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REVIEW

『LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の闘い』

LGBTの公民権運動の歴史を子どもたちのためにわかりやすく解説した『Gay & Lesbian History for Kids』の日本語版。令和元年末に誕生した、まさに歴史的な一冊です。ぜひ、読んでみてください。

『LGBTヒストリーブック』

LGBTの公民権運動(権利回復運動)の歴史をアメリカの子どもたちのためにわかりやすく解説した『Gay & Lesbian History for Kids』という本を、北丸雄二さんが的確な日本語に訳し、昨年12月に刊行されたのが『LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の闘い』です。令和元年末に誕生した、まさに歴史的な一冊です。なんでパレードってやってるの? PRIDEってどういうことなの? LGBTはなぜ権利を主張するの? といった疑問をお持ちの方などもぜひ、読んでみてください。
 


『LGBTヒストリーブック』レビュー

 2015年にジェローム・ポーレンという人が、LGBTの公民権運動の歴史をひもとく子ども向けの本として著した『Gay & Lesbian History for Kids』を、ジャーナリストの北丸雄二さんが翻訳した本です。正直、小学生向けにしてはあまりに中味が濃い本ですが、たくさんの人物のエピソードが生き生きと語られ、たくさんの写真や資料が散りばめられた、素晴らしい教科書になっています。「ストーンウォール以前にこんなに運動があったのか!」と驚きの連続でした。 
 
 第1章では、1900年までの歴史が概観されています。古代ギリシアや古代中国の同性愛、ネイティブ・アメリカンのTWO-SPIRITと呼ばれる人々、ウォルト・ホイットマンの『草の葉』、オスカー・ワイルドの逮捕…。

 第2章では、1930年代までの「運動のはじまり」が描かれます。19世紀ドイツのマグヌス・ヒルシュフェルトが設立した科学的人道主義委員会(同性愛を罰する刑法の撤廃を目指した初の人権組織)、そしてそれを無残に潰したナチス。ピンクの三角形。パリのガートルード・スタイン(レズビアンの作家)。リリー・エルベの世界初の性別適合手術。マレーネ・ディートリッヒの男装(のちに大統領自由勲章を受章)。そして、全米黒人地位向上協会やアメリカ自由人権協会の創設メンバーであり、ノーベル平和賞も受賞した活動家のジェーン・アダムズ(彼女もレズビアンでした)

 第3章では、1940年代〜50年代のことが語られます。アラン・チューリングの悲劇。ラヴェンダー狩り(赤狩りとともに、同性愛者も迫害された)。アメリカ初のゲイ雑誌『ヴァイス・ヴァーサ』。キンゼイ・レポートの衝撃。そして1950年に立ち上げられたマタシン協会は、ホモファイル運動を展開しました(ホモセクシュアルはセックスを連想させる言葉であるため、ファイル=愛を用いた)。アメリカで初めて性別適合手術を受けてセンセーションを巻き起こしたクリスティーン・ジョーゲンセン。「ビート族」アレン・ギンズバーグの『吠える』。そして1955年、全米初のレズビアン団体「ビリティスの娘たち」が設立され、『ザ・ラダー』という雑誌が創刊されました。

 第4章は1960年代です。マタシン協会の「ゆっくり穏便に」方針に不満を抱いたランディ・ウィッカーは、「ニューヨーク同性愛連盟」を立ち上げました。1961年、毎週日曜日に「ブラック・キャット」というお店で女装してゲイ・オペラを上演していたホゼ・サリアが、なんとサンフランシスコ市政執行委員に立候補しました。ハーヴェイ・ミルク以前にも、そういう人がいたのです(驚天動地の出来事でした。残念ながら当選はしませんでしたが…)。ホゼ・サリアはその後、世界最大のLGBTチャリティ団体となるICSを立ち上げました。1963年の有名なワシントン大行進の際、キング牧師とともにこの歴史的な行進を組織した人物として、ベイヤード・ラスティンというゲイの人がいたことは、ぜひ知っていただきたいです。「ワシントン・マタシン協会」を設立した(ゲイであるがゆえに米陸軍測量部をクビになった)フランク・カムニーは、「ビリティスの娘たち」と連携し、1965年、ホワイトハウスの前で同性愛者の権利を訴えるデモを行いました。そして、ストーンウォールです。ただし、ストーンウォールが最初の暴動だったわけではなく、小さな暴動はそれ以前からあちこちで起こっていました。LGBTの暴動で最初に記録されているのは、1959年、LAの「クーパーズ・ドーナッツ」というお店で警察が2人の客を連行しようとして他の客たちがドーナツを投げ始めた、というものでした。

 これで全体の約2/5です(全部で8章まであります)。このあと、1970年にストーンウォール1周年を記念して各地でプライドパレードが開催され、77年にはミルクが初のオープンリー・ゲイの議員となり(翌年、暗殺され)、80年代にエイズパニックが起こり…といった、比較的よく知られた歴史が語られます。

 北丸さんのおかげで、翻訳本にありがちな「こなれていない」言い回しなどもなく、とても読みやすくなっています。そして、こうした長い長い歴史を貫く、差別者の大きな力に屈することなく、あきらめずに声を上げ、立ち上がり、闘ってきたたくさんの人々の「PRIDE」を(このメルマガのタイトルにもなっていますが)、この本は雄弁に語ってくれています。
 『LGBTヒストリーブック』は令和元年末に誕生した、まさに歴史的な一冊です。パレードってなんでやってるの? PRIDEってどういうことなの? LGBTはなぜ権利を主張するの? といった疑問をお持ちの方はぜひ、この本を読んでみてください。紙の本も電子書籍もあります。




北丸雄二さんが語る、LGBTの運動の歴史

 実は昨年12月、訳者の北丸雄二さんが日本記者クラブで記者会見を開き、公民権運動としてのアメリカのLGBT運動の歴史について語っていました。『LGBTヒストリーブック』の意義が、より深く、より熱く伝わることを願い、ここでその時のお話をご紹介いたします。
 
 北丸さんは1993年から96年まで中日新聞(東京新聞)のニューヨーク支局長を務め、その後もニューヨークに留まってフリーのジャーナリストとして活躍(『バディ』誌で「北丸雄二のNY通信」という連載も)、長年にわたってアメリカのLGBTムーブメントの最前線をレポートしてくださっていましたが、昨年、日本に帰って来られたそうです。「戻って来たら、国内はにわかLGBTブームになっていた」と北丸さん。しかし、せっかく盛り上がっているブームを人権運動としてする資料がない、知識が共有されていないという実情に気づき、これを穴埋めするため、『LGBTヒストリーブック』の翻訳に着手しました。『LGBTヒストリーブック』は、米国の独立系出版社の編集長、ジェローム・ポーレンが子ども向けに書いた本ですが、300件の文献に基づき、実に400人近い人物が登場し、写真もたくさん盛り込まれ、記述も平易でわかりやすい、それでいて「論理に関しては一点の妥協もない。アメリカの民主主義の実現の仕方を学ぶ一級の資料」なんだそうです。

 北丸さんは25年前、ストーンウォール25周年記念のプライドに沸くニューヨークで、国連の方やジャーナリストなど、いろんな日本人の方たちに「LGBTの取材をしたほうがいいよ」と声をかけたものの、誰一人興味を持ってくれなかった、というお話から始め(年輩の方はきまって「セックスの話でしょ?」と言う。「趣味」の問題だと捉えられていた)、アメリカではLGBTのイシューが女性、黒人に次ぐ三大差別の最後の公民権運動とみなされている、LGBTコミュニティの人々は、立法がダメなら司法に訴える、大統領にも要請する、というように、手を替え品を替え、LGBTの権利擁護運動が前進するよう、闘ってきた、それはとりもなおさず民主主義の教科書であり、LGBTをケーススタディとして、現代史として読むことができる、と語りました。

 『LGBTヒストリーブック』の書き出しは、病院の集中治療室に運ばれた息子に、お母さんが面会に来て、しかし、もう一人のお母さんが入ろうとしたら「父親はどこですか」と止められ、すったもんだして、息子の命の危機に際して、面会が認められないなんて!と裁判を起こした、というエピソードです。こうした名もなき英雄たちが、歴史を作ってきたのです。

 この本の副題は「絶対に諦めなかった人々の100年の闘い」ですが、100年よりもっと前、記述は19世紀後半から始まっています。『幸福な王子』や『サロメ』で有名な作家、オスカー・ワイルドは、1895年、同性との性行為を咎められ、禁固2年の判決を受けます。ワイルドは「私には何も言う権利がないのですか?」と裁判官に問いますが、黙殺され、法廷から引きずり出されました。彼がそこで言いたかったこと、あるいは、コンピュータの父であり、第二次大戦の英雄でありながら同性との性行為で逮捕され、失意のうちに亡くなったアラン・チューリングが言いたかったこと、そういうことが、この本には書かれているといいます。同性愛とは語られなければ存在しない愛だった、差異を可視化しなければならない、が、語ると(プライベートな)セックスの話だと受け取られるというジレンマがあった、アメリカは性解放が進んでいると思われがちだが、もともと厳格なピューリタンの国であり、裸やセックスはタブーだった、今でも福音派の人々が多数を占めていて…などなど。

 80年代、エイズ禍の時代に、ゲイが(それまでは「穏便に」というスタンスの方が多かったのですが)カミングアウトして立ち上がるようになる、それは、自分のためだけでなく、このままだと大勢が死んでいってしまう、人々の命を救わなくてはいけないという大義名分を勝ち取ったからだった、そして85年にアメリカの理想を体現した大スター、ロック・ハドソンがエイズで亡くなり、「あんなに男らしい男がゲイだったのか」とインパクトを与えた、アメリカの倫理というのは、1に「JUSTICE(正義)」、2に「FAIRNESS(公正)」、3つめが「CHILDREN(子どもたちにとってどうか)」だが、ロック・ハドソンが死んだ、あれは正義だったのか、公正だったのか、そういう議論で、世の中の流れが変わっていった、というお話が、たいへん興味深かったです。

 その後も、北丸さんは、その博覧強記ぶりを全開にして(前夜に中村晢さんの死を偲んで呑んでいたので二日酔いだったそうですが、とても信じられないくらい)、トレヴァー・プロジェクト(LGBTQの若者のための24時間ホットライン)や、It gets better(10代のゲイの自殺が相次いだことを受けて、きっと状況はよくなるよ、大丈夫だよ、と伝える動画キャンペーン)、グレン・バークのこと(メジャーリーグで活躍した黒人の選手で、High five=ハイタッチを発明した人。引退後にカムアウトし、95年にエイズで亡くなりました)、そして今現在のピート・ブティジェッジの話まで、縦横無尽に語りながら、会場の記者さんたちに向けて、アメリカでLGBTイシューがどのように進んできたか、日本はどうか、というお話を語りまくりました。

こちらにその時のお話が映像で記録されています。興味のある方はぜひ、ご覧になってみてください。

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