REVIEW
映画『君の名前で僕を呼んで』
『モーリス』のジェームズ・アイボリーが脚本を執筆し、見事にアカデミー賞に輝いた『君の名前で僕を呼んで』が公開中です。『モーリス』にも通じるような、美青年たちの恋を格調高く描いた映画ですが、もしかしたら男どうしの愛というものへの見方(概念)が変わるかもしれない、いろんな見方ができる奥の深い作品です。
またひとつ、ものすごい傑作が誕生しました。『モーリス』のジェームズ・アイボリーが脚本を執筆し、今年度のアカデミー脚色賞に輝いた映画『君の名前で僕を呼んで』です。一見、『モーリス』や『アナザー・カントリー』のような美青年たちを主人公とした「お耽美」ゲイ映画の系譜に位置づけられるような作品、若いイケメンたちがバカンスで一夏の恋(アバンチュール)を楽しむセクシーな作品、というイメージだと思いますが(その通りなのですが)、それだけにとどまらない、ものすごく知的で、極めて芸術性の高い、奥の深い作品でした。レビューをお届けします。(後藤純一)
<あらすじ>
1983年。17歳のエリオは今年も、両親とともに、北イタリアの避暑地にあるヴィラ(別荘)で夏休みを過ごしている。父親は大学教授で、古代ギリシャ・ローマの美術史を教えている。ヴィラには毎年、教授の教え子が1人、研究の手伝いを兼ねてやってくる。今年は容姿端麗なオリヴァーという大学院生だ。背が高く、快活で知的な好青年・オリヴァーに女性たちは夢中になる一方、エリオは「なんとなく横柄そう」とけなす。みんながバレーボールに興じているとき、オリヴァーはさりげなくエリオの体に触れる。ギターでバッハを弾いているエリオにアンコールをお願いし、エリオは同じ曲をピアノで弾いてみせる。二人は一緒に自転車で街に出かけ、買い物をしたり、プールで泳いだり、二人の時間を過ごすようになる。そして…
イケメンどうしのひと夏の恋、なんてロマンティックなんだろう、とか、やたら脱いでるシーンが出てくるけど、サービスなのかな、とか、ラストシーンはせつなかった…とか、エリオの両親の応援のしかたがハンパないけど、どうしてそこまで男どうしの恋に肩入れできるんだろう?といった感想を持つ方が多いと思います。
この、「どうしてそこまで男どうしの恋を応援するんだろう?」とビックリしてしまうような、両親の寛容さといいますか、相手が男だろうと女だろうと関係ない、息子にとってより豊かな、実りある恋愛になればそれでいいし、全面的に応援しようじゃないか、という感覚、そこがこの映画のポイントだと思います。
冒頭、古代ギリシャ・ローマ時代の男性の裸体の彫刻や壺絵などが映し出され、この映画がどういう世界(フィクション)として設定されているかが示唆されます。
エリオの父親は、オリヴァーに、古代ギリシャ・ローマの彫刻作品の資料の整理を手伝ってもらっていますし(そのためにオリヴァーを呼んでいます)、湖から彫刻が引き上げられ、それを見に行く場面もありますので、冒頭でそういう作品が映し出されるのは当然です。でも、それだけではありません。古代ギリシャというのは、プラトンの『饗宴』にも書かれているように、年長の男性が少年を愛し、立派な市民として育て上げるという男どうしの恋愛が、市民にとっての理想的な愛として称揚されていた時代でした。時代が下って古代ローマの時代になると男どうしの愛はもう少し俗なものになりますが、美少年アンティノウスを心から愛し、その彫像を作らせたりしたハドリアヌス帝のような崇高な愛のエピソードも有名です(ちなみに劇中の会話の中にも「ハドリアヌス帝」が出てきます)
おそらくですが、エリオとオリヴァーの関係は、古代ギリシャ・ローマ時代のような年長者と少年の理想的な恋愛として描かれています。
舞台となっている北イタリアの田舎町は、どこか牧歌的で素朴な美しさが保たれている場所で、時々、古代の宮殿ってこんな感じだったのかな?と思わせたり、バレエ・リュスの『牧神の午後』(ニジンスキーは古代ギリシャの壺絵にインスパイアされて、あの振付を生み出したそうです)を彷彿させるものがありました(音楽はドビュッシーではなくバッハとかラヴェルとかサティとかでしたが…)
相手が男でも女でも、それが自分にとって実り多い、豊かな、成長につながるような関係ならそれでいいという、ホモフォビアというものが一切ない世界。だからこそ、両親も分け隔てなく接し、応援してくれている、なんならエリオとオリヴァーの恋愛を「素晴らしい友情」とか「友情以上のもの」と褒め称えてくれるのです。少年エリオは、そういう一切偏見がない世界で、いわば「タブラ・ラサ」(白紙状態)として、女の子とのセックスも試すし、年上の男性にも恋するのです。
「だって、ヨーロッパ文明の源流である古代ギリシャ・ローマの時代って、みんなそうだったでしょ?」とでも言いたげです。そう言うことで、同性愛への偏見(ホモフォビア)を打ち砕こうというのです。
エリオの家族もオリヴァーもユダヤ教徒であるという設定は、(中世以降、同性愛者迫害の原因となる)キリスト教の影響を回避し、ユートピアを創り上げるために重要だったのでしょう。
二人は、惹かれあい、結ばれ、半ば公然とデートをしている最中に、ただの一言も「同性愛」とか「ゲイ」という言葉を発していません。2つの意味があると思います。
一つは、「同性愛」とか「同性愛者」という言葉=概念が誕生したのは19世紀です。それ以前には、男どうしのセックスという行為についての概念しかありませんでした。だから、古代ギリシャ・ローマを模したこの世界では、「同性愛」とか「同性愛者」という言葉がないのです。
もう一つは、そうした古代ギリシャ・ローマの平和で理想的な世界に闖入してきた「アメリカーノ」であるオリヴァーは、どうやら自身をゲイであるとアイデンティファイしていて、それが周囲に知られることを恐れているフシがあり、あえてその名を口にしないということです。
ごく短いシーンですが、あからさまにゲイであるカップルが別荘を訪ねてくるシーンがあります(このカップルのうち、ずんぐりした方が、原作者のアンドレ・アシマンだそうです)。エリオは「ソニー&シェールが来るんだね」とバカにしたように言い、彼らから誕生日プレゼントでもらったシャツを着たくないと主張します。父親はそれを諌め(この映画で、唯一、父親が怒るシーンです)、丁重に扱うように諭します。
このシーンがとても興味深かったのは、もしエリオが将来、ゲイだと自覚し、ゲイとして生きることになったとしても、両親はちゃんと丁重に受け止めるから安心だよ、というふうに見ることもできるのですが、もっと別の…違う意図を読み取ることもできたからです。
エリオとオリヴァーは、このゲイカップルとはほとんど接点を持たず、上階のベランダから、彼らが帰って行くのを見送ります。あえて、二人の関係と、ゲイであることは、全然別のことなんですよ、と示唆しているようにも見えるのです。
古代ギリシャ・ローマの、男も女も関係なくどちらも愛していい、好きになった人がたまたま同性だったり異性だったりするという世界と、現代のゲイの、自分は生まれつき男しか愛せなくて、女性は無理で、ずっと男性のパートナーと一緒に生きていきます、美意識高めで、ちょっとオネエ入ってます、というようなありようは、実は相容れない(うまく言えないのですが、男しか愛せないと言った瞬間、サーっと人々が引いてしまうようなイメージ)ということがあるのではないかと感じました。
だから、自分が男しか愛せないゲイだと自覚しているオリヴァーは、この古代ギリシャ・ローマ的な架空の世界で、それがバレないようにビクビクし、女の子とも絡んでみたり、できるだけ男らしく振る舞ったり、エリオの母親が「(この恋心を)話すべきか、死ぬべきか」という『エプタメロン』の一節を朗読したという話に敏感に反応したり、エリオとすぐにデキてしまうのではなく、慎重に探りを入れてみたりするのです。
『君の名前で僕を呼んで』は、古代ギリシャ・ローマというヨーロッパ文明の源流であるいにしえの世界をなぞりながら、『モーリス』から始まり、『ブエノスアイレス』(最後の滝のシーン)や『ブロークバック・マウンテン』(青いシャツ)など、古今東西の名作ゲイ映画の歴史をも踏まえたうえで、これまで不遇な扱いを受けてきた「男どうしの愛」というものを全面的に肯定し、礼賛するために、教養と美意識を駆使して創り上げた精緻にして壮大な芸術作品なのだと感じました。
『君の名前で僕を呼んで』Call me by your name
2017年/イタリア・フランス・ブラジル・アメリカ合作/監督:ルカ・グァダニーノ/出演:アーミー・ハマー、ティモシー・シャラメ、マイケル・スタールバーグほか/TOHOシネマズ シャンテ、新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
INDEX
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