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アメリカ初の女性宇宙飛行士が同性愛者だったことが発表されました

2012年08月09日

 サリー・ライドはスタンフォード大学で物理学博士号など4つの学位を取得し、1978年、女性として初めて米航空宇宙局(NASA)に宇宙飛行士候補として入りました。そして1983年、晴れてスペースシャトル「チャレンジャー」の乗組員に選ばれ、アメリカで初の女性宇宙飛行士となりました。84年に2度目の飛行を果たしましたが、86年、3度目の飛行はチャレンジャーの爆発事故によって中止となりました。翌年、NASAを引退し、その後は科学教育の普及などに力を注ぎました。そして今年の7月23日、膵臓がんで亡くなりました。オバマ米大統領はサリー・ライド死去の知らせを受け、「サリーは国家的英雄であり、力強い模範だった。サリーの人生は、われわれが達成できることに限界はないことを示した。その業績は将来に残ると確信している」と述べ、追悼しました。
 その「国家的英雄」であるサリー・ライドが同性愛者であったことが明らかになりました。彼女と27年間連れ添っていたパートナーのタム・オショーネシーさんが発表したのです。

 サリー・ライドの姉妹にあたるベアさんは、彼女が生きている間にカミングアウトしなかった理由として「宇宙飛行士の草分けとしての立場」を挙げました。
 『デイリー・ビースト』紙のアンドリュー・サリバン記者は、「米国初の女性宇宙飛行士はもっと早くカミングアウトすべきだった。サリーは、世間の同性愛者に対する見方や、若い同性愛者の希望や自尊心を変えるチャンスがあったにもかかわらず、そうしなかった」と語りました。

 NASAはこれまで、同性愛者にほとんど理解を示してこなかったそうです。NASAが初の女性宇宙飛行士を送り出したのは1983年(ソ連に遅れること20年)。1971年にソ連の宇宙飛行士プログラムが、女性は男性の宇宙飛行士よりも無重力状態に迅速に適応すると報告していたにもかかわらず、です。NASAは女性を宇宙へ送り出すことだけでなく、同性愛者を宇宙へ送り出すことについても消極的でした。
 同性愛者であると公表している科学者はたくさんいます。が、実験室で活動していく機会を得るために、公表を控えている者も多いといいます。一般的にアカデミックな現場は、リベラルで開放的な場として考えられているかもしれませんが、LGBTの科学者には、他の分野と同様に苦難の道が待ち受けています。
 米ゼロックス社パロアルト研究センターで1970年代にマイクロチップの設計を開拓したリン・コンウェイさんは、1968年に性別再指定手術を受けた後、IBMに解雇されました。
 さらに悲惨なのは、「コンピューターの父」アラン・チューリングです(詳しくはこちら
 今でも、レズビアンの科学者は、同僚や上司にさえカミングアウトを控えたいと感じているかもしれません。
 全米ゲイ・レズビアン機構(NOGLSTP)の代表、ロシェル・ダイヤモンドさんは、同性婚や差別問題についての主張が受け入れられないことも多いと語ります。

 サリー・ライドが27年も女性とパートナーシップを結んでいたというニュースは、きっと科学の現場で活躍する方たちにも大きな勇気を与えたと思います。彼女は、米国初の女性宇宙飛行士であるだけでなく、宇宙飛行士初の同性愛者としても歴史に名を残すことになったのです。


同性愛の科学者たち:アラン・チューリングからサリー・ライド(IBTimes)
http://jp.ibtimes.com/articles/33516/20120730/709204.htm

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