g-lad xx

REVIEW

性的指向とは何か?という根源的な問いに迫る目からウロコな本:『パンセクシュアル宣言』

日本でパンセクシュアルを冠した初めての本ですが、こういうセクシュアリティもありますよ、理解してくださいね、的な啓発書というより、性的指向とは何か?という根源的な問いにも迫るような、目からウロコな一冊でした。とても面白く、いろいろ考えさせられます

性的指向とは何か?という根源的な問いに迫る目からウロコな本:『パンセクシュアル宣言』

 読者のみなさんはパンセクシュアルと聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか。バイセクシュアルの方なら「男性や女性だけじゃなく全ての人が対象ってことだよね」と即答されるかもしれませんが、ゲイの方にはそこまで身近わけではないですよね。なかには、「相手の性別にこだわらないというスタンス」というイメージを持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 海外ではマイリー・サイラスやカーラ・デルヴィーニュ、ジャネール・モネイ、リナ・サワヤマ、ケシャ、リゾ、シーア、ブレンドン・ユーリー、ジュリア・フォックスなど、錚々たる著名人がパンセクシュアルであるとカムアウト(あるいはパンセクシュアルの定義に当てはまるようなかたちで自身のセクシュアリティを説明)しています。日本でも、都議の東由貴さんが昨年、都議会でパンセクシュアルだとカムアウトしたうえで性の多様性をめぐる課題について問うというニュースがありました。

 パンセクシュアルは、LGBTQという頭字語の中にPが含まれていないことからも窺えるように、性的マイノリティの中でもマイノリティであり、LGBTQの講演や研修などでも、L、G、B、T、Qの説明の後で「ほかにもパンセクシュアルやアセクシュアルの方などもいます」というふうにおまけのような感じで扱われがちでした。そんななか、日本でパンセクシュアルを冠した初めての本として、周司あきらさんが『パンセクシュアル宣言』を発表しました(これだけLGBTQ関連の本が出ているなかで、パンセクシュアルを冠した本がなく、ようやく世に出たということ自体が、なにがしかを物語っていると思います)

 周司さんは『トランス男性による トランスジェンダー男性学』の著者で、『トランスジェンダー入門』『トランスジェンダーQ&A: 素朴な疑問が浮かんだら』の共著者でもあり、これまでは主にトランス男性としての立場から本を書いてきた方ですが、今回、満を持して、自身の性別違和、性別移行の経験とも関連したパンセクシュアルという性的指向についての本を著しました。パンセクシュアルってこういうことですよ、理解してくださいね、という啓発にとどまりません。もっとクィア=既存の性規範への異議申立てだし、性的指向とは何か?という根源的な問いにも迫っていて、いろいろ深く考えさせるような刺激的な本になっています(語弊を恐れずに言えば、たいへん面白いです)
 
 ざっと本の内容をお伝えします。
 まえがきは、長らくパンセクシュアルは「脚注や補足でしか語られないセクシュアリティ」だったという忸怩たる思いのにじむ一文で始まります。そして、パンセクシュアルが問いたい世の中の性規範は第一に「なぜ社会はこれほどまでに性別を重視するのか」ということ、第二に「なぜ人々は惹かれる対象を一つの性別だけに限定させようとするのか」だということが述べられます。(まえがきが無料公開されています→こちら
 第一章「問い」では、言葉の使われ方と、偏見に基づく“素朴な疑問”への回答が記されています。
 バイセクシュアルでありアロマンティックを生きる東海林毅さんとの対談(このg-lad xxでのインタビューが対談のきっかけになったそう。たいへん光栄です)
 第二章「経験」では、周司さん自身の経験が語られます。思春期の頃の、バイセクシュアルという概念を知る前のこと、バイセクシュアルだと自認するようになった頃、性同一性障害の診断を受けて性別移行(ホルモン治療や性別適合手術を含む)を行なったこと、同居した人の影響でアセクシュアル化してきたこと(全性愛から無性愛に変わるってどういうこと?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そのことこそが、この本が他に類を見ない独自の輝きを放つ源になっていると思います)、そうしたなかで「パンセクシュアルであること」を政治的なスタンスに引き延ばして捉えるようになっていったこと。
 「バイセクシュアリティの見えない困難」と題した青山薫さんとの対談。
 第三章「理論」では、「性的指向」とは何か、モノセクシズム、同性愛者とは異なる課題、について論じられます。
「変容するパンセクシュアル」と題した近藤銀河さんとの対談。
 最後の第四章は「パンセクシュアル宣言」です。

 「性的指向」とは何か、の節で、有名なキンゼイ・スケール(「0.完全な異性愛」から「6.完全な同性愛」までを7つのグラデーションで説明)のほかに、フリッツ・クラインの『バイセクシュアルという生き方』(1978年)で示された「クライン性的指向グリッド」が紹介されていて、たいへん興味深いものがありました。クラインは「性的指向の概念の複雑さ」を示すために「A.どのジェンダーの人に性的魅力を感じるか」「B.どのジェンダーの人と性行為をするか」「C.どのジェンダーの人をマスターベーションで浮かべるか」「D.どのジェンダーの人に情緒的な関わりを感じるか」「E.どの程度同性の人たちとつきあいたいか、異性とはどの程度か」「F.異性愛的な世界でどの程度暮らしていきたいか。または同性愛者の友人を持ち、ゲイバーやクラブに行くかどうか」「G.自分の性的指向にまつわるアイデンティティは何か」という7つの変数を挙げています。多くの場合、同性愛者というのは性的・恋愛的な欲求として同性に惹かれる人である(それ以上でも以下でもない)と定義されていますが、クラインは「同性愛者の友人を持ち、ゲイバーやクラブに行くかどうか」、つまりライフスタイルの面も変数として挙げているのです。よくSNSでネタとして「ノンケ生活」という言い方がなされますが、あながち間違いではないのかも…例えば、ゲイバーが一軒もなく、ナイモンを開いてもいちばん近い人が何十キロも先、みたいな地域に住んでいて周囲にノンケしかいない生活をしている方と、都会(中野区とか)に住んでいてジムに行ってもゲイだらけだし週末はゲイバーやクラブイベントに出かけるしその気になればいつでもセックス相手を見つけられるようなゲイゲイしい暮らしをしている方とでは性的指向が異なるというわけです(周司さんもアセクシュアルの同居人と暮らすなかでアセクシュアル化してきたと語っています。ライフスタイルが性的指向に与える影響は少なからずあるということです)。同性間の性行為が違法とされている国ではクィアを自認する人が少なくなり、同性婚が認められているような国では多くなるという話とも通じるものがありますよね。
 パンセクシュアルの方の場合、上記の「どの性別の人に性的魅力を感じるか」といった設問に対して「相手の性別は問わない」と回答する可能性があり、それはすなわち「性別を問う設問自体を無効化する」ようなものだ、と述べられています。性別を気にしないのであれば性的指向という枠組を用いる意味がなくなるわけで、「そもそもパンセクシュアルは性的指向なのか?」ということにもなってきます。よく考えると「他者に性的に惹かれる」という言葉の意味するところも実に幅広く、積極的に「性的欲望」を抱くのか、「性的関心」を持つのか、身体的反応として「性的欲求」を持つのか、感覚的に魅了される意味で「惹かれる」のか、アニメや漫画のキャラクターに「萌える」場合も「性的に惹かれる」に含まれるのか、だとしたらそれは性的指向と言えるのか…と論じられます。奥が深いです。
 
 周司さんはバイ/パンセクシュアルなど(マルチセクシュアル)の人は同性愛者とは直面する課題が異なることがあるとして、(これまでのLGBTQ関連の書籍等では同性愛者もバイ/パンセクシュアルも同じように扱われることが多かったため、あえて)そこに光を当て、バイ/パンセクシュアルの人はすぐに自分がそうだと自覚するわけではなく、異性愛と同性愛の両方を経験し、混乱しながら、自分に両方の傾向があることを認めるようになるということ、異性愛者からも同性愛者からも二重の差別を受けることがあるということ、異性愛者または同性愛者と誤認され続けること、不可視化されやすい、メディアの表現/表象にも現れにくい、“不誠実”というスティグマを付与されやすい、といった課題について深掘りしています。異性愛者も同性愛者もともに、一つの性別に惹かれる「モノセクシュアル」であり、人は誰しも一つの性別に惹かれるはずだという前提の性規範の押しつけが性別二元論と相まって(「モノセクシズム」といいます)バイ/パンセクシュアルの人を抑圧してきたという話には、ちょっと耳が痛い…と感じる方もいらっしゃるかもしれません。が、二丁目やイベントやハッテン場でも一緒に過ごしたり関係を持ったりしているかもしれない(同じコミュニティの仲間である)バイ/パンセクシュアルの方の「肩身の狭さ」や「言い出しづらさ」の本当のところを知り、思いを馳せることには決して小さくない意義があると思います。ので、ぜひ読んでみてください。
 
 最後は「パンセクシュアル宣言」です。
 パンセクシュアル、すなわち「他者と親密な関係性を築いたり他者を身近に感じたりする際に性別が条件にならない人」に、本当に全ての性別の人と親密な関係性が結べるだろうかと自分を疑うのではなく、その可能性を信じる自分を信じよう、と呼びかけられています(感動させられます)
 そして、ホモフォビアに抗うこと、フェミニズム、二元論を無効化すること、性別の決めつけや序列化を拒む、時間を尊重する、ということをマニフェストとして掲げています。
 これまで周司さんが経験した紆余曲折、葛藤、逡巡、喜びや悲しみ――ジェンダーやセクシュアリティの長い長い旅の果てにたどり着いた境地であり、そういう稀有な経験をしてきた方だからこそ言える、心からの言葉なのだと思います。

「パンセクシュアル宣言」はサッフォーという、つくば市にある小さなブックカフェ(今年のTPの「QPP」=クィアの本やZINEを扱っている方たちの集まりのブースにも参加していたそうです)が出版しています。loneliness booksの潟見陽さんがブックデザインを手がけています。
 



INDEX

SCHEDULE

    記事はありません。