——とても素敵な、意義のあることだと思います。話は変わりますが、東京レインボープライドという団体ができたことについて、門戸さんなりのコメントをお願いできますか?
僕は社会活動を行う団体は、本来会員のためではなく、社会のために活動していると考えています。社会が「こういうものは必要ですね」と認めたときに、お金も回ってくるし、手伝ってくれる人も現れてくる。そういうことは、誰もがやっていいことだと思います。「私たちはこういう団体を作りたい」という人が出てくるのは正当なことだと思います。ただ、名前が似ているせいで、いろんな問合わせをいただいたり…まぎらわしいのは少し残念(笑)。また、どうして当事者同士でまとめられなかったんだという意見もいただきました。が、こういう団体、こういうパレードがほしいと思っている人がそれぞれ自分自身で判断し、応援していけばいいのではないかと思います。2つとも応援してもいいし、そうでなくてもいい。
——いろんなパレードがあっていい、と。そうですよね。
これからの予定
昨年のプレリュード。感動でした!
——今年の夏はパレードもフェスティバルも開催しないということが東京プライドのホームページで発表されました。それは、どういう考えで?
組織固め。基盤整備。調子が悪くなった車のチューニングのための時間をください、ということなんです。
——もっと具体的に言うと?
会計も会計ソフトがなくてみんな手でやっている、会員、ボランティア、スポンサーの名簿についても管理がすごく大変、ホームページも最適化が行われてなくて…1つ1つつぶしていかないといけないな、と判断しました。そのために、これくらいの時間が必要だろうなと思いました。去年1年間関わってきた反省としては、やっぱり、今、NPOにしても任意団体にしても、一般企業並みの速度が要求されているのに応えきれていない。それは、組織としてのインフラができていないこと、そして有償スタッフを雇えていないことが理由だと分析しています。その点を解決したいと考えています。
——事務所はあるけど、みんな手弁当で、いろいろ突貫工事でやってきた。
知られざる誰かの無償の努力で何とかやってきた。もう少し、誰がやってもできるような、あまり負担にならないようなインフラをつくっていきたい。
——事務方をやってきた人だからこそ、わかる。
そうです。去年も、会計担当者とか、本当に大変だった。多分、国内の他のパレード等よりも、扱う金額が大きくて、しかも細かい。そういうのを見て、どんどん整備するべきだと。もしこれからもパレードを続けるのであれば、今やらなきゃ、と思うんです。
——ボロボロの状態で突っ走っても、倒れていったりとか。
突貫工事の手法で、毎回お祭りのようにやっていくのでは、続かない。それでは大きなパレードは続かないだろうと思っています。
——今までは、砂川さんというスーパーマンが何とかやってきたけど、そうはいかない。
彼がスーパーマンと思われることに苦しんでいたことも知っていますが、今までは、ゲイコミュニティから認知されていて能力もある人が代表をやってきました。裏では、名前は出ないけど、自分の時間を費やして献身的にやってきた人がいました。その結果パレードから遠ざかった人がどれほど多いことか…。このような連鎖を何とかしたいです。
——来年の8月のパレード開催に向けて、インフラを整備しつつ、人が燃え尽きて倒れないような体制を整えていきたいと。
はい。今、公園課と折衝して、来年8月のスケジュールを押さえている最中です。
——わかりました。で、今年はとりあえず、プレリュードは開催されますよね。毎年恒例で楽しみにしてる人も多いので、来年への長い序奏としてやるという感じ?
というよりも、プレリュードをやっている人たちのメーリングリストで、震災があった後に「こういう年こそ、プレリュードが必要だよね」という話になって、行われることになったんです。こういうときこそ、みんなで集まって音楽を演奏することが必要だよね、という思いで。
——そうなんですね!
赤十字に寄付しますと書いていますが、そこよりも、セクシュアルマイノリティの人たちが一堂に会して音楽を奏でることに、本来の意味があると思っています。これからいいことがあると思えるような、ちょっと慰めになるような。
——希望の象徴のような。
これから、その希望がちょっとでも実現するといいな、という願いをこめて。最後にすでに何度か演奏しているあの曲をみんなで演奏するそうです。
——素晴らしい! ぜひ、みなさん足を運んでいただきたいと思います。先ほどちょっとお話がありましたが、今後、ワークショップとかも予定していますか?
まだ発表段階にはないですね。しばらくは地味なコンピュータ周りのこととかをやりつつ。場所取りができたら、来年の日程を発表します。
——わかりました。来年、たくさんの人たちの思いがこめられた東京プライドパレードが、誰にとってもいいかたちで(倒れる人が出ないように)、晴れやかに開催されることを楽しみにしています。本当におつかれさまです。ありがとうございました。
東京プライドのホームページ
http://www.tokyo-pride.org/
プレリュード2011
日時:2011年7月18日(月祝)開場13時半 開演14時
場所:なかのZERO大ホール
出演団体:SSK48、音響侍、弦楽合奏団「アンサンブル・ディベルティメント」、Sing out! Tokyo、新宿男声合唱団、東京カマさんコーラス『コーロ・エレガンテ』、BASUE吹奏楽部
http://preludetp.exblog.jp/i2/
INDEX
- 映画祭の代表・宮沢英樹さんへのインタビュー
- 「Save the Pride」を終えて…実行委員長に再びインタビュー
- パレードへの熱い思い~「Save the Pride」代表のケータさんにインタビュー
- NLGR+2012で結婚式を挙げたお二人にインタビュー
- NLGR+2012の結婚式をプロデュースしたVALENTY WEDDINGにインタビュー
- NLGR+2012の共同代表の方たちにインタビュー
- 東京レインボープライドの広報担当・乾さんにインタビュー
- 舞台『AKA-TONBO!』に出演するゲイの役者さんにインタビュー
- 映画祭代表・宮沢英樹さんへのインタビュー
- 舞台『Lipsynca』の関係者へのインタビュー
- 日本初のゲイホリデー「G-TOUR JAPAN」主催者インタビュー
- 東京プライドの新代表になった門戸大輔さんへのインタビュー
- NLGR+の実行委員長をつとめたシンヤさんへのインタビュー
- 舞台『BENT』を上演する俳優の蓮池龍三さんへのインタビュー
- 新宿を変える、日本を変える。歌川泰司さんインタビュー
- 座談会「洋上の楽園・ゲイクルーズを語り尽くす」
- 映画『スプリング・フィーバー』チン・ハオ&チェン・スーチョンへのインタビュー
- 「Less Than Human」の星野泰一郎さんへのインタビュー
- レインボーマーチ札幌の実行委員長・牧祐介さんにインタビュー
- 日本初? ゲイによるゲイのための総合スポーツイベント
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