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【追悼】本当に多くの方たちに愛された二丁目のレジェンド、『九州男』のまっちゃん

2022年11月04日

 今日、Twitterで多くの方が追悼コメントを書いていましたし、Yahoo!(東スポ)のニュースにもなったように、二丁目のバー『九州男』のオーナーであるまっちゃん(増田逸男さん)が、がんで他界していたことが明らかになりました。先月26日に郷里の実家で親族が看取り、葬儀も済ませたそうです。享年74歳。3日後の29日は、75歳の誕生日でした。

 まっちゃんは1970年に上京し、1977年に二丁目でバー『九州男』をオープンしました。
 1985~86年にかけてフレディ・マーキュリーと親交があった話は『アド街チック天国』二丁目編などのメディアでも紹介されて有名になり、映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットした際はまっちゃんもコメントを求められ、「映画で見るようなワガママは感じなかった。もっと優しい。とっても紳士」という素敵なフォローの言葉を送っていました。
 持ち前の明るさや人の良さ、セクシーさで多くの方たちに愛され、二丁目でも最も広いお店の一つである『九州男』を40年以上にわたって経営してきました。途中でお店のママはかつきさんに譲り、ご自身は引退しましたが、やっぱりカウンターに立ちたくなったようで、2015年に『男兄さん』という小さなバーを始めていました。
 まっちゃんはスポーツマンでもあり、1990年のバンクーバー、19994年のニューヨークと、ゲイゲームズにも参加していて、2002年のシドニー大会ではテニスで銀メダルを獲っていました。
 『九州男』で開催されてきた「Living Togetherのど自慢」では、毎回最後に登場して1曲歌うというのが恒例になっていて、来場者のみなさんを楽しませていました。今年6月に開催された「Living Togetherのど自慢」では、亡くなった長谷川さんについて、ご自身が二丁目に出始めた20代の頃、どこに行っても長谷川さんがいて、ものすごくモテて、話もうまかったから取り巻きがいて…というまっちゃんらしい追悼の言葉を捧げていました。『九州男』さんは、コミュニティセンター「akta」ができる以前の1990年代からMASH東京のSTD勉強会や様々なHIV関連イベントに会場提供してくださっていました。そういう意味でも僕らは『九州男』さんにたいへんお世話になってきたと思います。
 
 30年近くつきあいのあった方は東スポの取材に対して、「もう何年も前にがんとわかり、治療を続けていたそうだが、本人はそれを口にしなかった。むしろ病気を感じさせないほど元気で、店を手伝ったり、飲みに出たりしていた。得意のテニスやバレーボールを引退したのは今年で、水泳は『年間200キロ泳ぐ』と公言していた。お父さんのような人生の大先輩で、二丁目のレジェンド的存在。特に40代以上の人たちは、まっちゃんとの思い出がたくさんあるはず」と語っています。この方は昨年、50歳の誕生日を友人に『九州男』で祝ってもらい、店にいたまっちゃんから後日、「素晴らしい仲間ですね、、大事にして下さい。歳をとると 仲間が居なくなってしまいます。とても寂しい事です。一人でポジティブに生きるしかありません!」というLINEのメッセージをもらっていたそうです。(まっちゃんの温かさが伝わってくるエピソードですね)

 7、8年くらい前だと思いますが、何のイベントだったかは忘れましたが、AiSOTOPE LOUNGEのサブフロアでまっちゃんがGOGOをやったことがあり、フロアじゅうが「まっちゃん!まっちゃん!」と大合唱になったのを憶えています。本当にたくさんの二丁目ピープルに愛されていた方でした。
 SNSには、まっちゃんにあんなことでお世話になった、こんなに優しかった、という感謝の投稿が次々に寄せられています。
 
 二丁目という街が、たくさんのゲイの方が集まって、ワイワイ騒ぎ、楽しみ、仲間ができたり、彼氏ができたりするような二丁目らしい街であり続けて来れたのは、まっちゃんという大先輩(ロールモデル)がいてくれたおかげでもあると思います。
 まっちゃんの姿はきっと、ずっと皆さんの心の中に生き続けることでしょう。
 心からご冥福をお祈りするとともに、本当にありがとう、と申し上げたい気持ちです。
 
(文:後藤純一) 

  
【追記】
 YouTubeチャンネル「カマブ3アチョー!【新宿2丁目ママ4人】」にまっちゃんへのインタビューが掲載されていました。ぜひご覧ください。



参考記事:
〝新宿2丁目のレジェンド〟まっちゃんが74歳で死去 フレディ・マーキュリーと親交(東スポWeb)
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/243955

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