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REVIEW

映画『13回の新月のある年に』

ニュー・ジャーマン・シネマの鬼才、ファスビンダーの未公開作品が、ついに劇場公開されました。たいへん刺激的でアバンギャルドな、70年代クィア映画の傑作です。観るなら今、です。

映画『13回の新月のある年に』

ニュー・ジャーマン・シネマの鬼才、ライナー・ベルナー・ファスビンダー。まるでトム・オブ・フィンランドの世界をそのまま映画にしたかのような(もっと妖しく幻想的ですが)ゲイ映画史上に燦然と輝くエロティックかつ耽美的な作品『ファスビンダーのケレル』を撮り終えてすぐ、コカインの過剰摂取により37歳で死去した(自殺だったという説もあります)、伝説的な映画監督です。ファスビンダー自身もゲイで、たくさんの恋人がいました。その中の一人で、ファスビンダー作品にも出演していた俳優のアルミン・マイアーは、ファスビンダーの33歳のバースデーパーティに呼ばれなかったことにショックを受けて、睡眠薬を大量に飲んで自殺したと言われています。1978年のことです。アルミンの死を受けて、ファスビンダーが原案・製作・監督・脚本・撮影・美術・編集の全てを自ら行い、製作した映画が『13回の新月のある年に』です。クィアな主人公の最期の数日間をセンセーショナルかつエモーショナルに描き出します。ずっと未公開だった幻の作品が、ついに劇場公開されました。レビューをお届けします。(後藤純一)

<あらすじ>
男性から女性に性転換したエルヴィラ。過去に女性と結婚しており、娘もいるが、男装して男娼を買うような曖昧な性を生きていた。そんなある日、一緒に暮らしていた男・クリストフが家を出て行ってしまう。絶望したエルヴィラは仲の良い娼婦・ツォラに支えられ、育ての親シスター・グルドンのもとを訪れる。妻や娘にも会い、過去を振り返ろうとするエルヴィラだったが、昔の自分に戻れないという現実を突きつけられるだけだった。さらにエルヴィラは、自分が性転換するきっかけとなった男・アントンに会いに行くが…。

 冒頭から、滝に打たれたような衝撃を受けました。
 フランクフルトの街。川べりの公園。朗々と流れる音楽は、マーラーの交響曲第5番第4楽章(いわゆる「マーラーのアダージェット」)。夜の公園では、レザージャケットを着た男たちがたむろしていますが、その中の一人が、ハンサムな男にゆっくり近づいていき、札を握らせ、ひとときの快楽身を委ねようとします。「7年おきに巡って来る太陰年は、人々も鬱になりがちである。新月が13回ある年も同様で、太陰年と13回の新月のある年が重なると、なすすべもなく破滅する者が幾人も現れる。それは20世紀に何度かあった。1978年もそうだ…」という極太の文字(もちろんドイツ語)が画面を覆います。股間をまさぐった相手の男は、「マ○コだ!」と騒ぎはじめ、他の男娼たちも集まってきます。そうして、女性であることがバレた主人公・エルヴィラは、罵りの言葉とともにひどく殴られ、血を流し、這うようにして立ち去ります…。 
 
 「マーラーのアダージェット」が流れたら、これはもう、『ベニスに死す』でしょう。人生における至高の価値、ひとときの若さに宿る「美」に魅入られながら、永遠の死へと誘われていく老教授・アッシェンバッハと同じ運命を、この主人公も辿るのだろうな…と暗示するものです。しかし、この冒頭のシーンは、あまりにも惨めで、倒錯的で、耽美的な世界観とはかけ離れたものでしたから、ここでの「マーラーのアダージェット」は皮肉な響きと言いますか、ブレヒト的な異化効果をもたらすようなものでした。(ちなみに終盤、エルヴィラにとってのタジオ(運命の人)がどんな人物なのか、明らかになるシーンは、実に奥が深いです。ハッとさせられます)
 
 エルヴィラは、ハッテン公園で殴られたあと、命からがら逃げ帰りますが、家に入ると、3年前に出て行った恋人のクリストフがいて、なぜお前はそんなに太ったんだ、と(ただでさえ顔が腫れているのに)また殴られ、そしてクリストフは「お前は女なんかじゃない!」と残酷に言い放ち、荷物をまとめて出て行き、エルヴィラは彼を追いかけ、去ろうとする車のボンネットにつかまるのですが、冷たく振り払われ、道端に転がり…といった調子で、本当に不憫です。男でもない、かと言って女でもない(女性ではあるのですが、すっかり中年になり、女として振り向いてもらえない)、ノンケからもゲイからも顧みられず、誰にも愛されず、誰も家族になってくれない、話も聞いてくれない…そんな状況で、絶望の淵へと向かっていくのです。
 
 考えてみると、ドラァグクイーン映画『プリシラ』で、フェリシアがノンケ男を誘惑して、女装した男だとバレて殺されそうになるシーンがありますが、冒頭のハッテン公園のシーンはその逆ですよね。セックスを求めて殺気立った磁場においては、「不適切な」性器を持った人間が、いわば「異物」として迫害されうるという狭量な真実。人は(パンセクシュアルの人でもない限り)セックスにおいて相手に男/女であることを要求し、トランスジェンダーやインターセックス(クィア)の身体を許容しない、それはなんと不寛容で保守的なことだろうか、という問いなのでしょうか。それとも、殴られるかもしれないとわかっていても、それでも愛を求めてしまう人間の業を描きたかったのでしょうか。
 男とは、女とは、というジェンダーの既成観念を撹乱させ(スーツを着て男性として現れるも内面の女性らしさがにじみ出てしまうトランス女性を、男性の俳優さんが演じるという複雑さ)、それでいて愛の旅人であり続けるエルヴィラ。彼女の生きづらさは「女性」になったところから始まっています。しかし、エルヴィラが性別適合手術を受けた理由は、実は、トランスジェンダーとしての性別違和が高じて、ということではありませんでした(東西は異なりますが、同じドイツということもあり、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を思い出しました)。『リリーのすべて』でも描かれているように、ドイツは世界で最初に性別適合手術を実施した先進国ですので、70年代当時もすでに珍しいことではなかったのかもしれませんが、それにしても…と思ってしまいます。愛のためにそこまでしてしまう人間の業の深さよ…という感じです。
 
 ヘドウィグのように真実の愛を求めてさまよい続け、不遇で、絶望的で、死へと向かっていくのは確かなのですが、総体的な印象として、悲壮感はそんなに感じられません。不思議な人たちが次々に登場し(突然、歌ったり、踊り出したり)、奇妙な明るさがあり、刺激的な映像と演劇的なセリフが交錯し、壊れたレコードが同じフレーズを何度も再生し…たぶん、ゴダールっぽい感じです。もう少しわかりやすく言うと、アバンギャルドです。
 
 血が苦手な方はとても耐えられないだろう、強烈な映像もありますが、ところどころ、素敵!と思えるシーンがあって、そこはゲイテイストだなぁと感じます。ただ、『ケレル』のようなエロティックな雰囲気を期待すると、裏切られることになると思います。 

 結論としては、どなたにでもオススメできるジャンルではなく、正直、人を選ぶかな…と思いますが、アバンギャルドで刺激的な作風のクィアな映画がお好きな方ならきっとハマると思います。
 
 

13回の新月のある年に』In einem Jahr mit 13 Monden
1978年/西ドイツ/監督:ライナー・ベルナー・ファスビンダー/出演:フォルカー・シュペングラーほか/10月27日より渋谷ユーロスペースで公開

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