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『虎に翼』で同性愛が描かれたことを受け、脚本の吉田恵里香さんが「同性愛は設定でもなんでもない」「私は、透明化されている人たちを描き続けたい」とコメントしました

2024年06月11日

 朝ドラ『虎に翼』で6月10日、登場人物の一人が同性の友人への愛を吐露するシーンが描かれたことが話題になっています。その放送後に脚本の吉田恵里香さんが「同性愛は設定でもなんでもない」「私は、透明化されている人たちを描き続けたい」とのコメントを発表したことも賞賛されています。

 
 女性初の弁護士、女性初の裁判所長ともなった三淵嘉子さんをモデルにした朝ドラ『虎に翼』。あからさまに男尊女卑な(女性が裁判官になることが制度的に認められていなかった)戦前の日本社会において弁護士を目指す女性がどのような扱いを受けたかということがリアルに描かれ、そんな時代にあっても、おかしいことには「はて?」と疑問を持ち、行動に移し、必ず男女平等は実現するという信念をブレずに持ち続け、一方で多くの仲間が脱落していく様に涙し、自身も挫折を味わい…という寅子の姿に、全国の本当にたくさんの方たちが日々、SNSで『虎に翼』への応援のコメントをアップし、熱狂を生んできました。すこたんの伊藤悟さんなどもそうですが、LGBTQコミュニティの中でも多くの視聴者が熱く見守っています。
 5月3日の放送では、寅子が法律を「きれいなお水が湧き出ている場所」と喩え、「私たちはきれいなお水に変な色を混ぜられたり。汚されたりしないように守らなきゃいけない、きれいなお水を正しい場所に導かなきゃいけない」と語り、憲法記念日に法律の本質的な意義を見事に表現した神回だと讃えられました。終戦後、悲嘆にくれた寅子が、母に促され、闇市で美味しいものを買って(かつて優三と過ごした)河原に行き、それを包んでいた新聞紙を広げたとき、「すべての国民は法の下に平等である」という新憲法の文言が目に飛び込んできて…という5月31日の回も号泣モノでした。思えばこの「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、又は門地により、政治的、経済的、又は社会的関係において差別されない」という憲法14条の文言は、初回から読み上げられていました。寅子はこの憲法14条に励まされ、再び立ち上がることができたのです。
 
 前置きが長くなりましたが、そんな『虎に翼』の6月10日放送回(第51話)で、同性への愛を表現するエピソードが放送されました。判事・花岡が「法を犯すことはできない」との信念で闇市の物資を買わず、餓死したというニュースが世間にショックを与えた後、戦地から戻った花岡の盟友・轟が、やけ酒を飲んで自暴自棄になっていたところに、大学時代の同期・よねが通りかかり、介抱する場面が描かれました。よねは「惚れてたんだろ、花岡に」と言い、轟は「わからない」と答えます。よねは「白黒はっきりつけるつもりはない」と、「カフェで惚れた腫れたはたくさん見てきたからわかる」「私の前では強がる必要はない」と言い、その優しさにほだされて、轟は本音を語りはじめ、「花岡が帝大を諦めて名律大に来てくれたことが嬉しかった。花岡がいなければ俺は弁護士を目指さなかった。やつが判事になって徴兵を逃れたことが嬉しかった。俺は花岡がいる日本に帰りたいと思った。新聞記事を見て、花岡らしいと思った」と泣きながら語ったのでした。
 轟が花岡への思いを泣きながら語ったのは、愛と呼ぶほかない、胸を打つようなものでした。このエピソードは放送後、すぐに大きな反響を呼びました。そして、これまでありがちだった“これは同性愛ではなく男どうしの友情です”的な言い訳や、曖昧な“グレーゾーン”のままで放置する対応ではなく、脚本を担当した吉田恵里香さんがその日のうちにX(Twitter)に長文で「同性愛は設定でもなんでもない」「私は、透明化されている人たちを描き続けたい」と、自身の思いを投稿したことも素晴らしかったです。以下、吉田さんのコメント全文です。
 
「よねが【白黒つけたい訳でも白状させたい訳でもない】と言っていますし、轟も自認している訳ではないのですが、一応、念の為に書いておきますね。
 轟の、花岡への想いは初登場の時から【恋愛的感情を含んでいる】として描いていて私の中で一貫しています(本人は無自覚でも)。人物設定を考える時から彼のセクシャリティは決まっていました。
 もし轟が女性だったら、きっと最初から花岡との関係の見えかたが違っていたでしょう。私も含めて思い込みや偏見で人をカテゴライズしています。私も日々無意識の決めつけをしてしまい反省してばかりです。個人的なことを全て明言すべきとは全く思いませんが、その決めつけで傷つく人がいることは確かなことです。
 特集ドラマ「生理のおじさんとその娘」でも、今回と似たような描き方で、レズビアンを登場させているのですが、その時も「この設定はいらなかった」「盛り込みすぎている」というご意見をいただきました。そう思わせる私の本の未熟さは100%反省しますが、同性愛は設定でもなんでもないです。こういう意見があがる度、エンタメが「透明化してきた人々」の多さ。その罪深さを感じます。これは個々の問題よりも、社会全体の教育や価値観の問題です。
 轟自身がまだ自認しきっているわけでも答えをだしたいわけでもないと思うので、これを機に視聴者の方々も色々考えてご覧いただければ大変嬉しいです。こういう機会を朝ドラでもらえることはありがたく感じています。
 私は、透明化されている人たちを描き続けたい。
 オリジナルの作品や理解あるスタッフとの作品ではそれを心掛けています(理解ある、はて?ではありますがこれ以外の形容がないです)。
 それが特別なことと思われる世界が悲しく残念ですし、描き方には注意を払うものの、私は現実にあるものを書いているだけです。褒められたい訳でも説教したい訳でもないです。
 長年刷り込まれてきた様々な嫌悪感や差別に対して、何か少しでも変わっていくことを望みます。
 私なりに勉強や取材を重ねているつもりですが、間違えることも沢山あるし、やりかたや言葉の使い方に後悔もある。伝わらないこともある。私のやり方が正しいのか、それこそ当事者の方から不快じゃないのかも分からないこともある。でも私なりにやっている最中です。長々とごめんなさいね~。
 こういうことを作家が書くことが嫌な人もいるだろうけど、言わなきゃいけないことは言わなきゃいけないんです。ごめんね!」

 素晴らしいですよね。ますます『虎に翼』が朝ドラ史上最高の名作だと確信できました。
 
 ちなみに、同日の放送のタイトルバックでは「ジェンダー・セクシュアリティ考証」として前川直哉さんのお名前がクレジットされており、吉田氏が轟を描くにあたり、同性愛について丁寧に取材や下調べを重ねていたことが垣間見えます。SNS上でもその番組制作の姿勢に称賛の声が集まっているそうです。

※福島大特任准教授の前川直哉さんはオープンリー・ゲイの方で、福島におけるLGBTQコミュニティ運動の立役者です。『〈男性同性愛者〉の社会史――アイデンティティの受容/クローゼットへの解放』という著書で、大正〜戦後の同性愛が“タブー"であった時代に当事者がどのように自身のセクシュアリティを受け止め、生きていたかを研究しており、その時代の同性愛者の「生」に最も詳しい、第一人者と言える方です。ですので、今回の轟のエピソードを描くにあたっての監修として前川さんほど適任な方はいらっしゃらないのではないでしょうか

 

参考記事:
「虎に翼」脚本家、轟(戸塚純貴)のセクシュアリティに言及「同性愛は設定でもなんでもないです」(modelpress)
https://mdpr.jp/drama/4299418
【全文】「虎に翼」脚本家・吉田恵里香氏 轟の花岡への想い描いた真意説明「決めつけで傷つく人がいることは確かなことです」(デイリースポーツ)
https://origin.daily.co.jp/gossip/2024/06/10/0017754779.shtml?ph=1

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