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REVIEW

『世界一周ホモのたび 結』

『世界一周ホモのたび』シリーズがついに完結!しかもまさかの終わり方!ということで、約5年間にわたるシリーズを振り返りつつ、その魅力や意義についてご紹介いたします。

『世界一周ホモのたび 結』

ここでわざわざ取り上げる必要もないくらい、みなさんすでにお読みになっているのではないかと思われますが、『世界一周ホモのたび』シリーズがついに完結!しかもまさかの終わり方!ということで、約5年間にわたるシリーズを振り返りつつ、その魅力や意義についてご紹介いたします。(後藤純一)


 『世界一周ホモのたび』は8年前から『本当にあった笑える話』で連載が始まり、6年前に最初の単行本が発売されて大きな話題となり、人気シリーズとしてだいたい年に1冊くらいのペースで単行本が発売されてきました。おそらくゲイもののコミックエッセイとしては、最も有名でたくさん売れたものになったのではないかと思われます。
 世界中旅して、いろんな国の男とデキたりデキなかったりして、いいなぁ楽しそう、キラーイ温泉行ってみたい!とか、この国はこんな感じなんだなぁ、今度行ってみようかなぁと思わせたり、熊田プウ助さんの絵柄のかわいらしさやギャグセンスもあいまって、本気でゲラゲラ笑わせてくれたり(「佐賀の餅すすり」とか最高。爆笑しました)、というのがこのシリーズの魅力でした。誰もが気軽に読めるエンタメ性が幸いし、熱狂的なファンも増えていったと思います。そして、これがサムソン高橋さんのモテ自慢話ばっかりだったらここまで人気にはならなかったかもしれませんが、決してそうではないキャラだったところも共感を呼んだのではないでしょうか。「誰もいないハッテン場は人を哲学者にさせる」といった名言の数々も素晴らしかったです。
 サムソン高橋さんは、このシリーズによって一気に全国区に躍り出て、TV番組や『AERA』誌などにも出演し、(アンチシャイニー系の代表格として)時代の寵児ともなりました。
 
 もしかしたら「世界のハッテン場のレポート? そんなものを世間に出すから偏見が広がる」とか、「あのバンコクのハッテン場をTVで見せちゃった人でしょ? 許せない」などと思っている方もいらっしゃるかもしれません。以下は、そんな方にお伝えします。
 フランスのPACS(同性婚の前段階のシビルユニオン的なパートナー法)成立にも寄与したというフレデリック・マルテルさんという社会学者が著した『現地レポート 世界LGBT事情――変わりつつある人権と文化の地政学』という分厚い本が昨年出版されまして、これは欧米だけでなくイランのようなゲイが死刑にされてしまうような国などにも出かけて現地のLGBTを取り巻く状況(主に権利状況)をレポートしている大作なのですが、『世界一周ホモのたび』シリーズのフィールドワークのスゴさと考察の的確さは、ゲイスタディーズにおいてこの本と双璧を成すような意義があると思います。
 ゲイシーンがあまり発展していない地域では「磨けば光る原石」的な素朴なタイプの方がたくさんいるのに(そういう方ともデキたりするのに)ひとたびゲイシーンが発展してしまうとおしゃれなファッションに身を包んだマッチョやガチムチが増える(そう簡単にデキなくなる)とか、日本でモテない人は海外でもモテない(たぶんモテの基準はグローバル)といった、(それがアカデミズムの世界で求められているかどうかはともかくとして)たぶんきちんとした論文にもなるような真実を実証してくれていると言えます。
 そして、何より素晴らしいのは、TV番組「クレイジージャーニー」(紙パンツ姿、本気で見たかったです)への出演もそうでしたが、高橋さんが、自身のハッテン体験を語ることに対して1ミリも後ろめたさを感じていないということです。揺るぎないセクシャリティの肯定。プライドすら感じさせます。だからこそTVにも出たのでしょう。その一貫したブレない姿勢は、あっぱれというほかありません(そんな高橋さんも、TVにおいてもこのシリーズにおいても、日本のハッテン場の名前は決して出さないというポリシーは貫いています。ノンケに知られるとみんな行きづらくなるからです)。本当の意味でゲイが生きやすい社会というのはセックスのことを抜きにしてはありえないわけですが(「性解放なくしてゲイ解放なし」。h世間が「男どうしのセックス」に付与するスティグマや、世間に蔓延するホモフォビアが払拭されない限り、ゲイは自己肯定や尊厳を得られません。HIVなどの問題にも深く関係します)、ともするとタブー視され、アンダーグラウンドに押し込められがちなハッテンというものを、高橋さんと熊田さんは、ポップな意匠に包んで、人間らしい、愛すべきものとして世間に提示してくれました(1980年代のエイズ禍の時代、セクシュアルマイノリティが団結し、「私たちはここにいるし、私たちはクィアなのよ、それに慣れることね」を合言葉とするクィア・アクティヴィズムが起こりましたが、その現代日本版じゃないかと思います)
 
 
 さて、そんな『世界一周ホモのたび』が、ついに完結しました。オビには丸山ゴンザレスさん(人選、最高ですね)の「行った場所なのに知らない世界…… ハッテン旅は異世界ラブコメファンタジーだ!」という推薦文がいます。
 今回もカンボジアやベトナムやハンガリーやチェコやポーランドや、いろんな国に行かれていましたが、行く先々でご武運を祈るというか、高橋さんガンバレ!と応援している私がいました。
 そして、どなたかもTwitterに「ラストで驚いた。しんみりした」というようなことを書いていたので、そうなのか…と覚悟していたのですが、まさかの切ないエンディングが待っていました。
 8年かけて、まるで千夜一夜物語のように、めくるめく快楽の世界に誘うような、いろんな国でのおとぎ話(ハッテンエピソード)を語り続けてきたけど、急にシリアスな現実を突きつけられた、夢から覚めてしまった、みたいな感じでしたが、そのことによって、『世界一周ホモのたび』は(社会学的なフィールドワークとしての意義だけでなく)文学的な高みに達したのではないかと感じました。
 私も(10年間の『バディ』誌の編集を含めて)約20年もゲイライターをやってきたなかで、ある意味「ゲイにとっての幸せとは何か?」ということをずっと考えてきて(自分自身でも追求してきて)、未だにそれは「答えのない問い」であり「永遠のテーマ」なのですが、この『世界一周ホモのたび 結』は、その問いのど真ん中にズドンと投げ入れられた誰も打ち返せないような直球…あるいは、そう問う私の頭上にドシンと落とされた重い物体のようなものになりました。
(現実の高橋さんは、能町みね子さんと仲良くしていたり、二丁目でお店に入ったり、トークイベントに出たりもして、なんだかんだ幸せそうではありますが(おおげさに書いてるだけで、本当は結構モテると思いますし)、あくまでも『世界一周ホモのたび 結』を読んだ感想を文章化したら、こういう感じになりました)
 

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『世界一周ホモのたび 結』
熊田プウ助、サムソン高橋
ぶんか社

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