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【追悼】ぷれいす東京理事で、同性婚訴訟原告の一人でもあった佐藤郁夫さん

2021年01月20日

 1月18日、ぷれいす東京理事(電話相談部門のコーディネーター、ネスト・プログラムのコーディネーター)で、「結婚の自由をすべての人に」東京訴訟の原告の一人でもあった佐藤郁夫さんが、脳出血で亡くなりました。20日、ぷれいす東京の公式サイトに逝去のお知らせが掲載されました。


 佐藤郁夫さん(いくさん)はゲイであることだけでなく、HIV陽性であることを公にカミングアウトしていて、2010年7月4日のNHK教育ETV特集「HIVと生きる」にも出演していました(当時、顔出しでHIV陽性者としてテレビに出る方は少なく、本当にスゴいことだったと思います)
 
 2019年12月に掲載されたハフィントンポストの「本当に立ち直ったのはHIV感染から5年目のこと。人目をはばからずにわんわん泣いた。 医療現場で体験した差別や偏見」という記事で、佐藤郁夫さんがなぜ人前でHIVについて話すようになったのか、その思いが語られています。
 1997年4月ごろ、結核の発症に伴い、HIV陽性であることがわかりました。それから5年ぐらい経って、HIV陽性者のためのスピーカー研修に参加して、自分が話す番になったら、一気にいろんな思いがこみ上げてきて、わんわん泣いてしまったそうです。「本当の立ち直りはこの時だった」といいます。
 HIV陽性者として、さまざまな差別や偏見に直面してきました。佐藤さんは腎臓が悪くて人工透析をしていたのですが、感染していることでなかなか受け入れてくれる病院が見つからなかったそうです。
「適切な治療をしていればほかの人に感染することはないレベルまで医療が進歩しているのに、当の医療職の人たちの中にまだまだ差別や偏見が残っていると感じます」
「以前に比べればHIV陽性者がネットで情報発信するようになりましたが、人前で話せる陽性者はまだ少ない。そういう人が増えないと、LGBTのようなウェーブは来ないでしょうね」

 いくさんはHIV陽性であることがわかってから今のパートナーのよしさんに出会うまで、50人ぐらいにおつきあいを断られたそうです。よしさんは、「病気は関係ない、あなたが好きだ」と言ってくれて、そのままの郁夫さんを受け入れ、いつもそばに寄り添ってきた素晴らしい方で、お二人は2013年のNLGR+で同性結婚式を挙げました(それだけでなく、NLGR+の検査で陽性とわかった方の相談にも対応してくださったそうです)。OUT IN JAPANの写真にもお二人で写っていらっしゃいます。かずえちゃんのYouTubeにも登場しています。

 人工透析が必要な体でありながら、ぷれいす東京での活動にも携わりながら、「故郷を帰れる街にしたい」という青森の方たちの思いに共感し、青森レインボーパレードも熱心に応援していました。SNSでは、全国各地の方から、いくさんはこんなふうに気にかけてくれた、こんな気遣いをしてくれてうれしかった、本当にありがとう、といった声が続々と上がっています。コミュニティを愛し、たくさんの人に愛された方でした。
 
 そして2019年2月14日、佐藤郁夫さんは「結婚の自由をすべての人に」東京訴訟の原告として会見に臨みました。
「本当はパートナーと一緒にいつも通り並んでいたいのですが、それができないのが現状です。でもこの裁判で勝って、最後には顔を出して、笑って終わりたいと思います」というよしさんのメッセージを代読して、同じように、カミングアウトできないけれども訴訟を見守る方々に向けて、「今は無理に出なくていいよ、と伝えたい」と語りました。「自分がカミングアウトしたいと思うまでは、急がなくていい。それまでは私たち『出られる人』が頑張ります。だから、それまではそっと心の中で応援してくれたら、と伝えたいです」

 同年4月15日の第1回口頭弁論では、15年以上連れ添い、お互いを支えあってきたパートナーと法的な家族になれないこと、万が一どちらかが緊急入院した場合、立ち会えないかもしれないという不安があると訴えました。HIV以外にも病気を持っていることもあり、残された時間がそんなに長くないと感じている、とも語りました。「最期の時には、夫夫(ふうふ)となったパートナーの手を握って「『ありがとう。幸せだった』と感謝をして天国に向かいたいのです」「私たちの日常は男女の夫婦と何一つ変わらない。同性婚が認められ、私が若い頃に持っていた自分への否定的な気持ちを、これからの世代の人が感じなくてもよい社会にしてほしい」

 「最期の時には、夫夫(ふうふ)となったパートナーの手を握って「『ありがとう。幸せだった』と感謝をして天国に向かいたい」と語ったいくさんは、法的に結婚することができないまま、天国へと旅立ってしまいました…。
 


 最後に、個人的な思いを少しだけ書かせていただきます。
 いくさんとは10年ちょっと前、ArcHで開催されていた「Living Together Lounge」で初めてお会いしました(いくさんは「Living Together」の諸々にも携わっていました)。その後もいろんな所でお会いし、2018年の青森レインボーパレードに参加したときは、夜のゲイバー巡りでも一緒でした。最後にお会いしたのは、昨年2月の同性婚訴訟1周年記念イベントでした。
 気さくで、屈託がなく、いつもニコニコして穏やかで、時々大きな目から好奇心が顔をのぞかせるような、少年のような表情を見せるのが印象的でした。
 SNSでは、よしさんがこんなことを言ってた、今日はここに行った、これが美味しかった、とか、日常のことを綴っていて、ほのぼのした気持ちにさせられました。
 よしさんが1月4日、いくさんが倒れて病院に運ばれたとFacebookに書いていらして、とても心配で、快復を祈っていたのですが、まさか、亡くなるなんて…よしさんにかける言葉が見つかりませんでした…。そして、もう二度と会えないのかと思うと、たまらなく寂しい気持ちになり、数日、悲しみに暮れていました。
 これまでのいろいろに感謝申し上げるとともに、心からご冥福をお祈りします。
 偲ぶ会には必ず駆けつけたいと思います。
 
(後藤純一)



【追記】2020.1.29
 北丸雄二さんが東京新聞に佐藤郁夫さんの追悼記事を書いていましたので、ご紹介します。

 

 それから、ぷれいす東京さんが2月7日(日)夜にオンラインで偲ぶ会を開くそうです。YouTube Live配信ですので、どなたでもご視聴いただけます。ご都合のつく方は、ぜひご視聴・ご参加ください。(詳細はこちら

「佐藤郁夫さんを偲ぶ会」
日時:2021年2月7日(日)18:00〜20:00の予定
配信:YouTube ぷれいす東京チャンネル(申込不要)(配信開始後にぷれいす東京チャンネルのホームにリンクが表示されます)

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