REVIEW
映画『ラビット・ホール』
ゲイの監督、ジョン・キャメロン・ミッチェルの最新作『ラビット・ホール』のレビューをお届けします。これまでの作品のようなインパクト(ゲイゲイしさ)はありませんが、人が人とつながることの切実さを追求するという点では一貫しています。
手術に失敗して「醜い1インチ」が残ってしまったヘドウィグという最高にパンクでクィアな(ほとんどドラァグクイーンのような)キャラクターで一世を風靡したロック・ミュージカル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2001)で鮮烈なデビューを果たしたジョン・キャメロン・ミッチェル監督。2作目の『ショートバス』(2006)では、(9.11以後の)ニューヨークで心に傷を負った人々がひとときの救い(「愛」や性)を求めて集う「ショートバス」というサロンを舞台に、(衝撃的な性描写とともに)人と人とのつながりや深い癒しを表現しました。
そんなジョン・キャメロン・ミッチェル監督の第3作となる『ラビット・ホール』が、現在上映中です。
主人公のベッカ(ニコール・キッドマン)はなかなか感情をコントロールできず、ときどきビックリするような激しい行動をとります。息子は犬を追って道路に飛び出し、車に轢かれてしまったのですが、ベッカはある日偶然、その車を運転していた(つまり息子を殺してしまった)高校生の男子を街で見かけ、彼に話しかけます。彼は、戸惑いながらも、ベッカとの対話を受け容れます。そして、彼自身、罪の意識に苛まれていること、この世界とは別のパラレル・ワールドと行き来する男の子の漫画(『ラビット・ホール』というタイトル。ラビット・ホールとは『不思議の国のアリス』に登場する、別世界へと通じる入口のことです)を描いていることを打ち明けます。
不幸なことに、ベッカは兄も亡くしています。彼女の母親もまた、息子を亡くすという経験をしているのです。「悲しみは消えるかしら?」と尋ねるベッカに対し、母親は「消えはしないわ。でも、変わるの。重かった石も、今ではポケットに入る小石くらいになったわ」と言います。
数多のハリウッド映画と対照的に、この作品は、安易に悲しみを乗り越えたり、予定調和なハッピーエンドにまとめることを拒否しています。(醜い感情も過ちも含めて)妻や夫や母の心の機微を丁寧にリアルに描ききり、観る者に奇跡的な癒しをもたらします(ラストシーンではハラハラと涙があふれます。アルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』と同じように)
この難しい作品を見事に映画化できたのは、キャスト陣の演技力もさることながら、人間への深い洞察をもつジョン・キャメロン・ミッチェル監督の繊細な演出のおかげでもあります。ニコールは同監督を起用した理由について「この映画の題材自体がとても円熟した、生々しいものだったから、登場人物の感情の多くを抑える必要があったの。そしてよくないものをコントロールしうる監督が必要だった」と語っています。
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』や『ショートバス』のようなインパクト(あるいはゲイゲイしさ)はありませんが、人と人とがつながりを求めることの切実さというテーマは一貫していると思います。
ちなみに、もともと舞台作品だった『ラビット・ホール』ですが、舞台で主人公のベッカを演じていたのは、シンシア・ニクソン(『SEX AND THE CITY』のミランダ)だったそうです。
ニコール・キッドマンはこの作品で8年ぶりにアカデミー主演女優賞にノミネートされました。2002年にニコールがオスカーを獲得した『めぐりあう時間たち』は、スティーブン・ダルドリー(『リトル・ダンサー』『愛を読むひと』)の監督作でしたから、彼女はきっとゲイの監督と相性がいいんだと思います。振り返ってみると、ニコールは『ムーラン・ルージュ』『ステップフォード・ワイフ』『奥さまは魔女』『NINE』など、ゲイ的に素敵!と思える作品にたくさん出演してきました。女優業にとどまらず、プロデュースにも乗り出したニコール・キッドマン。どんな作品を生み出してくれるのか、これからも楽しみです。
<ストーリー>
ニューヨーク郊外に暮らすベッカ(ニコール・キッドマン)とハウイー(アーロン・エッカート)の夫婦は、8カ月前に交通事故で息子を失い、絶望の淵にいた。ベッカは現実から目をそらし、ハウイーは息子のビデオを観て思い出にふけったり、自助グループのミーティングに参加することで乗り越えようとするが、夫婦の関係は次第にほころびはじめる。そんなある日、ベッカは息子の命を奪った車を運転していた高校生の男子を街で見かける。彼女は偶然を装って少年の後を追うが……。
『ラビット・ホール』RABBIT HOLE
2010/アメリカ/監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル/原作・脚本:デヴィッド・リンゼイ=アベアー/出演:ニコール・キッドマン、アーロン・エッカート、ダイアン・ウィースト、タミー・ブランチャード、マイルズ・テラーほか/TOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラストシネマ渋谷にて公開中
INDEX
- クィアでブラックなミュージカル・コメディ・アニメドラマ『ハズビン・ホテルへようこそ』
- 涙、涙…の劇団フライングステージ『こころ、心、ココロ -日本のゲイシーンをめぐる100年と少しの物語-』第二部
- 心からの拍手を贈りたい! 劇団フライングステージ 『こころ、心、ココロ -日本のゲイシーンをめぐる100年と少しの物語-』第一部
- 40代で性別移行を決意した人のリアリティを描く映画『鏡をのぞけば〜押された背中〜』
- エストニアの同性婚実現の原動力になった美しくも切ない映画『Firebirdファイアバード』
- ゲイの愛と性、HIV/エイズ、コミュニティをめぐる壮大な物語を通じて次世代へと希望をつなぐ、感動の舞台『インヘリタンス-継承-』
- 愛と感動と「ステキ!」が詰まったドラァグ・ムービー『ジャンプ、ダーリン』
- なぜ二丁目がゲイにとって大切な街かということを書ききった金字塔的名著が復刊:『二丁目からウロコ 増補改訂版--新宿ゲイ街スクラップブック』
- 『シッツ・クリーク』ダン・レヴィの初監督長編映画『ため息に乾杯』はゲイテイストにグリーフワークを描いた素敵な作品でした
- 差別野郎だったおっさんがゲイ友のおかげで生まれ変わっていく様を描いた名作ドラマ『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』
- 春田と牧のラブラブな同棲生活がスタート! 『おっさんずラブ-リターンズ-』
- レビュー:大島岳『HIVとともに生きる 傷つきとレジリエンスのライフヒストリー研究』
- アート展レポート:キース・へリング展 アートをストリートへ
- レナード・バーンスタインの音楽とその私生活の真実を描いた映画『マエストロ:その音楽と愛と』
- 中国で実際にあったエイズにまつわる悲劇を舞台化:俳優座『閻魔の王宮』
- ブラジルのHIV/エイズの状況をめぐる衝撃的なドキュメンタリー『神はエイズ』
- ドラァグでマジカルでゆるかわで楽しいクィアムービー『虎の子 三頭 たそがれない』
- 17歳のゲイの少年の喪失と回復をリアルに描き、深い感動をもたらす映画『Winter boy』
- 愛し合う美青年二人が殺害…本当にあった物語を映画化した『シチリア・サマー』
- ホモフォビアゆえの悲劇的な実話にもとづく、重くてしんどい…けど、素晴らしく美しい映画『蟻の王』
SCHEDULE
- 03.19XO7
- 03.20RADWIMPSナイト3 〜無人島に持っていき忘れた一曲〜