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REVIEW

ミュージカル『ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~』

伝説的なアーティストであり、オープンリー・ゲイであり、1990年にエイズで亡くなったキース・ヘリングの生涯を描いたミュージカル『ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~』が現在、日比谷のシアタークリエで上演中です。当時のゲイシーンのリアリティやゲイとしてのキースの生き様に肉薄した作品で、音楽や美術、キャストや振付、演出など全てが素晴らしかったです。

ミュージカル『ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~』

伝説的なアーティストであり、オープンリー・ゲイであり、1990年にエイズで亡くなったキース・ヘリングの生涯を描いたミュージカル『ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~』が現在、日比谷のシアタークリエで上演中です。当時のゲイシーンのリアリティやゲイとしてのキースの生き様に肉薄した作品で、音楽や美術、キャストや振付、演出など全てが素晴らしかったです。レビューをお届けします。(後藤純一)


ミュージカル『ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~』

 ニューヨークのオフブロードウェイで2003年に初演されたミュージカル『Radiant Baby』は、世界中で今もなお愛され続けるキース・へリングが自分の信じる世界を描き、駆け抜けた生涯を、心揺さぶるロック&ポップミュージックで描いた作品です。トニー賞受賞作品でも全てが日本で上演されるわけではないなか、『Radiant Baby』の日本版として『ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~』が上演されることになったのは素晴らしいことですし、実際に舞台を観て、これを日本で観ることができる幸せを満喫しました。関係者のみなさんに拍手!です。これからこのミュージカルの見どころをお伝えしていきます。ぜひ、足を運んでみてください。

ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~
日程:2016年6月6日(月)~6月22日(水)
会場:日比谷 シアタークリエ
料金:S席10,800円、A席8,800円(全席指定・税込)
 


アートと人生、GAY、SEX、AIDSのこともありのままに描き、共感と感動を呼ぶという素晴らしい作品でした






 海外の作品を日本に持ってくる時に、ヘンな自粛とか自主規制が働いて、ゲイのこととかSEXに関係することをぼやかしてしまうということが往々にしてあると思います。『ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~』は、キースがどれだけ天才的なアーティストだったかということを前面に打ち出してゲイとかHIVのことはおまけ的にちょっと描いて終わり、では全然ありませんでした!全然!です。
 この作品を観ると、キースの作品制作の根本にはゲイというセクシュアリティがあったということがよくわかります。キースが子どもの頃に3000本ものチューリップを描いた絵があって、でもそれはよく見たら3000本のチンコだったというお母さんの回想シーンは本当に素敵でした。キースがNYのアートスクールに通うことになって、まず最初にしたことは、男の子との出会いだったという話も、田舎から進学で都会に出た方には大いに共感できると思います。ある日、地下鉄の向かいに座っていた男の子のジーンズの股のところが少し破れていて肌が見えていて、思わず興奮したキースはそれを絵に描きはじめたというエピソードも、エロスこそが描くことの原動力だったことを物語っています。
 キースは(自分がブサイクであることを自覚していたけど)ゲイバーに行ったり、活発に行動し、たくさんの男の子と関係を持ち、たくさん遊んでいたということも隠さずに描かれています。ゲイバーのシーンではレザーを着た2人のGOGO?ホスト?が登場し、とてもエロティックな雰囲気でした。個人的には、クラブ(伝説のパラダイス・ガラージ!)のシーンに感動させられました。のちに恋人になるカルロスがDJをしていて、キースを踊らせようと思ってだんだんBPMを上げていき、キースはガンガン踊ります。そのうちハイになった2人は、シャツを脱ぎ捨て、抱き合い、キス…。当時のようなディスコサウンドに乗せて、アフロアメリカンなディーバが歌い、たくさんのゲイクラブキッズたちがキラキラな服を着てダンスする様は、懐かしく、ゲイテイストで、間違いなく楽しいのですが、一方で、単にお祭り騒ぎをしているのではなく、その高揚感は、奇妙に醒めたキャストたちの演技によって、いわば「異化」されているのです(「MUSIC+SEX=LIFE=HOT」みたいな歌詞にも注目しましょう)

 80年代初頭、ゲイシーンのお祭り騒ぎを尻目に、エイズ禍の時代がひたひたと忍び寄っていました。
 後半は、HIV感染の事実を知ったキースが(まだ現在のような治療法がなく、エイズの発症が死を意味する時代でした)、心を「黒いもの」に侵され、何もかもを捨ててしまいたいと自暴自棄になり…そんなキースを救ったのは、思いがけない出来事だった…という展開。キースは「こんなことはしていられない!」と立ち上がり、猛スピードで作品を生み出し続け、残された数年間を、HIVチャリティの作品制作(あのACT UPにも)に費やし、短い生涯を駆け抜けたのです。ラストシーンでは、場内にすすり泣きが漏れました。
 
 この作品、よく考えると、典型的な美男と美女のラブロマンスというのは皆無で、「フツー」のキャラクターがほとんどいません。キースと親友のクワン、恋人のカルロスはゲイだし、キースの両親もちょっと変わり者です。唯一、キースたちに振り回されながら(デートする時間もないほど)事務所を切り盛りするアシスタントのアマンダ(知念里奈)だけが、しっかり者の(たぶん)ストレート女性として描かれています。でも、彼女だって、ゲイたちに翻弄され、キースのために人生を捧げているという時点で、変な人かもしれません。そういうところもしっくりくるポイントだった気がします。

 有名というだけで大した実力もない「客寄せ」的なキャストを使わず、キャストのみなさんもスタッフのみなさんも一丸となっていい作品を作ろうという思いにあふれていて、素晴らしかったです。ゲイのこととかエイズのことに理解・共感できないと、ああいう風にはならないと思います。

 キャストに関して言うと、主演の柿澤勇人さんの熱演(歌の巧さはもちろん、キースというキャラクターを見事に視覚化していたと思います)もさることながら、モヒカンっぽい髪型でマッチョな大村俊介さん(初めは家業を継いで板前の修業をしていたけどダンサーになったという素敵経歴の持ち主)が光っていました。見た目はGOGO ICHIさん、キレッキレなダンスは東京椿油のダンサーさん、みたいな。ゲイバーのシーンのエロティックさ(ホントにこういう人いるよね、というリアルさ)、随所に出てくるゲイテイストなダンスもかっこよかったです。シビレました。ちなみにこの大村さん、『プリシラ』ではドリアンさんとのWキャストでクレジットされています。もう一人、ゲイバーのシーンで大村さんと一緒にGOGOみたいなホストみたいな役を演じていたのが、やはり高身長でマッチョなSpiさん(『RENT』でベニー役をやってきた方)でしたが、たぶん、あの人がいちばんイケる!という方、多いと思います。

 ミュージカル・インスタレーションという冠が付いているように、この作品は、舞台美術だけでなく全体としてアート的に作られていると思います。ポストモダンアート(ポップアート)の旗手であったキース・へリングのイラストやツェン・クワン・チーの写真が、プロジェクション(一部プロジェクションマッピング)によって多用されたり、わざと平面的なイラストのように作られた小道具がたくさん出てきたりして、面白かったです。

 音楽もよかったです。音楽を言葉で説明するのは難しいのですが、キホンはロックなポップスで、ポップソングの名曲みたいなメロウなメロディラインが随所に盛り込まれていて、感情を揺さぶります。加えて、ドラマチックなバラードあり、ディスコサウンドありで、ゲイミュージカルにこれってどうなの?みたいな違和感はありませんでした。

 SVAとかトランジットアートとか、キースにまつわる専門用語がいろいろ出てきたり(事前に解説が配布されました)、必ずしも展開が時系列じゃなくて回想シーンが多用されているので、少しわかりづらいかもしれませんが、(一緒に観に行った友達が号泣していたように)メッセージはちゃんと伝わると思います。
 おそらくですが、このLGBTブームの時代じゃなかったら日本に来ていなかったかもしれない…と思います。観ることができて本当に幸せです。今後、『RENT』並みに大ヒットして再演も…ということにはなかなかならない気がしますので、観るなら今!だと思います。
 

キース・ヘリングとは?
 
 最後に、おまけとして、キースやその周辺の人(ミュージカルに登場する人)についての解説をお届けします。

 今回のミュージカルは、タイトル通り、時代を駆け抜けた天才、キース・ヘリングの短すぎる生涯をドラマチックにアーティスティックに描いた作品なので、キース・ヘリングやその周辺の人、時代背景についてある程度の予備知識があった方が観やすいと思います。

 キース・ヘリングは1958年ペンシルバニア州生まれ。アマチュア漫画家をしていたお父さんに教えられ、また、ディズニーのアニメに影響を受け、小さな頃からたくさん絵を描いていたそうです。
 高校卒業後、ピッツバーグの商業美術学校に入学しますが、自分のやりたいことがコマーシャルアートではないことに気づき、ニューヨークのスクール・オヴ・ヴィジュアル・アーツ(SVA)に入学。ドローイング以外にも様々なことを学び、また、バスキアらアーティストの卵とも交流しました。
 1980年、ニューヨークの地下鉄の黒い紙が貼られていた広告板に、白いチョークで絵を描く「サブウェイ・ドローイング」というグラフィティ・アートを開始します。そのコミカルで誰もが楽しめる落書きは、地下鉄の通勤客の間で評判となり、一躍キースの名を広めることになりました(勝手に公共の場所に描いたことで逮捕もされますが、アートとしての価値や人々の反響の大きさから恩赦を受けます)
 1982年、伝説のクラブ「パラダイス・ガラージ」で1ヶ月間、ドローイングを展示。1983年にはアンディー・ウォーホルやマドンナと知り合います。翌年には「パラダイス・ガラージ」で自身の誕生日を祝う「パーティー・オブ・ライフ」を開催。マドンナが歌うなど、約3000人が集う一大イベントとなりました。
 1985年、サブウェイ・ドローイングを中止。人種差別に抗議したり、ウォーホルやバスキア、リキテンシュタインらとともにユニセフのチャリティ展覧会に参加しました。
 1986年、(ウォーホルの影響で)1枚の絵を高額で売るのではなくたくさんの人に安く売るべきだとして「POP SHOP」を開店し、Tシャツやポスターなどを販売。また、自由の女神100周年記念にあたり、1000人以上の子どもたちと巨大な自由の女神像を垂れ幕に描きました(キースは以前から子どもに絵を教えていました) 
 1987年、ニューヨークの「アート・アゲインスト・エイズ」展に出品。
 1988年、東京にも「POP SHOP」を開店。また、シカゴ、アトランタ、ワシントンDCで子ども向けのワークショップを開催。そして、この年、キースはHIV陽性と診断されました。
 1989年、キース・へリング財団を設立するとともに、ACT UPをはじめ数多くのHIV/AIDSキャンペーンに精力的に作品を提供しました。
 1990年2月16日、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのアパートでエイズにより死去。

 ミュージカルに準主役的に登場するキャラクターとして、ツェン・クワン・チーがいます。キースとともに80年代のイーストビレッジのアートシーンで活躍した写真家で、マオスーツ(人民服)とサングラスという格好でニューヨークの観光地で自身のポートレートを撮ったシリーズで有名になりました。クワンもオープンリーゲイで、キースとはずっと仲が良く、彼が描く姿やその作品を撮った何万点にも及ぶ写真を1984年に「Art in Transit(邦題:キースヘリング地下鉄アート)」として発表しました。彼もキースの後を追うように1990年3月にエイズで亡くなりました。が、パートナーのRobert-Kristoffer Haynesは生き残り、クワンの作品をギャラリーや美術館に残すことに貢献しました。
 

 それから、劇中ではカルロス(ヒスパニック系のイメージ?)という名前で登場するキースの恋人は、実際は「パラダイス・ガラージ」のDJであることは変わらないのですが、アフリカ系アメリカ人のホワン・デュボーズという人でした(右写真。かわいいですね)。DJとしてどうだったかは、あまり記録が残っていないようです。ホワンはキースより先に、エイズで亡くなったそうです。

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